2009年11月10日 (火)

マイコー来日?

今、東京は要人来日のため厳戒態勢です。

子供に「東京にえらい人がくるからだよ」というと、

「マイケル・ジャクソン?」

「マイケルは死んじゃったから」と言うと、

「じゃあ、マイコーりょう?」だとさ。

うちでは今マイコーが流行っている。

YOUTUBEで観るのが日課のようで、「フー!」「ダっ!」「チクチク」とか擬音を出しムーンウォークもどきを練習するのは昔と同じ。

でも歌が「ポニョ」とか「ズンドコ節」なのが違う。

グッチ裕三以来だな。

あー来るのはオバマさんだよ。

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2009年11月 8日 (日)

ウルトラマン・ショウ

公園に行った。

ウルトラマン・ショウをやっていました。

楽しみました。Dsc_0021a Dsc_0054a

子供たちは歓声を上げていました。

勧善懲悪なので分かりやすい。

いつに時代もヒーローものは不滅なんですね。

ウルトラマンやおねえさんにいくつもの教訓を教えてもらいました。

それでも悪い子に育ってしまうのは不思議。

守れよ。

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2009年10月10日 (土)

いとうあさこ芸人

アメトーークでやっていた椿鬼奴芸人。

これを言うなら僕はいとうあさこ芸人だな。

南ちゃんの格好でやっている人。

爆笑はしないし、感心もしないので芸評価もしていないけど、あのなんていうか開き直りに近い力というのは感服する。

どうなって生きていくのだろうか心配する。

調べてみると39歳!

それで新体操の格好をしている!

大学進学率100パーセントの雙葉高校で、芸人は最初で最後らしい。

素晴らしい!

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2009年10月 1日 (木)

ハーフの芸能人

昔からハーフの芸能人って多いですよね。

やっぱりビジュアル的にいいし、俳優だと日本語をしゃべれることが都合いいし。

ハーフじゃないのにハーフっぽい芸名はなんなんでしょう。

フランク永井、ディック・ミネ、フランキー堺、ロミ山田とかね。

なんなんだろう。

そういえばゴールデン・カップスって「メンバー全員がハーフ」っていうふれこみでしたよね。

ボーカルのデイブ平尾、マモル・マヌー、ミッキー吉野は日本人です。

ゴールデン・ハーフっていうお色気グループは全員がハーフでしたね。

エバ元気か?

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2009年8月25日 (火)

30年ぶりに銀星団を思い出す

(つづき)

そういえば「シルバー・スターズ(銀星団)」という覆面バンドを思い出した。

1978年に渋谷屋根裏に現われて、「ぎんざNOW」に出演して、79年11月アルバム「銀星団」をリリース。

メンバーはいろいろ居たみたいだけど、影でBOWWOWがやっていたのはミエミエの事実。

だってあんなギター弾けないし、声は山本恭司だし。

すでに3枚のアルバムを出していたし、キッスの前座で人気もあったし、新しいこと模索していたのかも。

アルバムは、ギターメインながらテクノっぽいテイストがありました。

YMOがデビューアルバムを出したのが78年11月だからテクノ全盛の時代。

これも聴いたなあ。

バンド名からも想像できるとおり、ディーボとかチューブウェイ・アーミー(ゲイリー・ニューマン)なんかの人工的で宇宙っぽいイメージを取り入れています。

スターボーっていう3人組みアイドルも思い出したぞ。パヒュームみたいな。

銀星団のCDも出ているみたいなので買っちゃおうかな。

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2009年8月24日 (月)

BOWWOWはツインギターであった

(つづき)

さて、なぜ僕が横田基地友好祭に行ったかというと、ライブを観たかったから。

日本のハードロック・バンドBOWWOWが出るというではありませんか。

無料で観れる。

ちなみに土曜日はアースシェイカーでした。

きっと「米軍キャンプでライブした」というのは彼らにとってもステイタスになるのかも。

僕が高校生のときのギター・ヒーローは山本恭司でした。

BOWWOWの初期3枚は全部口ずさめる(英語のヴォーカルじゃなくて楽器を)

そのくらい聴き込んだ。

VOWじゃなくてBOWの時代。

当時からへヴィメタ嫌いの僕でもね。

今は日本にもたくさんのいいギタリストはいるかもしれないけど、当時のロックでは正統のCHAR、早弾きの高崎晃、そして山本恭司か。

他の2人と比べると知名度では落ちるかもしれないけど、作曲とリズム感、そしてアメリカン・ハード的なアイドル性はあった。

何しろベイ・シティ・ローラーズを目標に結成されたのだし、キッスやエアロの前座を努めたし、音楽評論家の渋谷陽一やアリスの矢沢透がプロデュースしたり。

(もっともCHAR自身はアイドルだったし、高崎はレイジーというアイドルだったけど)

今日、30年ぶりに聴いて思った。

速い、うまい。バンドがぴったり。スキなし。

モントルーやレディング・フェスティバルでみせた歌舞伎風がみたかったけど。

人見元基(今は高校の英語教師になっているらしい)も聴きたかったけど。

なんと「シグナル・ファイヤー」もやってくれた。狂喜乱舞。

非常に気になったのはもう一人のギター斉藤光浩の存在。

中央で歌ってリードする山本の右でサイド。Dsc_0226a

時々リードとったり歌ったりする。

もともとギターはうまいし、山本とのツインはすごい。Dsc_0239a

斉藤は石橋凌のARBに加入していたこともあって、ニューウェーブ系のニオイがあるし、スタイルも黒。

一方の山本は明るいし、最近では矢沢永吉のギターでよく見かけるようにポップ。

ツインギターのバンドって何があったかな?

アイアン・メイデン、スコーピオンズ、ナイトレンジャー。

イーグルス、キッス、シン・リジィ、パールジャム。

ビートルズやローリング・ストーンズもそうかあ。

ジミー・ペイジがベースから変えたときのヤードバーズ。

どれもちょっと違うけど、イメージとしては、

ロン・ウッドかな。

昔メインのバンドもあったけど今はあえていろいろ言わず脇役に徹する、みたいな。

BOWWOWの良さはここにある。

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2009年8月12日 (水)

最近街でみかけた有名人

最近、街でみかけた有名人。

秋川雅史さん。

奥様とお子さん。

子供はポケモンのパンフレットをじーっと見ていました。

まさか秋川さんスタンプラリー参戦じゃないでしょうね。

次は福田前首相。

あっちから1人で歩いてきました。

ちょっとお腹が出ている。

自分で車のドアを開けて乗っていきました。

SPとかつけないのかなあ。

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2009年8月10日 (月)

タトゥーあり(3)捜索願いが素早かった理由

「おくりびと」にも出ていた俳優の峰岸徹さんが昨年10月11日亡くなりました。

その時のサンミュージックの相澤秀禎社長(現・会長)の話

「有希子は、デビュー前から僕の自宅で下宿していたんですが、デビューして売れ始めたんで、一人暮らしを始めた。

その3日後に有希子の住んでいた部屋に、のりピー(酒井法子)が入ってきたんです。

そして、自殺する3日前に、僕の家に有希子が食事に来た。なんとなく元気がないから、"おまえがこれからうちの会社を背負っていくんだから、がんばらなきゃだめだよ"というと、"私なんかもう、だめだから""あとにいい子(=酒井法子のこと)がいるじゃない"という暗い話をしだしたんです」

岡田は1986年4月8日午前中に南青山6丁目のマンションでガスとリストカット自殺未遂を起こします。

救急車で北青山病院に運ばれますが即時退院させられます。

四谷三丁目のサンミュージックに総務部福田時雄専務、付き人の山崎結美と3人でタクシーで戻る。

この時、相澤社長(現会長)は歯医者にいって留守。

5階上のトイレに行く時も山崎が見守る。

マネージャー溝口伸郎からの自動車電話を福田が取っている間に山崎がちょっと目を話している隙に岡田は屋上へ。

12時6分に飛び降りた。

本社に車で向う途中の溝口はこれを目撃してしまう。

すぐに毛布を取りに駆け上がる。

僕の友達のS君もすぐに見に行ったらしい。

若者の後追い自殺がたくさん出て、幸田シャーミンが異例のメッセージをニュース番組中に語ったくらいでした。

ユッコの部屋に住んでいたのりピーの心情やいかに。

さらに14年後の2000年7月19日溝口伸郎は5階上にあるトイレで自殺。

溝口は酒井法子のデビュー以来のマネージャーでもあったのです。

当然、マネージャーは代わる。

のりピーの実績から強く言えない(松田聖子などのように独立しなかった)。

その後、2004年夫のサーフショップが閉店。

この頃、左足首に蓮と梵字のタトゥーを入れました。

この辺りからやっていたんじゃないかと推測します。

父親の元酒井組の三根城(通称は峰吉)さんは竜王町富竹新田(バイパスで言うと吉野家辺りです)で金融業。

1989年新しい奥さん(継母)のルーチェ(本人はジャガーを所有)で大月で単独事故死。

その継母は今回の逃亡を助ける。

異母弟健(たけし30歳)もシャブで逮捕。

これじゃあ相澤正久現社長もあわてるわな。

送り迎えした夫の言う「社長」というのはいったい誰なのか?

警察は把握しているらしい。

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2009年8月 2日 (日)

スタンプラリー参戦

夏休みの子供の相手もしないといけません。

JR東日本のポケモンのスタンプラリー。

午前中から行こうと思ったけど雨。

なんでまだ雨が降るんだ?

スタンプ台は改札の外に置いてあるので、いちいち払っているとお金がかかる。

そこで1日乗車券を買う。

まず6駅のスタンプでスタンプ帳とサンバイザーを貰える。

この時間にスタンプ帳を持っていないとかなりヤバい。

とりあえずもらって、あとの時間で行けるところまで行く。

4時終了です。

これは子供ためですが、実際には親のため。

だって時間無制限だと終わらない。

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2009年7月25日 (土)

タトゥーあり(その2)

浅野忠信とCHARAが離婚しました。

みんなすぐ思ったのは。CHARAの首筋のタトゥー。

浅野忠信がデザインしたスミレと肩に青い鳥のやつ。

誕生日プレゼントらしい。

だからやめときなと。

永遠なものは無いのよ。

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2009年7月10日 (金)

サイモン&ガーファンクル最後の

サイモン&ガーファンクルの東京ドームへ。

僕のガラじゃないことはわかっているけど最後らしいから聴いとかないとね。

ヒット曲全部を含む2時間超。

お客は年配の人も多かったけど最後はノリノリ。元とったって感じ。

いろんな楽器が出てくる。

アコーディオンやビオラ、サックス、テルミンまで。

ドラムの他に打楽器の人もいる。

S&G時代のヒット曲以外のソロは圧倒的にポール・サイモンがいい。

80年代のアフリカンなのを聴いていると「これやりたいんだろうな」と楽しそう。

いつまでもフォークじゃないぜ、って感じ。

アートが出てくるとまた「卒業」時代に戻る。

チャゲ&飛鳥じゃないんだから、もう。

それにしても東京ドームの1階は音が反射してダメです。

スクリーンに出てきた映像はDVDにして出すのかな?

それを見ると東京ドームはすごい人。

僕の世代だと81年のセントラル・パークを思い出すくらいの人の数。

でも2階席の一部は青かったんだけど、それは映さない。

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2009年6月27日 (土)

愚痴や文句も出らあな

雨上がりに走っていたら、ヒキガエル2匹、トカゲ1匹、でかいカタツムリ1匹いました。

都会にもいるのね。

ルーキーズっていう映画終わってくれてうれしい。本当にうっとうしかった。

美空ひばりとか石原裕次郎とかのネタも飽きた。

マイケルって練習がイヤになったので死んだんだと思う。

もう往年のダンス求められてもできないもん。

ジョン・カビラ、ラジオで妄想サッカーみたいのやっているけど、正直痛い。

東国原知事と古賀さんに会談についてのコメントで一番ズレていたと思ったのは丸山弁護士のだったと思う。

石川遼くんのコメントはいいんだけど、同世代の共感はゼロに等しいと思う。

僕が同級生だったらイジメる。

まあ世界を目指す本人にとってはどうでもいいと思うけどね。

加藤和彦って龍谷大学だったんだ。意外。

いろいろ事件が起きる中で宇宙飛行士の状況がニュースに流れるとマヌケに思えるのは僕だけか。

あー疲れているなあ。

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2009年6月26日 (金)

マイケルの死で思いだしたこと

マイケル・ジャクソンが死んだ。

朝、家族に事件で起こされたのは安室&SAM結婚以来だな。

50歳はまだ若い。

ザ・クラッシュのジョー・ストラマーもちょうど50歳で自宅で心臓発作だったよね。

やはりミュージシャンとか人気商売だったりストレス多そうな人は早死にするのか。

そうするとダラダラ生きてるのはどうなのかとも思う。

死亡を発表する兄ジャーメインを観ていて思った「遺産争いがなければいいが」。

ラトーヤとか出てくるのか。はあ。

ラジオでもマイケルの曲ばかりです。

これはジョン・レノン暗殺以来だなあ。

「マイケル・ジャクソンさん」とさん付けだけど「ジョン・レノンさん」って言っていたっけ?

