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2007年9月23日 (日)

横浜生糸産業は若尾ビルを中心に発展した

今日の横浜探索の続きです。

ワールドポーターズから馬車道の方へ万国橋を通って馬車道の方へ歩いていました。

ガイド地図に「新若尾」という文字がありました。

もしかして甲州財閥の若尾家?横浜若尾?

まさか。

でも生糸商ならこの辺にあってもおかしくない。

僕はこの辺を1995年頃全然別の用事で調べたことがあります。

この地点はたしか富士ソフトABCという上場ソフト会社が買って自社ビルとして使っているはずです。それは1993年頃の売買だったと記憶しています。

それとも古い料理屋さんでもあるのかなあ。

行ってみると確かに富士ソフトのビルです。周辺を歩いてみましたが若尾らしいものはありません。

帰って調べてみました。

建物の保存再生例として「デザイン継承 新若尾ビル」

設計は、三菱商事一級建築士事務所+井上尚夫総合計画事務所となっています。

やはり古い建物があったようです。

井上尚夫先生は芸大出の建築家で多くの受賞歴もあるようです。

大正末期の新若尾ビルの花崗岩や鋲は旧ビルのものを再生させたそうです。

しかし、この情報だけでは若尾家と関係あるかわかりません。

ところが川崎鉄三(18??~1932)という建築家に若尾ビルという作品があるのを見つけました。

川崎は横浜を代表する建築家のひとりで、大正時代の末期から昭和初期にかけて、横浜の関内地区を中心にいくつかの商社ビルの設計を手掛けていたそうです。

若尾ビルのスペックは、所在地:横浜市中区本町4-34 構造:R.C.7階 地下1階 建築年代:大正14年 「都市の記憶 横浜の近代建築(Ⅰ)」の中に掲載されているそうです。

川崎は、明治45年7月東京高等工業学校建築科選科修業後、
台湾総督府、台北庁土木係、厦門日本領事館、広東日本領事館を経て日本へ帰国。
大正12年6月福井県庁で技師として働きました。(県庁舎建設の為?)
その後大野屋工務店を経て大正14年、若尾幾太郎商店建築部本町工務所に所属しました。昭和7年死去。

横浜では、東京電灯株式会社横浜支店(昭和3年)、亀の橋病院(昭和4年)があります(いずれも現存せず)。

ここで注目すべきは「若尾幾太郎商店」です。

幾太郎は横浜若尾の三代目です。代議士だったようです。

若尾逸平の家督を相続した養子民造の三女千代子は幾太郎に嫁ぎました。

関東大震災で東海土地電気の江ノ電の設立が危ぶまれたとき若尾幾太郎が尽力したとのこと。

震災当時をみれば1921年(大正10年)横浜電気が東京電燈株式会社(現在の東京電力)に買収され、同線の運営も引き継がれていました。

不思議なのは当時の東京電燈も江ノ電も雨宮敬次郎だったような気がしますが、ここで若尾家が出てくるのです。ちょっと調べておきます。

それから、大正前に若尾ビルがあって川崎のものが新若尾ビルなのか、今の富士ソフトビルを通称新若尾と呼ぶのかもわかりません。

ところで若尾逸平の実の弟は若尾幾造で明治8年(1875年)逸平から4万円の資金で横浜若尾(生糸問屋若尾商店)を創立しました。

このとき幾造の長男隣之助は17歳でした。素質もあって父子で商売に励んだのです。

隣之助は林平と名前を改め、明治25年に平沼専造と横浜貿易倉庫を創立しました。

さらに、明治27年には横浜生糸取引所をつくり取引委員長に就任しています。

幾造は明治27(1894)年10月に死去しています。

林平は二代目幾造を襲名しました。

ところで、京急の仲木戸駅を海の方に歩くと知る人ぞ知る「スターダスト」と「バー ポールスター」があります。

サザンの「思い出のスターダスト」のお店です。あぶない刑事のロケなども。

瑞穂の米軍施設でこのフェンスの先はアメリカなんです。

1954年開店。

住所は横浜市神奈川区千若町。明治45に埋め立ててできた新しい町です。

この地名は、横浜倉庫株式会社初代会長千坂高雅と専務の若尾幾造の苗字を1字づつくっつけて名づけられました。

もし、若尾ビルが横浜若尾であればこの立地は納得します。

隣は横浜銀行協会です。近くに横浜正金銀行本店(神奈川県立歴史博物館)など銀行群、西には帝蚕倉庫や横浜生糸取引所、横浜生糸検査所(現第二庁舎)、第一国立銀行(現アイランドタワー)、北に日本郵船など関係する建物に囲まれています。Imgp0921 Imgp0920_2 Imgp0919_2 Imgp0884_2

つまり、利便な場所に横浜若尾ができたのではなく、横浜若尾の周りに関係施設が出来ていったと考えることができるのです。

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コメント

初めまして。流一といいます。「ぼくの近代建築コレクション」というブログを書いているものです。このたびそこで横浜の若尾ビルを取り上げ、そのビルを調べている過程で貴ブログのこの記事を知りました。
甲州財閥とか若尾家のことはなにも知らなかったので勉強になりました。私のブログにこの記事へのリンクを貼った上で貴ブログの記述を少し引用させて頂きました。ありがとうございます。
川崎鉄三設計の若尾ビルの写真はネット上ではほとんど見られないようですね。弊ブログでご覧いただければ、と思います。

投稿: 流一 | 2009年10月27日 (火) 10時51分

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