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2007年7月13日 (金)

中富の曙事件と山村工作隊の時代

数年前の夏、父親と早川町の西山温泉に行きました。

慶雲館で温泉に入りました。川と緑がきれいでした。

その帰り、面白がって田舎道を通ってみました(県道421号)。

ちょっと道が不案内だったので、歩いているおばさんに聞いてました。

すると助手席の父は急に「ここはアケボノ事件のあったとこですか?」と聞きました。

おばさんは答えませんでした。

「何それ?」

「昔あっただ。事件が」

詳しくは話しませんでした。

横溝正史のような事件なのか?

あとで地図を見ると、中山地区には曙川という川があって、曙なんとかという施設名がところどころにあります。

曙という明確な地名はないようですが、昔はあったのかもしれません。

現在の身延町中富です。合併前までは中富町でした。

そこで事件を調べてみました。

「あけぼの事件」記録集の発刊に関する共産党系の記事を見つけました。それによると、

「この事件は曙村(現:中富町)で起きた事件です。三鷹事件や下山事件など全国的に謀略やデッチあげの弾圧が引き起こされた時代のことです。

日本で一番貧しい山梨県の中で一番貧しい曙村には“悪盛”とかげで呼ばれる佐野嘉盛という地主が権力を振りかざし、村民を苦しめていました。「“悪”にさからうと七代たたる」と言われるほどの強欲ぶりだったとのことです。

当時、村の民主化運動を進めていた日本共産党支部と村民は“悪盛”の村政私物化を抗議するために詰めかけました。“悪盛”は警察と結託してこれを強盗事件にしたてあげます。

この事件で日本共産党員である石丸要さんが殺害されました。要さんは、石丸あきじさんの夫でした。

事件後、あきじさんは女手一つで子を育てながら、甲府市議を勤め副議長までされ、その後国政選挙の候補者として長年活躍されたので、ご存知の方も多いと思います。」

共産党の事件ということです。共産党側からの文だけではなんですので他のを当りました。

「ただ、山村工作隊の活動は決してこのような牧歌的な活動だけではなかった。凶暴凶悪な山村工作隊についても記しておこう。山梨県の「曙事件」については、既に前項()で書いているが、そこでは軍事資金の調達という観点から触れているにすぎない。

 山梨県南巨摩郡曙村(現在は市町村合併で身延町中富となっている)はその昔、平家の落ち武者が流れついて村落をつくつたと言われる山間僻地の寒村である。村人は出稼ぎ、土工、炭焼き、山林人夫などをし、山菜を採って飢えをしのぐという貧しい村であった。

 この村の窮状に目を付けた日本共産党は、山村工作隊を送り込み、「固い封建制を一挙に打破すると共に、一握りの権力者に振られている村政を村民のものにしなければならない」とぶち上げた。「日本共産党曙細胞の当面の要求」という綱領を発表し、民族民主解放統一戦線を結成するため、当面の闘争方針として「山林地主からの山林の解放」を打ち出し、具体的な「標的」を、同村の元消防団長で、村の農業委員会委員長や区長を務め、屈指の資産家である山林地主の佐野喜盛に定めた。

 一九五三(昭和二十七)年七月三十日夜、十人の山村工作隊隊員が、竹槍、こん棒で武装して押し入り、佐野本人のほか、妻や家人を竹槍で突き、こん棒でめった打ちにし、乱暴狼籍、暴虐の限りをつくした。襲撃に加わった全員が逮捕され、十二年後の一九六四(昭和三十九)年、最高裁において、懲役二年から八年の有罪判決を受けた。これなどは、典型的な山村工作隊事件であろう。」