僕は「オフ・ザ・ウォール」が好きです。

郷ひろみが急にマイケルになったのもこの頃からです。

「Billie Jean」ではムーンウォークというのをみた。

前にも書いたけど、MTVで初めて流れた黒人PVはこれだった。

「beat it」は高円寺の庄やで聞いたものです。

ギターはエディ・ヴァン・ヘイレンとTOTOのスティーブ・ルカサー。

アル・ヤンコビックの「今夜はeat it」も懐かしい。(その後「BAD」のパロディ「FAT」もあったね)

クインシー・ジョーンズはすごいなあと感心しました。

マイケルはクインシーにプロデュース頼んでよかったなあ。

USA for AFRICA もそうだった。

そういえば久石譲さんってクインシー・ジョーから取ったって知ってる?

やっぱり、顔もかわいかったジャクソン5の頃とスリラーまでが良かったなあ。

同じ25日にファラ・フォーセットも亡くなりました。

UCLA付属病院に緊急入院していました。

こういう日の事件は覚えていないと思うので僕は覚えておくことにします。

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2009年6月 9日 (火)

何かが違うリアリティ・ドラマ

ちょっと気になるテレビ番組があります。

FOXの「The hills」というドラマです。

これが映るとつい観てしまいます。

ちょっと前に「Laguna Beach」という同系のドラマがあって気になっていました。

どちらもMTVが創っている番組のようで、カリフォルニアのおしゃれな若者のお話のようです。

そういう文化に疎い僕なのに、なぜ観てしまうのか不思議でした。

ローレン・コンラッドという若い女性がティーンヴォーグでインターンとして働きながらセレブとして成り上がっていくストーリー。

正直、面白いとは思えないし、興味もない。

女性はともかく男は「おいおい」って感じな奴ばかり。

でもこのつくりには何かがあるに違いない。

その何かがわからない。

これはリアリティドラマというジャンルらしい。

たしかにリアルなんです。

ローレンはリアリティ番組上がりで実名で登場。

実際にブランドを持っている。

どうもセリフを覚えて演技しているようには思えない。ほとんどアドリブのよう。

じゃあドキュメンタリーとかオーディション番組のようなリアリティ・ショウかというとそうでもない。

肝心なところでは多数のカメラで多重撮りしている。

つまり台本はあって一発撮りだけじゃないということ。

そう考えると自然派の演技なのかリアルの追及なのか。

もうちょっと研究する余地がある。

きっと日本でもマネしたドラマが始まると思うけど。

ちなみに宮崎麗香という女性が出ていたけど、民主党の白さんのお嬢さんだそう。

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2009年5月24日 (日)

御年を召したなあ

南田洋子さんのお姿をやってましたけど痛々しい気がします。

他にもちょっと年を取ったなあと思う人がいます。

もちろん人間ですから老いは当然ですが、むかし元気だった頃を観ていたのでその変化に改めて驚いてしまうこともあります。

男でおばさん顔になる人はいますけど、竹村建一は顔がすっかり特徴がなくなってしまいました。

談志も顔変わった。

山城新吾はやばいらしい。

元首相の羽田孜も危ない。

他にも書きたいけど、近いと思うよ。

しょうがないことではある。

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2009年5月21日 (木)

学生時代

ペギー葉山の「学生時代」は青山学院の第2校歌だそうです。

僕は、「蔦の絡まるチャペルで・・・」を、

 「ツタノからマルチャペルで・・・」だと思っていた。

ツタノってどこ?

マルチャペルって何?

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2009年5月18日 (月)

オスカーの名鑑

むかしアルバイト仲間が持ってきて大喜びされたモノがあります。

オスカープロモーションの名鑑。

もちろん有名なタレントは多いのですが、

「世の中には無名なのにこんなカワイイ娘がいっぱいいるんだあ」とみんなで驚嘆いたしました。

女の子はジャニーズみたいな扱いはされないけど。

持ってきた奴は一躍ヒーローでした「よくやった」と。

松本人志の結婚でこんなことを思い出しました。

元オスカープロ所属ってのも合コンなんかのハク付きになるよね。スっちーみたいに。

今HP見たら高樹沙耶って益戸育江に改名したんだ。

ふーん。

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2009年5月17日 (日)

組織の化学反応

バンドやオーケストラ、チーム・スポーツや人的組織。

こういったものは1+1ではなく3や5になるときがあります。

スポーツチームに反応が生まれて勝ったり、企業組織で利益が生まれるような話

あるいは気分が良くなるような高揚感や陶酔感が生まれることもあるでしょう。

ここでは後者の話。

このときの当事者の気分とはいかに。

ランナーズ・ハイとかクライマーズ・ハイみたいなエンドルフィンが出ている状態かもしれない。

そのとき当事者は気づいているのでしょうか「今まさに、反応中だ!」って。

これについてはっきり書いてあるものをみつけました。

ユニコーン活動再開の記事。

「予測できない喜びっつうのがあってね。自分一人では絶対できないことなわけだから。マジックというか化学反応というか、その瞬間に得も知れぬ何かができるわけですよ」

それで4月5日マリンメッセ福岡の公演のことが書いてあります。

川西(ドラム)「予感はあったんでしょうね。HELLOでキマした」

「1番と2番の間です」。

間奏の16小節。時間32秒。

阿部(キーボード)「演奏しているという感覚さえなくなりましたからね。あんなに気持ちいいことはほかにない」

奥田「客はそこ(マジック)が分るんですかねえ」。

「そうすね。それが分かっちゃったらね」。ユニコーン「第六の男」として名乗り出てもいいのではないか。

奥田「ただ、その瞬間を求めているわけじゃない」ということらしい。

こうした気分が結果として、企業利益やスポーツの得点や勝利に影響与えるのかもしれない。

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2009年5月13日 (水)

坂東英二きてるよねえ

坂東英二いいねえ。

面白いと思う。

こんなおじさんいたらいい。

僕が小学校の時、図書館に野球などいろいろな記録を載せた本がありました。

その中でも覚えているのは2つ。

中京商×明石中の延長25回。

スコアボードが足りなくて継ぎ足した写真。

坂東×村椿の再試合の語り草。

その後、「金妻」やミポリンのお父さんで出てきたときは同一人物とはわからなかった。

伊東四朗もいい。

てんぷくトリオの中では1人生き残った。

2人ともブレークした人で、今も人気があるというのは稀有で自信と余裕があるよね。

それからやっぱり長生きしないと。

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2009年5月12日 (火)

スター誕生の審査員

三木たかしといえば日本テレビの「スター誕生!」の審査員。

阿久悠が企画したこの番組は1971年10月スタート。

視聴者としては素人よりも毎週出てくる審査員を覚える。

なんていっても怖かったし、子供から見ると貫録があった。

このとき阿久は34歳。

三木と都倉俊一は途中から審査員になったはずです。

ちょっと覚えていないのですが、2人とも30歳にはなっていなかったはず。

それで歌や音楽はもちろん流行や業界のことも全てわかっている雰囲気でした。

今にして思うと、この若さでそう見えたことが驚きなんですが。

誰もこういことコメントしないなあ。

それでいて90年代になると揃って失速しています。

時代が変わったというか大御所の生きれるいい時代だったのかもしれません。

今の歌はカラオケじゃ歌えないもの。

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2009年5月 1日 (金)

岩崎宏美が益田だった頃

昨日の「私の履歴書」つながりです。

岩崎宏美さんが再婚されたそうです。

前の夫は益田。

商社マンでした。

それで芸名も益田宏美に変えて活動していました。

パッとしませんでしたが。

何も岩崎宏美のままでいいじゃないと思うでしょ。

でもこの益田はただの益田じゃない。

高祖父(ひいひいじいさん)は三井物産や中外新聞創始者で茶人”鈍翁”と言われた益田孝。

夫の商社というのは三井物産じゃなくて三菱商事。

玉の輿だったんだね。

だから益田姓にこだわった。

夫の赴任先のドイツから帰国して離婚。

2人の子供の親権は夫に、その後養育権も夫になったから益田姓は残る。

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2009年4月23日 (木)

鶏口となるも牛後となるなかれ

鶏口となるも牛後となるなかれ。

大きな組織の末端にいるよりも、たとえ小さくても組織のトップに君臨している方がいいということ。

大企業のヒラでいるより、自分で会社を興して「一国一城の主」になりましょうか。

あるいは超進学校の最下位に沈んでいると腐るかもしれないけど、適度な学校でトップクラスのほうが気分がいいかも。

巨人の2軍でウロウロするより、楽天でレギュラーに定着したほうがいいよね。

海外の有名クラブのサブよりJリーグに戻って毎試合出た方がいい。

朝日新聞のご意見コーナーを読んで考えました。

就学年齢について早生まれが不利ということで親が選択で遅れて入学できるようにしたらどうかという意見。

たしかに入学時の1年は大きい。

でも大人になれば差は縮まっていくと思いがち。

実はその影響は大人になっても残る。

早生まれが不利である研究は多くあるけど、このコラムにもあるとおりプロ野球選手の統計では4月生まれが圧倒的に多く、月を追うごとに減っていき3月生まれが最少になる。

桑田真澄のように4月1日生まれもあるけど。

幼い時から「よくできる」となればそれが自信になったり、意欲も出てくるということ。

差は人にもよるかもしれないけど、多くは取り戻すにたくさん努力が必要になってしまう。

韓国では就学を前後1年選択できるとのこと。

それにしても鶏口となるメリットというのはもっと注目していいかも。

このブログでも取り上げた、田舎出身の芸能人やスポーツ選手が人口比で多い気がするのも同じかも。

甲子園だって大都市で勝ち上がったチームだけが優勝することはないし、ドラフトで指名されるのは田舎者が多い。

たとえ野球留学や越境入学があるにしてもそれは感じる。

やはり地方の学校で甲子園に出やすいところで4番やエースになるのは精神的にも成長するのかも。

人には成功体験というのも大事かも。

大都市の大チームで2軍・3軍じゃもうダメだしね。

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2009年4月 8日 (水)

結核の保菌者って問題ないのか

肺結核が話題になっています。

発病の話は説明してくれるんだけど、肝心なことは教えてくれない。

つまり、発病前の保菌者のこと。

菌があること自体は問題ないのか。

「保菌者からは移らないのか」

「菌をなくすことはしないのか。する必要がないのか、それともできないのか」

という疑問です。

素人なのでちゃんと調べていなくて何ですが。

ハリセンボンの相方春菜はまずレントゲンで発病していないことを確認し、さらに血液検査しました。

結核菌は空気中にいるというし、BCGは結核菌を打つわけだし、ツベルクリン反応が陽性ということは過去に保菌しているわけですよね。

もし菌があるとすればデトックスみたいに出さなくてもいいのか。

保菌者の1割が発症するといわれると、そのままにするのはどうかと思ってしまいます。

BCGやっていても効果は80%程度らしいけど。

調べればわかるんだろうけどワイドショーでやってくれないので書きました。

何でだろう?

