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2010年5月17日 (月)

徳之島が拒否する本当の理由

徳之島が基地移設を拒否しました。

まあ流れからすれば民意ということで当然ですね。

でも内地の人にはわからない理由もあると思う。

これは絶対に口にしないだろうから。

戦後、琉球政府に属していた奄美群島はどこも経済的大変な状況でした。

それで基地建設ラッシュで好景気な沖縄に出稼ぎするしかありませんでした。

鹿児島へは密航になるからです。

数万人が沖縄に渡りました。

その後、奄美群島は1953年12月25日のクリスマスに日本に返還されました。

沖縄より20年早く。

何故、返還されたのか?

もちろん返還運動もありましたけど、

もともと基地反対の共産勢力も強かったのも理由。

山地が多い基地に適さない奄美は米軍にとってのお荷物でした。

結果として見捨てられた奄美は餓死寸前のさらに悲惨な状況になりました。

さらに大きな問題となったのは沖縄に渡った奄美人です。

彼らは奄美復帰後は日本人になったので、沖縄から見れば突如外国人になったのです。

それで53年のクリスマスを境に沖縄人は奄美人を露骨に差別し非人間的な扱いを始めたのです。

外人登録を義務づけ外国人登録証の携帯と指紋押捺を課しました。

公職から追放され、参政権の略奪、土地の略奪、公務員試験の資格はく奪、融資の制限・・・

ただし税金だけは同じ扱いのまま。

沖縄の奄美人は出身を隠すしかありませんでした。

差別され賃金は安く、仕事といえば日雇い、接客業と売春だけというありさま。

当然アパートも借りられない。

ヤクザになるしかないとも言われました。

成績優秀な奄美人は突如解雇です。

立法院議長、琉球銀行総裁、復帰金融公庫総裁、電電公社総裁は奄美出身だったのでただちに追放されました。

これらを沖縄タイムスなど現地マスコミは沖縄の味方。

むしろ「大島人がまた犯罪」などという記事ばかり載せました。

日本での韓国人差別に近い。

決して沖縄を非難するつもりはないけど、人間とはこういものなのかと思う。

こういう歴史事実から考えて、奄美の人たちが沖縄を助けたり、沖縄の負担を減らすなどということに簡単に協力するわけはない。

僕はこれも拒否の理由ではないかと思っています。

そして差別を受けた奄美人を助けたのは創価学会だそう。

今でも奄美出身者の市議会議員の8割は公明党。

そうか沖縄に創価学会が盛んなのがやっとわかりました。

2006年に創価学会が事実上仲井真知事を誕生させました。

以上は、佐野眞一著「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」(集英社インターナショナル)より引用しています。

この本はすごい。

お約束として、大和の文化人ほど沖縄や沖縄人を被害者と考え、聖者化しほめる。

こうした「沖縄に怒られにいく」「沖縄に謝る」式の本ではないということです。

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