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2007年7月31日 (火)

精進湖を紹介したイギリス人「星野芳春」

日本のリゾート地のいくつかは明治時代に外国人によって世界に紹介されました。

軽井沢は、寂れた宿場町でしたがカナダ生まれの英国国教会の宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが避暑地として発展しました。友人の英語教師ジェームス・ディクソンとスコットランドに似ていると感激したらしいのです。「屋根のない病院」だと表現しました。

1886年(明治19年)のことです。

休業中の旅籠「亀屋」を借りたいと申し出ましたが、主人の佐藤万平は1894年に一部を洋風に改装し、翌年「万平ホテル」という名前に変えました。

もっとも、その時点では日光の1873年(明治6年)金谷ホテルが日本で最初の洋式リゾートホテルとして開業しています。ヘボン博士の協力があったようです。その紹介で英国旅行家イザベラ・バード女史が訪れ「日本奥地紀行」で紹介されました。

1878年(明治11年)には箱根富士屋ホテル、1894年(明治27年)には日光レークサイドホテルも開業します。なお、1890年には帝国ホテルが開業しています(本格的な設備を持った最初のホテルは、慶応3年(1867)東京築地の「築地ホテル館」)。

しかし、軽井沢がそれ以前は単なる宿場町だったかというとそうでもないと思います。我が甲州財閥の雨宮敬次郎は1883年(明治16年)に開発事業を行っています。

いまでも雨宮新田(あまみやしんでん)という地名が残っています。プリンス通りとバイパスがぶつかる辺りです。

1896年(明治29年)イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンは上高地などを「日本アルプスの登山と探検」(岩波から翻訳あり)という本で英国に紹介しました。

「日本アルプス」という言葉は、在日欧州人向け情報案内誌「日本案内記」に書いたのが最初と言われています。

野尻湖も軽井沢から宣教師たちが大正時代に移ってきたレイク・リゾート地です。

ダニエル・ノルマンが1922年(大正11年)に西岸に移ってきました。

アメリカ人宣教師で立教大学教授のポール・ラッシュは、アメリカから戻って1938年(昭和13年)に八ヶ岳の清里にキープ協会清泉寮を建てました。

さて、ウェストン「日本アルプスの登山と探検」の前年の1895年に英国人ハリー・スチュワート・ホイットウォーズは富士山が最もきれいに見える土地を1年間めぐり精進湖にたどり着きました。

ホイットウォーズは1894年(明治27年)に来日して帰化し「星野芳春」と改名しています。

ここに永住するときめたホイットウォーズは、「ジャパン・ショージ」の名を「東洋のスイス」と海外へ広めました。

英国人スチュード・ソロモンは、富士五湖で最初の外国人専用ホテルを創業しました。

この県内初の洋式ホテル「精進ホテル」は1937年以降は上野精養軒が運営しています。夏季のみの営業だそうです。

精進湖行ってみたくなったでしょ?

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