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2009年3月 3日 (火)

山梨県出身の声優

山梨県出身の声優は多い。

銀河万丈。

声優はもちろん「なんでも鑑定団」とか「TVタックル」のナレーション。

窪田等。

ナレーターとしては当代ナンバーワンなのでは。

情熱大陸、DSやWiiのCMでも聞かない日はない。

井上真樹夫。

キャプテン・ハーロックのほかライバルとか重要な脇役が光る。

花形満とか五右エ門。

男一匹ガキ大将の銀次とか懐かしい。

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2009年2月27日 (金)

どうもありがとうミスター・ロボット

加藤久仁生監督おめでとう。

「つみきのいえ」の紹介の映像の右下にはROBOT(R)と出ていました。

アカデミー賞の受賞スピーチ。

「どうもありがとう、ミスター・ロボット」(ややウケ)

STYXの1983年のアルバム。

「どもありがっとみすたーろぼっと。また会う時までー」

79年の「コーナーストーン」でブレイク。

81年の「パラダイス・シアター」でピーク。

当時は産業ロックの代表でした。

ところが「ろぼっと」辺りで「あれっ?」っとキワモノにいっちゃた。

片山まさゆきの「ぎゅわんぶらあ自己中心派」(週刊ヤングマガジン)の持杉ドラ夫が歌っていたのを思い出した。

もっとも加藤監督は6歳だから知らないと思うけど。

僕のi-podにも「時は流れて」(1981年)入ってるよ。

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2009年2月23日 (月)

若き日の山崎努は・・・

アカデミー賞外国部門が「おくりびと」。

紹介ビデオに山崎努が出ますけど授賞式には行っていないのか。

僕が物心ついたときからズーっといました。

八つ墓村の犯人(津山30人殺し)あたりから。

マルサの女とかクレスタのCMとか。

最近でもNTTドコモのCMでみる。

先週も黒沢明の「天国と地獄」「赤ひげ」を観てたら重要な役で出ていました。

「赤ひげ」のときの山崎さんって織田哲郎にそっくりだった。

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2009年2月19日 (木)

本当にブルースだったクラプトン

今日は武道館のエリック・クラプトンに行った。

武道館といえばロックの聖地でもあって、ビートルズ、ディープパープル、ボブ・Dscn2973aディラン、チープトリック、幻のローリング・ストーンズも。

クラプトンは海外アーチスト最多です。

いやあブルースだった。

ロックやってもヒット曲やっともすぐにブルースに戻る。アコギでもギター変えてもやっぱりブルース。

それを確認するかのように。

そしてオーディエンスに教えるかのように。「きみたちはブルースを聞きにきたんだろう?」と言わんばかり。

このこだわりというか、しつこさというか、ブルースに入っちゃったんだろうな。

ブルース最高の僕はうれしかった。

クラプトンといえば白人ブルースを確立したミュージシャンと評されるけれど、黒人になりきっていた。

ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズに。

最高にコンプレックスだろうな。

それで僕たちは喜んでいるわけだけど。

そんなに武道館でやんなくてもと思うけど、ギター弾いて歌うのが楽しくてしょうがないんだと思う。

土日にはついにジェフ・ベックとの共演だけど、これだって本人たちが一番楽しんでいると思う。

なんせ2人でマディ・ウォーターズを弾いて喜んでいるらしいから。

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2009年2月11日 (水)

「卒業」を見てロケ地を想像しました

またまたBSで録画しました。

ダスティン・ホフマンの「卒業」です。

カリフォルニアです。

アメグラより南ですね。

バークレーですがほとんど南カリフォルニア大学がロケ地です。

サンフランシスコ動物園も出てた。

エレーンの結婚式で花嫁を奪うシーンが有名です。

ユナイテッド・メソジスト教会。オレンジ・カウンティ。

United Methodist Church of La Verne, 3205 D Street, La Verne

ちょっと前に永島敏行がテレビで訪問していました。

本当は外階段はない。

映画の中ではサンタバーバラです。

ベンジャミンは、アルファ・ロメオで乗り付けたガソリンスタンドで新郎の実家であるスミス医院に電話して教会を聞き出します。

字幕では「第一長老派教会。アラン通りの」

たしかにプレズビテリアンと言っています。

ロケはメソジストの教会を劇中では長老派に変えたわけです。

たしかにメソジスト派と長老派は、改革派(カルヴァン派)とルター派のように近いものですから。

メソジストのジョン・ウェスレーは青山学院大学の新しいウェスレー棟に像があります。

カルヴァン派についてはまた明日書きます。

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2009年1月22日 (木)

ホリケンって

ホリケンって。

ネプチューンの。

何が面白いの?

観ていて辛くなるのは僕だけなのか。

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2008年12月14日 (日)

日本文化で1つだけ波長の合わないもの

日本文化を知るイヤーも2年目です。

いろいろ体験してきました。

でも1つだけどうしても体が反応しないものがあります。

別に嫌いじゃあないし、たまにだとOKなのです。が、こればっかりになると辛い。

それは邦楽なんです。

雅楽、能楽、浄瑠璃、唄、民謡、詩吟、和楽器なんか。

どれも悪くはない。

TPOにあっていれば心から良いと思う。

でもリズムとかビートで飽きてしまう。

ロック、ソウル、ブルース、R&B、ヒップホップで育った僕には遠すぎる。

いくら頭で考えてもやはりダメだった。

ジャズ、クラッシック、ポピュラー、イージーリスニングではOKなのに。

隣に座った方にしゃべったら「私もジャズは聴くが同感です」

聞けば海外駐在の長い方でした。

前に座った方に質問したところ「そりゃあキミ、ワビサビがわからんちゅうことだね」といなされてしまいました。

別にワビサビのこととは違うと思うのですが。

まあ、話は通じないと思ったのでやめました。

前の先輩はロックやジャズは聴かないんだから比較もできないと思う。

じゃあ邦楽が高い評価をされたり世界的なヒット曲ができたりすることはないと思う。

物好きな外人さんとか日本ビイキとかオリエンタルムードに浸りたいだけだと思う。

生活に密着した聴かれ方、たとえば朝起きてすぐ邦楽聴くとか、車の中で邦楽聴くとか、楽しいときにみんなで邦楽とか、i-podで「No Hougaku No life」とかは絶対にないと思う。

少なくとも非日常であって、良しとするならその点だけかもしれない。

すみませんワビサビのわからん人間で。

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2008年12月13日 (土)

甲府にもあった瞽女組合

遠藤実さんが亡くなりました。

日経新聞の私の履歴書に連載がありました。

その中で新潟時代の極貧の中、門付けやの話がありました。

新潟といえば瞽女(ごぜ)もあります。

これは三味線を携え農村・山村を巡る盲目の女性遊行芸人のこと。

これは甲府にも大きい集団があったそうです。

ウキペディアには「甲府の横近習町・飯田新町の総数200人を超える大きな組も存在し」と書いてありました。

戦後唯一残ったのは長岡瞽女で選択無形文化財になった小林ハルが有名です。

彼女はNHKの1983年のアーカイブがあるはずです。知ってるつもりでも紹介されています。

綾瀬はるかの「ICHI」も瞽女でしたね。

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2008年11月29日 (土)

やはりラップだった吉幾三

吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」

やはり黒人ラップからインスパイヤーされていたんですね。

今日の朝日新聞「Be」にありました。

このブログで日本のラップ史について書いたことがあります。

2007年4月22日(日)「ラップが一般的になったのはいつか?」。

この中で日本で最初ではありませんが、「ザ・ベストテン」でお茶の間にラップを流したのは風見慎吾に続くものということになります。

記事によると板前のバイトをやっていた入院中に先輩の板前が渡米して中古レコードを20枚ほど送ってくれたそうです。

その中に奇妙な「歌じゃない。黒人がただしゃべってるんだ」というラップだったそうです。

退院後に作った曲に調子を乗せたらそれがラップだったのです。

当初、千昌夫に提供するつもりで千も乗り気だったけどイメージが合わないということで吉が歌うことになった。

ニッカボッカーに刺しバンテン、鉢巻きに雪駄。

和製ラップは大受けで85年上半期有線大賞も受賞しました。

今、歌詞を読んでみると面白い。

「レーザーディスクは何者だ?」

そういえばカフェバーやカラオケにはレーザーでした。

今の若い人も「何者?」と言われそうですが。

「銀座に山買うだ」

バブルに突入していく時期。やはり不動産だったわけね。

この後、千昌夫は「歌う不動産屋」になるわけだけど。

クラブや動画サイトでは吉のサンプリングが人気らしい。

まあ左とん平「ヘイ・ユー・ブルース」とか三波春夫とかの延長線上ともいえますが。

吉さんの新曲「NDA(んだ)!」はレゲエ調だそうです。

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2008年11月24日 (月)

外人コンサートのMC

外人コンサートのMC。

曲の途中でマイクでしゃべる。

結構、ちょっとしたジョークを飛ばす。

先週のビリー・ジョエルもそうだった。

数発やってけど観客は全然笑わなかった。

そういう英会話のCMあったよね。

こういう時は笑ったほうがツラい思いをする。

「お主英語できるな。いい気になんなよ」みたいな。特にファンは怖い。

現地の映画で爆笑の中「???」となってツラい思いをした人も多いのでは。

講演会とかプレゼンでもある。

昔からそうだったし今もそう。

日本人の英語力が進歩ないのはこれでもわかる。

それでも英語の曲は聴いていただけいい。

最近の若い人々はJ-POPだからなあ。

そもそも外タレに行かないし。

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2008年10月21日 (火)

三国志ナイトで見られるもの

今、NHKで「BS熱中夜話 三国志ナイト」が放送されています。

木曜の夜中に3週に渡ってやっています。

番宣でエレキコミックの谷井一郎(やつい いちろう)が諸葛亮のコスプレで熱くしゃべっていました。

ちょうど読んでいた、島田裕巳著「日本の10大新宗教」(幻冬舎新書2007年)の6.創価学会のところに「・・・そして、名誉会長をはじめ会員たちは、中国の『三国志』や『水滸伝』を好む。」(P.137)と書いてありました。

なるほど・・・好きなんだ。

たしかに谷井は創価大学の落研の先輩後輩でエレキコミックを結成しています。

創価大学出身者には長井秀和、モンキッキー、ナイツ(はなわ=学会員の実弟)、ワハハ本舗(久本雅美、柴田理恵)、ホーキング青山などお笑い関係者もたくさんいます。

BSでたくさん見られるかもよ(何が?)。

僕は興味無いけど。

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2008年7月11日 (金)

印象深いコカコーラのCM

コカ・コーラCMのDVDが出るらしい。

最近、いくつかの情報番組で取りあげられています。

どれも永ちゃんと早見優が必ず紹介されますが、僕はそれほどの印象はない。

一番古いので記憶しているのはグレン・キャンベル。

そういえば76年頃にはアタリ社のテレビゲームがもらえた。

本当に初期のビデオゲームだったよね。

あとヨーヨーとかもあった。

ノベルティを集めるのもはやった。

何しろ学生のバイトでも人気があった。時給は安かったけど。

CMで最も印象にあるのは、1987年の

「I feel Coke」

歌は佐藤竹善(当時まだ「Sing Like Talking」はデビュー前)

YouTubeでいっぱいみられる。

最近の資生堂TSUBAKIのCMはここからパクッたのでは?(ちょうど僕らの世代が広告代理店でつくる時代になったということか)

モデルはケン・ブレニスという日米ハーフのアメリカ人モデル。

下手するとメガネが羽賀健二似ですが。

1961年生まれだから僕と同じ年代。

女性はもちろん松本孝美。

初代CM女王だと思っていたのは僕だけかと思ったら一般的にも言われているらしい。やっぱし。

86年ANA沖縄キャンペーンでデビュー。

2人のは上田正樹の歌う88年バージョン

ハイ・ファイ・セットの歌うバージョンもあった。

伊原剛志とか唐沢寿明とかも出ているね。

バブル経済突進中の世の中で服とかカチっとしたスーツなんかちょっとバブリーで笑っちゃう。

ヘアスタイルは女性は長くて男は短かったね。

まだ良い時代だった。

ちなみにケンはこの後国へ帰りました。

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2008年7月 3日 (木)

