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2007年7月12日 (木)

甲州の一揆米倉騒動を思い出した

このまえ山梨独特の租税「大小切り」に関する一揆(明治5年)を書きました。

このほかにも有名な一揆がいくつかあります。

1836年(大塩平八郎の乱の前年)には「郡内騒動」が起こり甲府はアナーキー状態になりました。たて続く飢饉とそれに対する甲府勤番以下三分代官所の無策から起きたそうです。

太枡騒動は、

「江戸後期の百姓一揆。1792(寛政4)-'93甲斐山梨・八代両郡田安領54か村が年貢収納方法の変更などに反対、寺社奉行や老中松平定信への 駕籠訴 を決行したもの。廻米に用いる桝を新桝に変更したことが枡名の由来。一説に1斗1升入る桝を1斗入りとして使用したという。また、年貢上納期限を守らない農民を牢に入れたり、再開発地の吟味のきびしいことなどが原因。金田(かねた)・綿塚両村の頭取である2人の重右衛門は獄門に処され、新桝は廃止となった。」

米倉騒動は、

その中でも1750年の米倉騒動は米倉村(現在の八代町)長百姓七平がタバコ、蚕の運上新設を代官所に進言し、請負の利権にありつこうとした企てを阻止しようとして約二万人が蜂起したが、鎮圧され、発起人の5人と16カ村の村役人48人全てが記録上は病死したとされ、その他多くの者が獄死している。その審議がいかに厳しかったかがうかがえる。この事件は一人の百姓の抜け駆けにより多くの農民を死に追いやった悲劇的な事件である。」(甲府勤番風流日誌HPより引用)

この米倉は僕の生まれたところですが、最近まで詳しく知りませんでした。

学校とか大人の人からも聞いたこともありませんでした。

竹居安吾郎でも書きましたが、地域の歴史を知る機会というのはほとんどなかったのです。

本当に残念。

村の中心に「米倉さん」という中心となる家があります。

鉾衝神社を管理していたと思います。

藁葺き屋根の立派な屋敷です。

よく探検したものです。

少し前に家の前を通ったところ、少し整備されていました。

そういう解説も欲しいですね。

ちなみに「米倉事件」で検索すると女優の変な事件が出てきてしまいます。

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