以上は、兵本達吉『日本共産党の戦後秘史』(産経新聞社、2005年9月)を転載したHPより。注:事件は1952年の誤り。

ルポライターの竹中労は疎開で甲府に来て旧制甲府中学(現甲府一高)出身ですが、その後も甲府と東京を行ったりきたりする細胞だったらしいのですが、

「 「曙事件」に関して、竹中は「映画批評」七一年三月号で、山村工作隊を題材にした映画であった黒木和雄監督作品「日本の悪霊」に対してこう述べる。
  《一言で言うならば、こういう映画をつくったことは犯罪である。黒木和雄よ、福田善之よ、君たちは山村工作隊のリーダーをどこに隠したのだ? あの五十年代の限りなく絶望的な、だが自らの意志において死を賭した闘いを、絵空事に矮小化した責任をとれ! シナリオの段階からアタマにきていたオレは、映画を見るに及んで血が逆流した。この作品に関与したヤツバラはみな死ね! と思った(中略)山林開放のスローガンを掲げて山地主の屋敷を襲い、米泥棒とまちがえられて彼が開放しようとした貧農たちに追われ、川に落ちて死亡した山村工作隊員(山梨県南巨摩群富士川事件)、「総点検」の恐怖支配のもとに拷問され凌辱され、汚名を着せられて自殺した無告の党員たちの"怨念"をどこにむかって噴出させようというのだ?》(『琉球共和国』)と批判する。」

映画「日本の悪霊」は、高橋和巳の原作で、佐藤慶がヤクザと刑事の1人2役をやり、岡林信康などが出演しています。音楽はあの早川義夫(元ジャックス)が担当しています。

当時、山梨などの山村は共産党の山村工作隊がいろいろ事件を起こしていたのです。

佐藤春雄についても、

「思想犯として検挙され、特高からすさまじい拷問をうけ、それでも「非転向」をつらぬき、「リンチ事件」「町警投石事件」「曙事件」などを体験してきた」とある。

事件の3年前の1949年に起きた「下山事件」についての本を読むと、山村工作隊のことが頻繁に出てきます。

山村工作隊は1951年の5全協の新要綱からつくられ、1955年の6全協で否定されました。

すごい時代だったのですねえ。毛沢東思想ですもんね。

三鷹事件、松川事件も同じ49年です。

1952年には、父も竹中労も22歳だったのですね。

山村工作隊については、最近ナベツネ(読売新聞社社主の渡辺恒雄氏)の「私の履歴書(日本経済新聞)」に奥多摩のアジトに潜入して拘束された話がでていましたね。

ところでこの日、早川町では相撲の水戸泉が再起を賭けて小学校で合宿稽古していました。でも次の場所で引退したと思います。

水戸泉は僕と同級の1962年9月2日生まれ。

2000年九月場所で引退したので、このお話はその年の8月ということでした。

ちなみに「曙事件」で検索すると、元横綱のプロレス事件が出てきます。

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コメント

ふざけてるannoy
共産党員が貧民を助けるためにannoy
襲撃してかつ間違えられて富士川で死んだとか嘘言ってんじゃねぇぞannoy


その貧民たちってうちのじいちゃんだよannoy
ふざけてかいてんじゃねぇよannoy
大体交番襲ったり、曙事件とかいろいろ起こしたから旧中富町民が共産党員に対していろいろ話し合いを持ったりしたのにも関わらずannoy
言うことなすこと自分たちの都合のことしか言わないからsign03


それで逆に追い立てたんだよsign03
嘘をなんでも書けば通ると思うなよannoy


うちのじいちゃんたちはなsign03
バカで暴力を振るって自分たちの言い分しか聞かない共産党なんかよりずっと人間的にも優れてるわscissors
逆に比較なんかしたくないし。


暴力で物事を解決しようとするやつなんか死んであたりまえだannoy

投稿: 共産党なんか | 2009年7月11日 (土) 02時47分

すいませんsweat01
と思いました。

投稿: 共産党なんか | 2009年7月11日 (土) 02時50分

地元の人に曙事件を聞くのは
やめましょう

どんな哀しい思いをしたことか

投稿: | 2014年4月 5日 (土) 07時07分

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