芸能人が芸能人に怒られた

テレビを見ていて芸能人が芸能人に怒られているのを見ることがあります。

僕の覚えているのは2つ。

1つめは、田代まさし。マーシーね。

これは新春かくし芸大会。

石塚とかサマーズとかといっしょにダンスを踊った後。

つまんないギャグをやったところ、植木等にワナワナ顔で怒られた。

淡谷のり子に怒られる清水アキラだとこういう場合でもちょっと笑いがある。

ところが、この間の田代といえば本気でウツ状態のようになってしまった。

本人はミュージシャンだったのに司会やったりコントやって「自分は真のお笑いではない」というコンプレックスがあったに違いない。

これを正月に多くの同業人の前で植木に指摘されてしまったのだった。

もっとも植木もミュージシャン上がり(下がり?)だから同じものを感じたのかも。

これ以降の田代の迷走は書く必要もないか。

もう一つは、オールナイターズ出身の2人組「おかわりシスターズ」が番組に遅刻しました。

それで司会の藤村俊二に放送中に怒られました。

素人出身でプロ意識の欠如した行動ですから怒るというもの。

でも視聴者から見ると「放送でそんなに怒らなくても」「藤村俊二って何者よー」という印象でした。

怒られる方も怒られる方ですけど、怒る方もなんか器量が小さくみえました。

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2008年6月30日 (月)

エド・はるみのエドって

急に出てきたエド・はるみ。

それにしても妙な芸名。

エドはエド・サリバン・ショウのエドとの説明が多い。

たしかに「一つはカタカナを混ぜて、無国籍っぽい印象にしたかったんです。」「もう一つは、エド・サリバンという人がいましたが、ああいう方のようなエンターテイナーになりたいな、という思いで付けました。」(毎日新聞5月24日)とインタビューに答えている。

でも僕の記憶が確かなら、ブレーク最初の頃は「江戸アケミ」から取ったと言っていたと思う。

JAGATARA(じゃがたら)という80年代に知る人ぞ知るインディーズ・バンドのボーカル。

僕とエド・はるみはだいたい同じ世代だから当時のインディーズ・ブームに巻き込まれていたのがわかる。(後のバンド・ブームにつながる)

途中、江戸は精神分裂して活動を中止していました。

1990年に入浴中に溺死しました。

本名の苗字が江戸で下が正孝(まさたか)。

アケミはどこから来たかには、キャバレーのホステスの源氏名と言っていました。

江戸は明治大学文学部卒です。

エド・はるみも明治大学文学部卒。

11歳違いだからキャンパスであったことはないと思う。

でも2人とも同じ大学学部でアングラ芸術系だったわけで影響がないとは考えにくい。

つまり、本当は江戸アケミから取ったけど、今となっては(たとえ当時であっても)どうせわかんないし説明が面倒くさいので適当な話に変えたのではないかと思う。

まあエドっていう音が面白いのかもしれないけど。

エド山口のほうは江戸っ子から取ったらしいけど。関係ない。

実際、エド・サリバンのほうは、単なるじいちゃんのつまらない保守的な司会者だっただけで、エンターテナーでもないし、かっこよくもないし、面白くも無かった。

無表情で個性ゼロというのをおちょくられていたくらいです。

こんな人から影響を受けるわけないし、名前をとるはずもないと思います。

それにしても苗字はともかく、名前の「××美」「○○子」という名前も僕たちの世代が最後かと思います。

皇族を除けば絶滅危惧種。

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2008年6月20日 (金)

ペラペラ証言するタクシー運転手

あれどうなのかねえ。

ある芸能人カップルがお忍びで九州のある地方の実家を訪ねた話。

もちろんワイドショーなんかで取りあげます。

それにタクシーの運転手さんなんかがペラペラ細かい様子をしゃべる。

観光先のおばちゃんなんかもしゃべるしゃべる。

田舎はこれだから困る。

大喜びでインタビューに応えている。

しゃべりたくなるのも分かるけど。

こうした人にはプロ意識ってものがないのかねえ。サービス業としての。

都会のお店とかホテルとかテーマパークとか航空機など一流なサービス業では有り得ないと思います。

もちろん医者とか弁護士とかを見てもわかるけど、高い職業意識のあるところにはモラルと守秘義務があるはずです。

会社とかも彼らに事前に注意しておいたほうが良いと思う。

いい大人に注意するのもなんですけどこのレベルじゃあねえ。

なんでこんな事をいちいち注意しないとわかんないのか。

結局、こんなところには誰も行きたくなくなるでしょ。

有名人じゃなくたってね。

こんなことしているから三流の観光地のままだと思う。

福岡県の柳川を反面教師にせよ。

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2008年6月 3日 (火)

月曜日の雨の日に思う30年前の事件とアフリカ救済

昨日は雨の月曜でした。

1979年1月29日(月)サンディエゴの16歳の少女が自宅の向かいにあるクリーブランド小学校でライフル銃を乱射しました。

2人死亡。8人を含む9人負傷。

犯人は問われて「月曜日は嫌い」と答えました。

みんな月曜日は好きじゃない。

カーペンターズ「月曜日と雨の日は」、サザエさん症候群とか。

この事件は全世界に衝撃を与えましたが僕も大きなショックを受けました。

この2ヵ月後にカリフォルニアに行く準備をしていたのですから。

朝日新聞にも大きく載りました。

犯人はブレンダ・アン・スペンサー。

僕と同級。

おそらくブレンダは、翌年の12月8日のマーク・チャップマン(1955年5月10日生)、翌々年3月30日のジョン・ヒンクリー・Jr(1955年5月29日生)までは一番有名な犯人だったはずです。

この事件に触発されたダブリンの28歳(スティングと3日違い)のミュージシャンがいました。

ボブ・ゲルドフです。

先週横浜「第4回アフリカ開発会議」でボノ(ダブリン出身)の横に座っていた目の鋭い男です。

もちろんU2やボノは大スターですし、慶應大学は名誉博士号を授与するし、福田首相も会うし。

でも影の仕掛け人はこの口の悪いパンク精神を持ったアイリッシュなのです。

彼はすぐに「I Don't Like Mondays(邦題:哀愁のマンデイ)」をつくって1ヶ月もしないうちにサンディエゴで演奏しました。

7月にリリース、全英1位になりました。

まだパンクがくすぶっていた頃のパンク/ニューウェーブのバンド「The Boomtown Rats」です。

この曲は彼らの2曲目の大ヒットになります。

1980年83年に来日しています。

ボブは1981年のアムネスティ主催のシークレット・ポリスマンズ・アザー・ボール」コンサートに参加してチャリティに目覚めました。

エチオピア飢饉を見たボブは、ミッジ・ユーロ(ウルトラヴォックス)と共に「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」(Do They Know It's Christmas?) を作曲しました。

1984年にはバンド・エイドを企画、翌年にはライブ・エイドを敢行。

これはアメリカに飛び火して有名な「USA for africa」となります。

ボブ自身もコーラスで参加しています。

これでボブはナイト爵位を与えられ「サー・ボブ・ゲルドフ」となります。

「哀愁のマンデイ」は1994年には再リリースされ95年にはボン・ジョヴィによってカヴァーされています。2000年になってからもトーリ・エイモス、G4などもカヴァーしています。

2006年にはノーベル平和賞のノミネート。

反ユーロなのでヨーロッパ諸国には頼まない。

バンドは1986年に解散しています。

そうそう、犯人のブレンダは25年以上の終身刑で現在も服役しています。

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2008年3月14日 (金)

サスペンスものはびっくり俳優が主役

演技には「泣く」「笑う」「怒る」などあります。

きっとオーディションではこういう基本的な演技をしてもらうんでしょうね。

劇団の練習とかも。

きっと俳優さんはどれも上手に違いありません。

僕が気になるのは「びっくりした」表情なんです。

これが絵になる俳優さんというのは主役になれると思います。

たとえばハリソン・フォードを見ると「びっくり俳優」だなあと思います。

追い詰められた主人公とかが良く似合います。

事件に巻き込まれるサスペンスとか冒険ものとか。

あるいは不幸な展開に打ちひしがれる主人公なんか。

やっぱり主人公には庶民性とかがあって観客に感情移入してもらいたいものです。

びっくり俳優はこれに合致すると思うのです。

僕の基準で他の「びっくり俳優」をちょっと思い出してみると。

アンドリュー・マッカーシー。

日本では堂本剛。

女の人は直ぐに思い出せない。

やっぱり僕が男だからかなあ。

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2008年2月18日 (月)

武士語は来ると思った

武士語が来ているらしい。侍言葉。

ルー語の次に。変換サイトもあるらしい。

大河ドラマの「風林火山」を観ていた時、今使ったら面白いなあと思いました。

『使ってみたい武士の日本語』という本も出ているらしい。

「あなた→お主」

「まったく不思議だ→面妖な」

「とてもうれしく思います→恐悦至極」

「また妙なことを→異なこと」

この辺になるとサニー千葉の顔が出てくる。

この他、方言も混じって、「急いでいる→せいてる」「やってはいけない→それはいけん」「子供→ぼこ」「ごもっとも→御意(ぎょい)」

内野聖陽と高橋和也が出てくる。

「平社員→平侍」とか「デモ→一揆」「クッキー→南蛮風せんべい」と言うのは、ちょっと僕の考えと違うんじゃないかなあ。

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2008年2月14日 (木)

ザ・ポリス再結成ライブに行った

以前、ポリスに興味が無くなった話を書きましたが、ライブに行ってしまいました。

友人がチケットを多く買いすぎたということで。

東京ドームのアリーナの後ろの方。

観客は僕たちと同年代。

何故か外人が多い。おそらくこのために旅行に来たのでは?さすがユーロ高。

始まる前からビール飲みすぎ。トイレが混んでいました。

意外と、と言っては失礼だけどよかった。満足しました。

3人だけ。

うまい。

やはりアンディ・サマーズがいるのがいい。

なんと当年66歳。ポール・マッカートニーと同い歳。

これはスティングがベースをやりながら歌うのがポリスが3人で厚みが出るポイントだと思う。

ベースを弾きながら歌うのはしんどい。ポールとそれを真似した矢沢永吉くらいか。

3ピースでもレミオロメンやライバルだったザ・ジャムなんかはギターが歌うのでどうしても歌とギターが分かれてしまうし、フロントマンだけが目立ってしまう。

しかも2人はほとんど歌わないので、スティングがコーラス部分まで歌う始末。

省エネ。器用。でも厚みがあるのは不思議としかいいようがない。

それにしてもアンディは小さい。

スティングは57歳。

少し歳をとったけど、体型や顔つきは全然変わらない。声も。

これはすごい。むかしローリングストーンズが40歳でツアー回ったとき、「動けるか?」などと言われていたのを考えるとロックも長くできるようになったもんだ。

ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダ・ダ・ダは湯川れい子(和田アキコ声)でやるかと思ったけどやらなかった。

でも心なしか恥ずかしそうだった。やはりスティングも大人になったということか。

スチュワート・コープランド(56歳)は眼鏡を掛けてはいたけど、大学生のような若さでかわらなかった。

曲はヒットしたものばかりなので盛り上がらないわけはありません。

僕としてはデビューアルバムOutlandos d'Amourからの「Can't Stand Losing You」「So Lonely」なんかの縦ノリからレゲエ・テイストが良かった。

もちろん「Roxanne」や高校学園祭で歌った「Message in a Bottle」もね。

ただ、東京ドームのせいかPAが悪いのか席が悪かったのか、音に広がりがなかったのが残念。

このライブ感覚が久しぶりでした。

もしかして僕が行ったライブは、スティーリー・ダン初来日の代々木以来?調べたら1994年。

14年ぶり?そんなバカな。まさか勘違いだと思うが。思い出してみよう。

何しろ再結成ものがやたら多いらしくて、配られていたチラシもTOTO+BOZ、シカゴ+ヒューイ・ルイス、エイジア、ナイトレンジャーとか。

どれも高い。

でも大人になった僕たちは払ってしまうから、稼ぎにくるんだろうな。

ツェッペリンやザ・フーなら行きたい。

ヒューイ・ルイスだと正直微妙だよね。

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2008年1月25日 (金)

事実婚で出生率増のフランスに学べ?

