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2007年12月27日 (木)

鑓水の「絹の道」は「本当にここは八王子?」

  八王子の鑓水峠(やりみずとうげ)はかつて生糸商人が行きかったみちです。

この浜街道は甲州、信州、上州などから集められた生糸を横浜に運んだ街道です。

昭和30年からシルクロードならぬ「絹の道」と呼ばれるようになりました。

八王子からバスに乗って北野を経由すると、ここらへんは「絹ヶ丘」。

「坂上」という停留所で下車しました。

なんの看板もなかったので交番で聞くと正面の直線の道だそうです。

少し歩くと急な階段があります。これが峠の入り口。

上るとやっと看板がありました。Imgp1844

振り返ると八王子が見えます。きっと若尾逸平なんかの甲州商人も眺めたのでしょうね。

そこから無舗装の山道ですが、落ち葉で彩られていてU字状にやや湾曲しています。Imgp1848 Imgp1850

いかにも古道でいい感じです。

この季節がいいのかも。

誰も歩いていません。夜は怖いと思います。

少し行くと大塚山公園で「絹の道」の碑と道了堂へ向かう参道があります。Imgp1853

ここは1875年に大儲けした生糸商人によって建立されましたが、今は痕跡が残るのみです。

ここからが約1kmが「歴史の道百選」に選ばれた絹の道です。

緩い下り坂ですが落ち葉が積もっていてすべりやすい。良く見ると道は石畳状になっているようです。Imgp1861

木や竹林が続いて昼間でも暗い。

舗装道路になってきて人家も見えてくると視界は開け、車道に出ます。三叉路です。Imgp1868 Imgp1872

振り向くと「絹の道」という看板と説明版、道祖神が鎮座しています。

ここが鑓水の集落です。でも山間地の農地という感じです。

おばあさんが農作業していますが、まるで山梨の田舎のようです。

ここまで来ても、「本当に八王子?」と思わずにはいられません。

この集落は横浜開港の少し前あたりから商売で富を築きますが、その運も1908年の横浜鉄道の開通までの50年間でした。

いくつかの豪商の屋敷がありますが、そのうち八木下要右衛門の屋敷は「絹の道資料館」となっています。三叉路のすぐ近く。Imgp1878

入場料は無料。

製糸産業に関する資料館はこれまでいくつか見学しました。

シルクの里公園(山梨の豊富)のものは養蚕農家、富岡製糸場や片倉シルク記念館(熊谷市)は生糸産業、横浜のシルク博物館が貿易とすれば、ここは中間商人と輸送に関するものといえます。Imgp1881

長野、山梨、群馬、栃木、福島の内陸地域は養蚕業が盛んで、19世紀になると後に「東山養蚕地帯(とうさんようさんちたい)」と呼ばれる地帯が中心になりました。山にImgp1890近い地域は桑畑に良いためだそうです。Imgp1893

少し歩くと川沿いに八王子道しるべが現れる。Imgp1900

近くには小泉家屋敷などもあります。

鑓水中央バス停から橋本行きのバスに乗りました。

多摩美術大学を越えると神奈川県です。

やっぱり逆コースはよくないな。

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