先週のニュースです。

フランスでは事実婚による子供の法的権利とか税務上の優遇を認めたところ、出生率は2近くまで回復したとのことです。

結婚には二の足を踏むカップルでも子供だけは欲しい。でもいろいろ不利になっていたらしい、という特集。

「日本でもそういう選択ができればいいと思う女性は多いのでしょうね」とニュースステーションの古館氏。

隣の女性も大きくうなづいていました。

もし事実婚を認めるような制度が進めばフランスのように出生率が上がりそうなれば全てうまくいくと言うような口ぶり。

このニュースをぼうっと聞いていた僕ですが、「日本で本当にそうなるのかなあ?」「事実婚を強く望んでいて、そのために出産をためらっている女性が日本に大勢いるのか?」と考えました。

少なくとも僕のまわりにそんな人はいません。1人として思い浮かびません。

カップルに子供ができれば結婚しています。

考えれば考えるほど変なニュース。

僕だけしかそう思わないのかなあ。

それともマスコミ業界とかテレ朝とかオフィス・トゥ・ワンあたりでは普通なのか。

思い出すのは後藤久美子(ゴクミ)とアレジが結婚したとき、結婚するための書類とかが非常に面倒で事実婚にしたというもの。(今は入籍しているかもしれない)

これもよく考えると不思議な話です。

日本の感覚ならいくら書類が面倒でもそれだから結婚やめるなんてことしないでしょう。

どうもこういう報道には変なものが多い。というか何かを隠していると考えるのが普通。

僕はよく知らないし調べたこともないから以下は想像ですが。

まず、このベースには一度結婚すると離婚できないという主に宗教的な理由ではないでしょうか。

カトリックの。(これはアイルランドの出生率の高さのように出生自体にはプラスに作用かも)

本当の話は逆で、異常に離婚が多いのがこの問題の根底にあるのだと思う。

そうすると自分も恐らく離婚すであろうと心配するはず。

アレジはフランス人ですがシチリア出身のイタリア系です。もちろんカトリックの強い地域。

しかも前妻と離婚する前からゴクミとつきあっていたのでその慰謝料に再婚した場合のペナルティがオプションとして組み込まれている可能性もあります。

このように離婚できてもそのあと再婚が厳しいこともあるのかも。

そうすると入籍ということに二の足を踏むカップルがいてもおかしくはありません。男からも。

もう一つ日本と違う階層の問題。

フランスは移民が増加したのも出生率が増えた理由かもしれない。アメリカなんかも人口増加を支えているのはメキシコなどからのヒスパニック移民ですから。

実際、事実婚カップルは白人同士で出生率は高くないそうです。

むしろ貧困と低学歴という負の弊害が出始める。

つまり、事実婚ではなく移民がむしろ出生率の増加に寄与している可能性もあります。

もしこういう風なものが根底にあるとすれば、日本に事実婚を認める制度をつくっても出生率が上がるとは思えませんし、それがいいことなのかわかりません。

以上は僕の考えですが、この当たりまで踏み込んで紹介してほしい。

いすれにしても日本のニュースは表面だけな気がします。

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2007年12月28日 (金)

初代市川團十郎はどこの生まれか?

市川團十郎。

成田屋。

歌舞伎界で最も権威ある名跡のひとつです。

現在の團十郎は12代目です。白血病から復帰しました。

長男はいろいろ忙しい11代目海老蔵。

團十郎は1985年に襲名。その前は十代目海老蔵でした。

初代は1660年生まれで甲州武士の子孫であると言われています。

父親は非人であった説もあって、「乞食の重蔵」と呼ばれたそうです。

重蔵の代で江戸に出たとされています。

最初は海老蔵を名乗っていて後に團十郎に変えました。

狂言作者「三升屋兵庫」としても活躍しましたが、45歳で舞台上で刺殺されました。

歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗りました。だから屋号が「成田屋」なわけです。この前、團十郎が豆まきしていました。

JR成田線の久住駅で見かけた看板に「初代市川団十郎の墓 東光寺最寄り駅」とあり、江戸歌舞伎の荒事の創始者で成田市幡谷(下総国埴生郡幡谷村)出身の堀越重蔵の子として江戸に生まれたそうです。

ここにあるのは二代目が建てた初代の碑です。

山梨県の三珠町(現在の市川三郷町)に歌舞伎文化公園があります。ここは市川團十郎ゆかりの地ということでつくられました。

農面道路沿いの田舎に突如お城ができあがったので、どうせ「ふるさと創生1億円の使い道で無理やりつくったのだろう」と思っていました。

「それにしても何で歌舞伎なんだあ?」と。

「市川大門町に近いから無理無理で市川団十郎なのかなあ」とも。

初代市川團十郎の曾祖父に当たる堀越十郎が甲斐武田氏の武将,一条信龍に仕えていた、という史実に基づいて建設されたということです。

資料館のほか実際に歌舞伎の公演もできるそうです。

十代市川海老蔵丈が「十代・十一代團十郎は市川家(本姓・堀越家)祖先の地を顕彰したい,と願っていたが果たせなかった。私の十二代團十郎襲名を機会に実現したい」ということらしい。

碑文には「昭和59年11月吉日十代市川海老蔵」とあります。つまり1984年で團十郎襲名の直前ということになります。

しかし、ここは団十郎というよりは市川家(本姓は堀越家)発祥の地ということです。

なぜ、ここが「市川団十郎発祥の地」ということにしたのか、またそれにこだわったのかはわかりませんが、郷士としての武士のプライドは家系を遡りたくなるのかもしれません。

山梨にありがちですが、年末年始はお休みです。はーあ。

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2007年12月25日 (火)

日本文化を知る今年も暮れようとしたので

今年は日本文化を知る年にするという意気込みを書きました。

もう年の瀬になってしまいました。

そこで駆け込みました。

まず、歌舞伎座へ。Imgp1818

一幕見(ひとまくみ)というので観ようとしました。Imgp1813

昼の部と夜の部にそれぞれ3~4つの演目があるのですが、このうち1つだけを4階の自由席で観ることです。

前売りや予約はないので専用の切符売り場での当日販売のみです。

ブロードウェイのマチネ感覚で観れます。

「水天宮利生深川」というのは勘三郎なので混雑が予想されます。

「信濃路紅葉鬼揃(しなのじもみじおにぞろい)」です。Imgp1815

こっちがちょうど始まるのがあったので駆け込みました。

玉三郎、勘太郎、海老蔵などです。

能の紅葉狩を歌舞伎化したものです。900円でした。

4階は外人さんに囲まれてしまいました。

最初はゆっくりとしたリズムでノリが悪く「どうしようこのまま終わったら」と心配しましたが、だんだんテンポ良く華やかになってきてうれしくなりました。

オーワンダフルって感じ。外人さんも喜んでいました。

その後は、新宿末広亭へ。

こちらは2700円ですが、昼夜通しで観ることもできます。Imgp1821

中は意外と狭い。座敷は両側にあります。

写真は不可と言われてしまいました。

落語あり、漫才あり、曲芸ありです。

三遊亭歌之介は爆笑だった。

この人はほとんどテレビに出ない人らしく海賊版まで出回っているらしい。

こういう芸人っているんだあ。感心した。

途中でタバコ臭いなあと思ったら、喫煙コーナーから煙がもうもう。

これはどうにかして欲しい。

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2007年12月20日 (木)

今年の大河ドラマから変わったのは・・・

大河ドラマ「風林火山」の続きを。

ちょっと気づいたのは役者さんの歯が綺麗になったこと。

ホワイトニングが一般化したのはいいけど、時代劇だけに違和感あり。

戦国時代にあんなに綺麗な歯なわけないし。

北朝鮮から帰国した拉致被害者の歯はボロボロだったのを思い出す。

これはハリウッドでも時代設定によっては同じことがありそうだね。

なにしろ後世に伝えるべきは、「歯の綺麗な時代劇になったのは『風林火山』あたり」ということかな。

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2007年12月17日 (月)

19年後の大河ドラマに僕は出る!

「風林火山」が最終回でした。

1年間楽しみました。

山梨も盛り上がったみたいで何よりです。

ところで大河の武田ものと言えば、

まず1969年の「天と地と」海音寺潮五郎(石坂浩二と高橋幸治)

1988年の「武田信玄」新田次郎(中井貴一と柴田恭平)

そして2007年の「風林火山」井上靖。

つまり19年サイクルで武田×上杉になるということです。

そうすると次は2026年。

このとき僕は出演していると思う。というか出してくれ。

武田二十四将の穴山信君とか評判悪いのでいいから。

なお3作のうち複数に出演した人は、

加藤武、藤村志保、杉良太郎、宍戸開、西岡徳馬、大門正明。

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2007年12月 5日 (水)

パフュームのポリリズムでテイク・ファイブとキングクリムゾンを思い出した

テイク・ファイブっていう曲ありますよね。

59年のジャズの名曲です。

アリナミンVのCMで流れてた。

テイク・ファイブは「ちょっと(5分間)休憩しよう」って言う意味です。

曲名のとおり5拍子です。(4分の5拍子)

5拍子の曲というのは少ないと思います(あと思い出すのは本多俊之の「マルサの女」のテーマ曲か)。

5拍子の場合、2+3か3+2がありますが、この曲は3+2です。

ちなみに曲の長さは5分と24秒になっています。

なんで思い出したかというと、パフューム(Perfume)というアイドルの歌う「ポリリズム」という歌が耳に残っていたからなんです。

このグループは広島出身の女の子3人組で踊りながらテクノポップを歌うのです。

あのアクターズスタジオ広島の第1期生でローカルアイドルとして活動していました。

中学卒業と同時に上京してアミューズに所属して中田ヤスタカがプロデューサーになりました。

2005年9月メジャーデビュー。

その第5段シングルが「ポリリズム」。今年の9月発売。

7月からはNHKや公共広告機構の「エコマーク」のCM曲に。

この間奏がポリリズムになっています。

パートによって拍の位置が違うので独特のリズムが生まれます。

僕は、イエスやキングクリムゾンのドラマーだったビル・ブラッフォードを思い出します。

イエスの「こわれもの」

クリムゾンが81年に来日したときは、ベースにトニー・レヴィン、ギターはエイドリアン・ブリューとロバート・フィリップ。

えらくリズム感のいいバンドだった。

ちなみに拍とリズムは違うって知ってた?

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2007年10月20日 (土)

木原美知子さん急死でショックな人たち

木曜日に木原美知子さん(芸名は木原光知子)さんが急死しました。

59歳の若さです。

水泳のコーチですし、元モデルでスタイルは良い。

健康や食べ物には人一倍気をつけていたそう。

倒れたときもプールでコーチ中で大勢の人が居たわけで、すぐ病院に運ばれましたがダメでした。

先週も大会で委員長と司会をやって元気だったそう。

直前にもみんなに「がんばろうー」と声を掛けていたということです。

これで亡くなってしまうなんて。

ショックなのはこの年齢前後の人たち。

こんな人でも突然亡くなってしまうものかと。

じゃ自分はどうなんだ。

食べて太って運動なし。

最近は元気もないし、健康にも気をつけていない。

元々体も鍛えてこなかった。

仕事は張り合いないし。

自分なんていつ倒れてもおかしくない。

気をつけても無駄なのか?

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2007年10月17日 (水)

千住明の風林火山の作曲秘話

NHKの昼の番組に作曲家の千住明氏がゲストで出ていました。

大河ドラマ「風林火山」の音楽を作曲しています。

今回の大河は音楽が素晴らしく僕も「千住さんの代表作品になるのでは」と思っていたのですが、本人も相当満足のデキらしく、ドラマ自体の評判も高いのでハイテンションでした。

タイトル曲は2曲候補があって悩んでお母様に聞いてもらったとのこと。

最初の曲が良いが、後の曲は「馬が走れば」こっちが越えるという回答。

最終的に後者を変えたのですが、その修正方法を電子ピアノで引きながら譜面で説明してくれました。

お母様は「馬が走るどころか耳が見えた」とおっしゃたそうです。

それらのデモテープも聞かせてくれました。

僕はこの辺に興味があるので、大変面白く観ました。

完成後、山梨のロケ現場にまでラジカセを持ってかけつけるのですが、その道中100回は聞いて「何度聞いても感動した」ので成功したと思ったとのこと。これはスティービー・ワンダー流らしいです。

現場はこれで1つになれた、ということです。

もちろん、タイトル曲にピアノとストリングスによる別バージョンも生でやってくれました。

わりあい良くしゃべる方です。

ドラマにもちょい役で出るそうです。

それにしてもアナウンサーの武内陶子さんがでしゃばって素っ頓狂な声で横入りするので本当にじゃまでした。

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2007年10月 3日 (水)

松尾貴史のお兄さんてあの人?

さっきクイズタイムショックで優勝した松尾貴史氏。

キッチュ。

出てきた頃はモノマネだった。

中島らものリリパット・アーミーにもいたよね。

1960年5月11日生まれ。

僕はこの人のお兄さんは「西川りゅうじん」だと思っていた。

マーケティング専門の。

アッシー・メッシー、コヤジとかジモティ

思っていたどころではなく確信していました。

同じ神戸市出身。でなんとなく顔も似ているし。

仕事も何でもやっているし、何で食べているのか分からないあたりはそっくりだし。

ところが西川氏は1960年10月20生まれ。

同じ年に生まれたと聞いて、双子だったか?と思い直しました。

でも月日が全然違います。

しかも松尾氏のほうが早いではありませんか!

えーずっと間違っていたのお?

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2007年9月30日 (日)

八代町の温泉はふるさと公園に

温泉ブームで日帰りの公営温泉がたくさんできました。

民業圧迫ではないかと心配になります。

山梨でも「みたまの湯」などTVで紹介されるほどです。

むかしは湯の質がいいとか悪いとか温泉場の評価や人気が決まることが多かったと思います。

でもほったらかしの湯以来、絶景の露天風呂でないとダメです。

つまり、お湯の質よりロケーションなんです。

ボーリング技術の発達でどこからでも出るようになったので、どこに造るか選択肢は増えました。

御坂町はかなり西側の平地につくりましたが、博物館との一体として考えたのでしょう。

石和町は鵜飼橋の東で温泉街とは離れています。政治的なものがあったのかもしれません。

一宮町は初期の人気温泉で高台からのロケーションがいいと思いました。

さて八代町もどこに掘るのかで揉めました。

でもロケーションを考えると「ふるさと公園」近くの一体開発がいいと思います。

前に、甲府盆地のどこに住めば富士山が良く見えるか探したことがあります。

でも、南アルプスや八ヶ岳が見える盆地東側から南側(勝沼から三珠)のロケーションは最高という結論に達しました。

富士山は見えないけど。

その地に住んだ祖先はえらい、と。

そういえば「みたまの湯」に出ていた五月みどりさんは、バブルの少し前に八代町役場に訪れ、あの山を買いたいとおっしゃったそうです。

あの辺、まだ未練があるのかも。

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2007年9月13日 (木)

ジョー・ストラマーありがとう

渋谷で映画「LONDON CALLING The Life of Joe Strummer」を観ました。

原題は 「JOE STRUMMER : THE FUTURE IS UNWRITTEN」

監督はジュリアン・テンプル

僕のアイドルだったパンク・バンドThe Clash のフロント ジョー・ストラマーのドキュメンタリーです。

2002年の12月23日に50歳で心臓発作で亡くなってしまいました。

曲を聴くと当時を思い出します。ぐっときます。

チラシにはクラッシュのデビュー30周年とありました。あー30年かあ。

ボノはクラッシュにショックを受け、クラッシュのようなバンドU2をつくったと熱く語ります。ニカラグアのサンディニスタ政権なんてクラッシュから教わったと。

マーティン・スコセッシは「レイジング・ブル」の音楽はクラッシュから取ったと教えます。

俳優のジョニー・デップ(63年生)、、ジョン・キューザック(66年生)、マット・ディロン(64年生)といった面々は僕と同じショックを受けていました。なんだかうれしい。

そうかジョーはジム・ジャームッシュの「ミステリー・トレイン」に出ていたな。

ミック・ジョーンズは大丈夫か?やばい。

トッパー・ヒードン、パールハーバーなどNHKヤングミュージックショー以来でした。

アメリカ進出の前座はグランドマスター・フラッシュだったのかあ。

失踪事件は話題づくりだったのね。

父はインド系の外交官でバンドで1人だけ中産階級でパブリック・スクール出を恥じていたらしい。

兄の自殺でトラウマに。

左利きなのに右でギターを習ってしまってstrumming (いい加減)な演奏しかできないのでこの名前にしたらしい。

観ているうちにキャロルと矢沢永吉に見えるときがありました。永ちゃんのほうが3つ上だけど。そういえば「成り上がり」で「俺達よっぽどパンクだったよ」みたいな文があったよね。

ジョーのしゃべりはラジオ番組「Joe Strummer's London Calling」の音源でした。

マネージャーのバーニー・ローズの電話のような語りはなんなんだろう?

死の1ヶ月前に、消防士のためのチャリティでミック・ジョーンズと「白い暴動」をギグりました。ジーンときました。

ミックは「いつかロックの殿堂でやるかと思っていたんだけど・・・」小さなクラブでクラッシュらしかったなあ。

僕にとってはまさに青春映画でした。

ありがとうジョー!

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2007年9月11日 (火)

フランシーヌの場合はビアフラ戦争

新谷のり子の「フランシーヌの場合」という歌は覚えていますが、何の歌だったっけ?

新谷は学生運動の闘士で三里塚闘争に参加したの後、この歌をヒットさせました。

「フランシーヌの場合は、あまりにもおバカさん。3月30日の日曜日パリの朝に燃えたいのちひとつフランシーヌ」

僕は7歳だったのですが歌詞はよく覚えています。

これはフランシーヌ・ルコントという女性がパリで政治抗議して焼身自殺した事件のことを歌ったものです。

抗議したのはべトナム戦争とビアフラ内戦による飢餓です。

彼女は精神を病んでいたと言われています。

ビアフラを知らないって?

1967年ナイジェリアのイボ族が軍事政権に反発し東部州を独立宣言しました。これがビアフラ共和国の建国です。

ナイジェリア政府は経済封鎖し7月6日戦争状態になりました。民族対立と石油利権が原因とされています。

1970年にビアフラは滅亡しました。

閉じ込められたとき200万人の餓死者を出しました。

この映像は子供の僕にはショッキングなものでした。映像が伝える最も悲惨な戦争状況ではなかったでしょうか。それが2年半続いたのです。

子供たちはお腹がぷっくり膨らんで死んでゆくのです。

「あまりに食べないとお腹が大きくなるのかあ」「宮入貝(山梨の地方病)みたいだなあ」

不謹慎にも食べ過ぎたときはお腹を突き出して「ビアフラ!ビアフラ!」と遊んでいました。すみません。

これをルポしたのはBBC特派員だったフレデリック・フォーサイスで「ビアフラ物語」を出版しました。映画化された「戦争の犬たち」もビアフラをモデルにしています。

この頃は妙な歌謡曲が歌われました。

1970年2月左ト全がバックコーラスのひまわりキティーズと歌ったのが「老人と子供のポルカ」という歌。

「やめてけれ、やめてけれ、やめてけーれゲバゲバ」

このゲバというのはゲバルトで学生運動や過激派の流血の時代だったのです。

2番は「やめてけれジコジコ」これは交通事故

3番は「やめてけれストスト」ストライキね。

コーラスにはLe Coupleのemiが入っていたのは話題になりました。

左は翌年に亡くなりました。

1970年の世界歌謡祭でグランプリを受賞したのはヘドバとダビデというイスラエル人デュオの「ナオミの夢」です。

スーパーモデルのナオミ・キャンベルのようにどうして日本のナオミが出てくるのか不思議に思いますが、ダビデとかナオミというのは旧約聖書に出てくるよくある名前です。

同級の皆川おさむがヒットさせた「黒ネコのタンゴ」なんてのもあったな。

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2007年8月31日 (金)

コマ大数学科で驚いた

昨夜のことです(正確には今日の未明)

飲んで帰ってきてテレビを見ました。

フジテレビの「たけしのコマネチ大学数学科」という番組です。

番組表では見たことがあったのですが、どうせ「世界の北野、足立区のたけし」「北野タレント名鑑」のような深夜放送のテレビ版のような番組だと思っていました。

「北野ファンクラブ」をルーツに持つ番組。

ところが、「今日の問題は、ベイズの定理」とタカがしゃべったのでびっくり仰天。

なにせ、その日の飲み会は研究者とベイジアン・アプローチを実務に活用する話だったので、一気に目が覚めました。

論争になったテレビのクイズ番組であるモンティ・ホール問題をコップで紹介していました。

なんなんだこの番組は。

しかも、ちゃんとベイズの問題が出題されて、たけしや現役東大生という女性たちが真剣に解いているではありませんか。

ベイズって何かキツネにつままれたようなものですが、たけしはやはりいい勘していました。(もちろんベイズの定理は使っていませんが)

過去の問題(58回)を見てみるとどれも簡単なものではありません。

感心しました。

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2007年7月30日 (月)

ご心配をお掛けいたしました。って使い方変じゃない?

最近、芸能人や政治家などが書面やコメントで謝罪することが多いですね。

謝罪なのに「皆様に、ご心配をお掛けいたしました」って変じゃない?

誰が何を心配したということなのでしょうか?

このときの言う対象は、自分の周りの人や知人に対して言っているとしか思えません。

謝るのは不特定多数のファンとか国民とか広く社会に対してでしょうが。

例えば、病気で入院したりして退院後に「ご心配をおかけしました」なら分かる。

事務所経費をごまかしたり、社会保険料のデータを消してしまったり、インサイダー取引や粉飾決算がバレたり、恐喝や飲酒運転でつかまったりして「ご心配をお掛けしました」はないと思う。

お前の事なんか誰も心配なんかしてないって。

普通に「ごめんなさい」って謝ればいいじゃん。

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2007年7月26日 (木)

町田康が布袋寅泰に殴られた

布袋寅泰は1962年2月1日群馬県高崎市生まれ。

町田康は1962年1月15日大阪府堺市生まれ。

僕は1962年9月生まれ。

でも1つ上の学年の2人。

早生まれ同士の同級生が殴る。

寅年生まれだから寅泰かい。僕も寅年。

町田康のパンク時代は町田町蔵だった。INUの。

僕も好きだったP.I.L.っぽかった。ジョン・ライドンの。

同じパンクスとしては正直「先越された」と思った。

石井聰亙の「爆裂都市 BURST CITY」に陣内や大江慎也と出てた。

しばらく見ないなあと思ったら「くっすん大黒」でびっくり。

「あの町蔵があ!?」

すぐ読みました。

そしたら芥川賞だもんね。

ちなみに町田さんはパンクロッカーでもパンクのボーカルでもなくて「パンク歌手」です。

新聞は正しいけど、ウキペディアには「パンクロック歌手」と間違っています。

富津の布袋の別荘って、FOB COOPの益永みつ枝さんの別荘もある。

近くに買ったのか、売ってもらったのか。

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2007年7月17日 (火)

顔が曲がっている人が多い

テレビのアナウンサーとかコメンテーター、解説者など出演者を見ると顔が曲がっている人が多い。

僕の友達でテレビを見ると「この人顔が曲がっているぞ」と言う人がいてそれ以来目につくようになりました。

テレビだと平面に映るからよけい強調されるのかもしれません。

日本人にはそういう傾向が出てきたのかもしれません。

噛みかたか、食事か。

カメラテストで見ないのかなあ。声とか感じ読めるとかだけじゃなくて。

俳優であれば気にして矯正するかもしれませんが、それ以外だと治さないかもね。

今度良く見てください。

気になりはじめますよ。

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2007年6月29日 (金)

なくて口癖

パイレーツの桑田のインタビューを聞いていて語尾の「・・・ね」というのが気になる。

まあ、これは巨人の頃から気になってはいましたけど。

「これじゃ田原俊彦みたいだ」

しゃべってる本人もバカみたいだけど、インタビュアーをバカにしているようにも聞こえる。

と言ったら、「あなたの場合もひどい」と切り返されてしまいました。

「えー僕に口癖があったって?」

「そう。気づいていないの?」

そういえば以前酔っ払ったとき「て言うか」を連発。

さすがにそのときは気づいてそれ以降気をつけました。

「て言うか」「てゆーか」を略して「つーか」も使ってしまうことが多い。

何が・・・て言うのか・・・自分でも意味わからん。

その自覚を話しました。

ところが「それじゃない」と言うではありませんか!

(友達に「てゆうかさん」がいたとのこと。)

え!それ以外に僕に口癖があったのかああ

実に驚きでした。

思い当たる言葉や言い方を考えてみましたがそうではないとのこと。

答えは「なんか」だそうです。

うーんたしかに言う。ごめん。

しかし、あまりに自然に使うので指摘されるまで自覚ありませんでした。

だもんだから、自分の口癖なんだっけ?とその後に何度も聞く始末。

僕の口癖「ていうか」「つーか」だったけ?

「違う。な・ん・か・」

しかも早く、短く発声して「なっか」とかが多いらしい。

子供の話に「なんか」が頭についていて変な癖だなあと思っていたら自分のせいだったのね。

よく考えると「なんか」ってなんだ?

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2007年6月 6日 (水)

ヘンなしゃべり方の人の口の構造はどうなっている?

最近、ヘンなしゃべり方というか、変な口の筋肉の動きの人が気になります。

と書いてもよく伝わらないと思いますので例を挙げます。

アンタッチャブルの山崎。

たむらけんじ。

民主党の枝野幸男。

なんか口の動きがへんなんだよね。

舌がつっかっかているというか。

共通なのは決して痩せている体型ではないこと。

細い人にはそういうしゃべり方の人は見たことない。

口の中に脂肪がつくとあーなるのかなあ。

不快とまでは言わないけど、僕はそこばっかり目がいってしまい、何をしゃべっているか聞いている余裕がありません。すみません。

かなり損していると思う。

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2007年5月18日 (金)

僕の注目している女性芸能人

昔から音楽とかタレントとかお笑いとかが売れるのを当てるのが得意です。

気づいたものを書きます。

モデル出身タレントも得意です。

今注目している女性としては。

①北川景子

②LIZA

です。

①は元SEVENTEEN専属モデルです。スターダストです。

すでに女優としてのキャリアもあるので知名度はあると思います。

でもブレークしているとまでは行っていないのではないでしょうか。

今年は来ると思います。

②のほうが「知る人ぞ知る」だと思います。

リーザと読みます。本名は野寄リーザ。ハンブルク生まれです。

僕はテレビのドイツ語会話で発見しました。もう2年目に入りました。

今もJJの専属です。

こちらはオスカーです。

まだ17歳!

この娘の場合、写真よりテレビのほうが全然良いということです。

これは長所なのか短所なのかわかりません。

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2007年5月17日 (木)

田中幸雄に失礼だろう

今夜田中幸雄選手が2000本安打を打ちました。

おめでとうございます。

思い出すのが2000年のシドニー・オリンピック。

テリー伊藤はテレビで「田中幸雄?誰なんだよ!知らないよ」と叫んだ。

失礼な人ですね。

僕は忘れません。

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2007年5月 3日 (木)

芸能人に地方出身者が多いのは?

不思議に思うことがあります。

これだけ人口が大都市に集中しているのに依然として芸能人は地方から出てくることです。

いろいろなレッスンやチャンスも大都会のほうが多いと思うのですが。

アイドル、モデル、俳優など小都市や田舎の人をよく見かけます。

東京、大阪、名古屋の出身者で十分な気がしますが、これはどうしてでしょう?

よく考えると高校野球やサッカー、スポーツでは必ずしも大都市の高校が強いことはありません。

大相撲など東京都出身は上位では栃東だけです。

これで引退されるとゼロになってしまいます。

もっとも都会っ子が相撲で一旗上げようとは思わないのかもしれません。

ですからリスクの高い芸能やスポーツにはハングリー精神が足りないのではという仮説が浮かび上がります。

もう一つは他にもやることが多いし、刺激もあるので、ある事に一筋とは成り難い気もします。

小利口に振舞って、要領よく生きていけば、そこそこ幸せになると考えても不思議はありません。

でもそれは錯覚で、田舎の人の印象が強いだけで実際は東京がかなり多いのかもしれません。

それでも文化人とかアーチスト、学者、などではどうなるでしょうか。

タレント名鑑などを調べて、人口比をとって時系列に並べてみると何かわかると思いますね。

でも、出身地を東京と偽る人も多いので気をつけよう。

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2007年4月22日 (日)

ラップが一般的になったのはいつか?

いまでは日本で普通に歌われているラップ・ミュージック。

まだ、ほとんど知られていなかった頃から聞いていた者としては隔世の感があります。

さて時代を遡って、ラップを追ってみましょう。

まず、1981年のスネークマン・ショーの「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」と山田邦子「邦子のかわい子ブリっ子~バスガイド編」が日本のラップの原型になりそうです。

1970年代の後半はディスコ・ブームがあって、イタリアの音楽プロデューサーのジョルジオ・モロダーが大活躍していました。

ミュンヘン・サウンドと呼ばれ、そのテンポはB.P.M.(beats per minute)で120とか140とかで統一されていました。

ドナ・サマー、アメリカン・ジゴロ(ブロンディ)、フラッシュ・ダンスなど小室哲哉にも大きな影響を与えていました。

でも僕が1981年に上京したとき六本木のディスコではメロディの無い曲が時々流れていて、「はあこれがラップというものかあ」と思いました。

その少し前にシュガーヒル・ギャングが最初のラップのアルバム「ラッパーズ・ディライト」(1980)を発表していますが、あんまり知りませんでした。70年代後半に結成されて最初にラジオでかかったラップと言われています。

高円寺の新星堂でグランド・マスター・フラッシュ・フューリアス・ファイブの「The Message」を購入しました。

たとえば、セックス・ピストルズやバウワウワウのマネージャーだったマルコム・マクラレンがソロで出した「俺がマルコムだ!」(“Duck Rock ”1983年)は白人が黒人のヒップホップや各地の民族音楽であるエスノ・ミュージックをパクって商業ベースに乗せようとした初期のものでした。

サンプリングというパクりが一般的になったのはこの頃じゃないでしょうか。川内康範が聞いたら卒倒しそうですが。

1982年にヒットしたファルコの「デア・コミッサー(秘密警察)」はドイツ語のラップでかなり早い時期でした。これは81年発表のアルバムでしたが82年に英語でアフター・ザ・ファイヤーが大ヒットさせました。

1986年には「ロック・ミー・アマデウス」でNo.1となっています。

1983年のハービー・ハンコックの「Rock it」はスクラッチが使われていました。

1984年にはアフリカ・バンバータとジェームス・ブラウンの「ユニティ」も大迫力でした。

少し遅れて1984年の映画「ブレイクダンス」“Breakin'”や「ワイルド・スタイル」がありました。

当時は「カフェバー」というおしゃれなカフェがタケノコのように増えていて、レーザーディスクで若者向けの店内に流される定番でした。

もちろん大人向けのスノッブなお店はブライアン・イーノなどの環境音楽でしたけど。

この中にはスクラッチやブレーク・ダンスといったヒップホップ文化が入っていました。

ただし、1982年の「フラッシュ・ダンス」にはブレイク・ダンスが挿入されていたので、こちらのほうが先でした。

84年には風見慎吾(現しんご)が「涙のテイクチャンス」という歌でニューヨーク仕込みのブレークダンスを「ベストテン」などで披露してお茶の間に定着させました。

風見はニューヨークのハドソン川沿いにあるバーなどに出没して勉強していたと語っていました。

風見は僕と同じ1962年生まれの同級です。

これがその後、オールナイトフジに出ていたRUSH、元気が出るテレビのダンス甲子園、ナインティナインの岡村隆、Club DADAのZOOなどに影響を与えています。

同じ年に、佐野元春の「VISITORS」にラップが入っていました。

1985年にはホットドッグプレスのいとうせいこうがラップを出した。いとうは最初のラッパーといっていい存在です。

吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」はラップと知らずラップがお茶の間に流れた最初と言えます。

サンプリングの話に飛びますが、ポール・ハードキャッスルの「19(ナインティーン)」というのを思い出しました。各国語のバージョンが作られて日本語は小林完吾氏でしたね。

1986年はRUN D.M.C.がヒットして、チャートやMTVなどロックの時代が終わってブラック・ミュージックの時代に変わってしまいました。

ロック好きの知り合いがニューヨークへ行って、「アディダス」で帰ってきたのにはたまげました。

今では信じられないかもしれないけど、1983年1月のマイケル・ジャクソンの「Billie Jean」までは黒人のクリップなどはMTVでは流されなかったのです。

それどころか、Billboardなどのヒット・チャートでもブラック・ミュージックは冷遇されていて、カール・カールトンの「She's a Bad Mama,Jama」などエアー・プレイは申し分ないのに上位に上がらないなど抗議もあったのを記憶しています。

ちなみに僕がロックとおさらばしたのは、ザ・スミスの解散した1987年です。

この頃になると、近田春夫、高木完と藤原ヒロシのTINNIE PUNXなど連日クラブでやっていました。

特に近田春夫はビブラトーンズを解散して「President BPM」という12インチを出しています。BPMはさっきのダンス・ミュージックのテンポのことです。

1987年のタカラ本みりんのCMで宮崎美子が歌った「だからDESIRE」はまだ知られていなかったラップをフューチャーしたもので、画面下に「ラップ よしこみやざき」とインポーズされ、お茶の間に「ラップ」というタームを知らしめたものとして歴史に残るものといえます。

ところで1988年にニューヨークへ初めて行った時は全てメロディの無いビートばかりでした。これはハウスとかガラージュというものだと知りました。「はあ、こういう時代なのね」と関心しました。

1988年前後にはパブリック・エナミー、ビースティ・ボーイズなどデフジャム系が来日して僕も行きましたね。でもまだ一般的とは言えませんでした。

1991年には河内屋菊水丸の「カーキン音頭」が大ヒットしましたが、流派『新聞詠み(しんもんよみ)』として日本版ラップに近いものといえましょう。

1994年のEAST END × YURIの「DA・YO・NE」は英語以外で最もヒットしたラップとしてギネスに載り、流行語大賞になり、紅白にも出場しました。

これで完璧に浸透したといえましょう。

ところで、ラップのルーツを探ると、黒人のゲットーではともかく非黒人のものを僕なりに思い出してみます。ファルコより前にないかと思い出すわけです。

1981年のブロンディのNo.1ヒット「Raptureラプチャー」(Autoamerican1980)は非黒人としては最も早いラップのヒット曲ではなかったでしょうか。

シュガーヒル・ギャングのアルバムとほぼ同時期というのは白人としてはかなり早かったと評価できます。しかも全米一位ですから。

このアルバムのプロデューサーはナックなどのマイク・チャップマンですが当初ジョルジオ・モロダーがやる予定でした。

これについては、だいぶ前NHKのBSの海外ドキュメンタリーものでラップ史を探る番組でもブロンディのインタビューがかなり使われていました。

この番組をもう一度観たい。誰か録画してない?

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2007年4月 6日 (金)

「牛丼の並」と注文する時代になったのかい

吉野家の牛丼が復活したのでかなり食べています。(吉は下が長い漢字ですが出ないので吉を使います)

この間、別メニューをやっていたわけで吉野家としても幅を広げるいい機会だったのではないでしょうか。

一度倒産したときの解説は「メニューが少なかったから」というのがほとんどでした。

でもこれは本当か疑うべきだと思いました。

しかし、BSEのおかげで同情を持って新メニューに着手できると思ったのは本音ではないでしょうか。

ピンチをチャンスにと。

かなり実験できたと思います。

それで牛丼復活してもそれ以外のメニューも残っています。

お店でも他のメニューを注文するお客さんも多いようです。

僕はいつものように「並」としか言わないわけです。

これは18歳で上京して以来、休止中を除いて26年間言っていたことになります。

僕が中学3年の1978年1月に放送が開始されたTBSの「ザ・ベストテン」の最初の頃、原田真二が3部作で「ロック御三家」と言われていました。

その原田真二が「吉野家は本当に牛丼一筋80年なのか検証中」と発言して「どうも東京には吉野家というのがあるらしい」と思っていました。

その2年後に倒産。

そんなこんなで上京すると吉野屋へ行きそれ以来の付き合いのわけです。

でも最初に行ったのは吉野家ではなく「養老乃瀧」の「養老牛丼」でした。

どちらも倒産を経験していますね。

アメリカに行った際にも「ビーフボウル」を食す。

それで復活したので「並」と言うと「牛丼ですか?」などと聞いてくる。

もちろんいろいろなメニューがあるわけですから「並」では通じないわけです。

しかし、僕の正当&長期なお付き合い感覚からすると「並」は「牛丼の並」に決まっているじゃないですか。

若いアルバイトじゃわかんないかな。

もっと問題なのは逆のパターンの確認。

別のチェーンに行った時「○○丼」と注文すると「並でよろしいですか?」

そんなこと日本で聞き返されたことは40年以上ないわけです。

戸惑って見ると中国人のアルバイトです。

「いいかい、この日本では松竹梅、特上・上・並がある場合、何も言わなければ梅や並」

「それとはちょっと違うけど、何も言わなければ並に決まっているのですよ」

そう心で叫びながらも「うん」とうなづいたのです。

いちいち「牛丼の並」と言わないといけない時代になったのでしょうか。

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2007年2月 7日 (水)

子供に夢を託す親は力が入る

芸能とかスポーツとかで親が一生懸命になっていることがあります。

自分の子供に何か才能があれば、できるだけ引き出してやるのは親の務めかもしれません。

ピアノとかバイオリンとか。

むかしからそういうのはありますよね。

美空ひばりのお母さんなんか。

最近目立つのはスポーツですよね。

チチローとか亀田やさくらのお父さんとかの。

賛否もあるかもしれませんが才能を見つけてあげて結果を出しているんだからいいんじゃないでしょうか。

経済的な成功とか社会的な地位や賞賛という面からすると。

まず自分の親が成功者でその子供として生まれるのはいいですね。

そうでなくても自分に才能があって努力して運もあればそれに越したことはありません。

親も自分もダメだった場合、子供に託すことになります。

そうすると人生に大きなチャンスは3回あるわけです。

特に子供は1人とは限りませんのでチャンスは増えるかもしれません。

自分としてはほぼ最後なので親も力が入ります。

これらの中で1つでもあれば御の字ではないでしょうか。

孫が成功してもあまり恩恵は得られません。

自分の良い所とか悪いところは自分が良く知っています。

だから、その血を引く子供の活躍分野の選択に関してはかなりターゲットを絞れると思います。

自分は頭が悪いけど、目の動体視力は良かった。

自分は球技はダメだったけど体操なら。

自分はチーム競技はダメだけど格闘技なら。

歌はヘタだったけど弦楽器なら。

とかね。

しかも、子供に託す場合は小さいうちに始めるから成功の確率は高まりますよね。

ダメなのは、親が成功せず、自分に賭けてもらえず、自分では芽が出ず、そんなんだから自分の子供にも託す踏ん切りがつかない人。

自分が生きるので精一杯。

そもそも何も才能が無いとか、努力が不得意とか、不運続き、子供が何も興味を示さない血筋。

あーダメだ。

3代共倒れ。

夢も希望もなし。

まあ日本全国こういう家庭だけどね。

ウチも含めて。

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2006年11月17日 (金)

こぶ平は同級

1962年12月1日生まれの9代目正蔵です。

コメントは特に思い浮かびません。

それでお父さんのことを。

1980年に亡くなった三平さんは「昭和の爆笑王」と呼ばれます。

僕が子供のときテレビで見ました。

子供心にもう少しまじめに落語やってくれないかと思っていました。

円鏡、談志、円楽にくらべてちっとも面白くなかった。

「よしこさん」とかちょっと面白いなあと思ったのも、今のゲッツとかナンデダロウとかと同じく一時的なギャグとしてです。

だから、申し訳ないけどちょっと違うなあと思う。

生きしてたら81歳だけど、どうなっていたのだろう?

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2006年11月13日 (月)

9月23日生まれ

僕の誕生日は9月23日。

同じ誕生日の人を探してみました。

まず、川平慈英(ジェイ・カビラ)。1962年か1963年生まれかは不明なのは前に書きましたね。

割合多い音楽関係では、ジョン・コルトレーン(1926年)、レイ・チャールズ(1930年)、フリオ・イグレシアス(1943年)、稲葉浩志(1964年AB型)、ゴマキ(1985年)ってところ。評論家だけど吉田秀和(1913年)もいます。おっと忘れてはいけないのは、ウィキぺディアには載っていないが“ボス”ことブルース・スプリングスティーン(1949年)。

サッカー関係では、中山“ゴン”雅史(1967年)、服部年宏(1973年)、とジュビロは2人いますね。23人いると同じ誕生日の人がいる確率は50%というのを教わりました。

あと、1982年スペインW杯で活躍したイタリアのロッシ(1956年)。

お笑いもいる。イジリー岡田(1964年)、アンジャッシュの渡部建(1972年)。

タレント・俳優では、鈴木杏樹(1969年AB型)、叶美香(1967年)、城咲仁(1977年)。

やっぱり音楽色が強いね。

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2006年9月24日 (日)

八代英太は先輩

僕の母校である山梨県立石和高校の出身者としてレミオロメンを書きました。

もう一人います。車椅子の議員だったタレントの八代英太さんです。

僕が高校生のとき学校の講演会でお話を聞いたことがあります。

この講演会は毎年やっていたと思う。2年生のときはサッカー協会の岡野俊一郎でメキシコ五輪の話とかアジア戦で勝てないと踏んだ相手が守り一辺倒できた話をしていた。

それはともかく八代さんです。

参議院3回、衆議院3回当選、28年国会議員、郵政大臣経験者なのですから、間違いなく母校出身者の中でも成功者でもあるわけです。

本名は前島英三郎ですが、生まれが僕と同じ八代町(笛吹市八代)なので八代という芸名になっています。ちなみに八代亜紀は熊本県八代市の八代ですので違います。

芸名は国会議員としては認められますが大臣としてはダメなので公文書は本名です。

高卒後、地元山梨放送へ入社し、森繁久弥のモノマネで人気者になって上京したそうです。

うちの叔父さんと同級生だったのですが、石和高校では当時新宿までのマラソン(駅伝だったかもしれない)があって、叔父はメダルを獲得したのですが、「前島はすぐリタイアした。根性なし。」と僕の祖母がよく言っていた(僕は言っていないよ)。

八代さんのお兄さんは茂松ちゃん(園芸高校卒)という自民党県連幹事長です。僕の父と同級生で、若い頃青年団とか消防団で活躍して町議から政治の世界へ入ったそうです。

茂松さんは一度、1票差で県議を落選したことがあり、その時大学生だった息子のA君は投票に行かなかったため勘当同然に怒られたらしい(あたりまえか)。

A君は僕の同じ浅川中学の1歳下でバスケット部の後輩です。いい奴だったな。

前島家は老人ホームを経営しているので、八代さんの福祉政策と一致します。お兄さんのほうが先に政治に入っていたので、八代さんがタレントから転進するのは自然だったのかもしれません。

次はA君かもね。応援しなきゃ。

あの天下の愚策として名高い地域振興券に力を入れたことでもわかるとおり、経済には疎いようです。

元大臣だからなのか郵政民営化に反対し離党・落選しました。

「地方の郵便局を守れ」という主張でしたが、故郷の八代郵便局はとっくの昔に集配だけのポストになってしまっています。これを聞くたびに白々しく感じていました。

政治主張もあの軽いしゃべりだと重みが伝わらないこともあって損してます。

許してくださいね、石和高校出身ですから。

落選後は平成帝京大学の教授をされているようです。

何を教えているのでしょうか?

自分が大学へ行くのが先だと思ってしまいます(ごめんなさい)。

さすが石和高校。そこらへんの大学より上なのかもね。

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2006年9月13日 (水)

コンテンポラリーということ

音楽やアートって流行に踊らされるのと普遍的なものを追求するかのトレード・オフっていつも言われますよね。

ファッションでも映画でもマンガでも文学でもいいのですが。

創造する表現者側から言えば、売れ線でいくかマニアックとか自分の好きなようにやるか。

好きなものが売れ線であれば問題ないのでしょうが、売れ線しかできないアーチストって軽い感じだし、お金儲けが目的になったり、少なくともリスペクトはされにくいでしょうね。

ミュージシャンズ・ミュージシャンとかいう同業者に尊敬される人っていいですよね。

そうなると流行を追いかけるのが悪いことなのか、自分らしさを殺さなければいけないという場面もあるのかもしれません。

オーディエンスやファン側から見ると、あるアーチストを発見するのは流行から入ることが多いですよね。

たまたま遭遇することもありますが、売れていないと出会う機会は少なくなります。

それから、インスパイアされた先達とかルーツを遡ることになると思います。

それがいくつかシンクロして全体の流れとか歴史が浮かび上がってくることになる。

ある時期古典の探索と整理に時間を掛けることになるでしょう。

自分の好みも自分で分かってくるはずです。

そうなるとニセモノと本物の違いもわかるようになって流行の嗅覚も砥ぎ澄まれてくるかもしれません。

一度そうなれば、最新流行を追うのも一味違ってくるはずです。

フィードバック的に行きつ戻りつで楽しいね。

歴史が続いていることがわかる。

ある人の分岐点は、古典と自分の好みだけで止まるか、もっと先端の動きを追うかです。

玉よりだんぜん石が多い。

振り返ってほとんどがムダや間違い。

逆に、単なる流行だと思っていたら歴史になることもある。

新しい発見から新しい繋がりを見出すこともある。

それは、自分の新しい興味を発掘できることでもあると思う。

そりゃ、評価の定まったものを繰り返し鑑賞するのは間違いがない。

無難。でもつまらない。

そうではなく、自分も歴史の目撃者になりたいという欲求が出るか出ないか。

ある人にとっての同時代性というのは非常に重いし楽しいことだと思う。

だって、流行の残りカスというか上澄みが歴史になることも十分に考えられる。

そして自分自身の発見にもなる。

コンテンポラリーということはそういうことだと思う。

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2006年9月10日 (日)

お神輿の作法

昨日と今日は小さな町内の祭りがあった。

面白そうなので子供を神輿に参加させ、いっしょに回った。

それとは別に大人のお神輿もあって、近くで見ると中々迫力があった。

普段何やっているんだろうとか、堅気なのか?という方々が多い。

というのも半纏や井出達がプロっぽいのだ。

この町内ではない名前が背中に書いてあったりする。Imgp1584外人さんもいるし。

趣味がお神輿担ぎというのは単なる趣味を通り越して、何か生き方を主張しているね。

芸能界では安岡力也や尾崎紀世彦が有名だが。

関心したのは、荒々しく動きながら、統制が取れていることと、最後に微妙な作法的な動きを見せるときがあることです。

何か神道に通ずる作法があって、皆さん当然知っているのかも。

いろいろなところからその日だけ担ぎに来てもうまくいくのかもね。

教わらなくても経験を積めばだんだんわかってくるものなのかも知れない。

ジャムセッションやコード進行と同じなのかも。

来年は担ぎ手として参加してみようかな。

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2006年8月25日 (金)

クールス

僕が検索したキーワードをご紹介します。

だいたい「あれは、何だっけ?」などと突如ひらめいたもので、恐らく脈絡はないものになりそうです。

今日は、「クールス」でした。

(自分でも意外なスタートとなりました。)

たちひろし(当時はひらなが)と岩城滉一の関係はどうだったけ?という疑問でした。

たしか、たちひろしが千葉工業大学のときグループのビジョンを書いて決めたと聞いていたのですが、キャロルの解散ビデオだと岩城滉一(帝京大学卒)がしゃべってたなあと。

結果は、バイクチームとしてはたちひろしがリーダーで岩城滉一がサブ、岩城はバンドには参加せず俳優の道へいったということがわかりました。

一方、たちは松田優作主演の「暴力教室」で俳優デビュー。岩城は復帰で「探偵物語」に出ていたから2人とも松田優作と関係あるのね。

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