2009年11月 1日 (日)

ホフマン輪窯と旧中山道

11月にしては異常の暑さの中、深谷へ。Dsc_0001a

ホフマン輪窯(わがま)が2日間だけ臨時公開されるというので。

渋沢が創った日本煉瓦製造株式会社の旧煉瓦製造施設。

国重要文化財。

深谷駅から線路跡を遊歩道「あかね通り」にしてあるけどとても歩けない距離なんです。

前回、渋沢の生家までタクシーで行くしかなくて不便でしたが、今回も1610円Dsc_0011aかかりました。

着くとかなりの人が集まっていて説明を受けている。

ヘルメットを被って中へ。

中も煉瓦でできている。Dsc_0016a Dsc_0025a

勝沼の中央線のトンネルを思い出す。似ている。

楕円状の形をしていて火をぐるぐる回して煉瓦を焼き続けるらしい。

だから輪窯という。Dsc_0033a Dsc_0044a Dsc_0040a

外に出て木造洋風建築の旧事務所と煉瓦造りの旧変電所も見学する。

こちらは富岡製糸場を思い出す。

帰りは深谷商業高校で降ろしてもらって記念館を見る。Dsc_0054a

これは大正時代の洋館です。

旧中山道を歩いてみた。

煉瓦造りの建物も残っている。Dsc_0063a Dsc_0067a Dsc_0074a_2 Dsc_0080a_2 Dsc_0073a

特に酒造会社の煙突が見もの。

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2009年10月24日 (土)

八田家書院

週末は山梨にいます。

バッティング・センターに行く前に八田書院に寄ってみました。

来たのは初めて。Dscn0513a

県指定文化財建造物です。

まず芝の公園がきれいに整備されているのにびっくり。

ちゃんとしてるんだあ。

紅葉も始まっていて茅葺に合う。Dscn0516a Dscn0518a

石和温泉駅に近いとは思えない。

中に入ってみる。

書院だから勉強したり蔵書があったりするのかと思ったら全然違っていました。

えらい人がお茶するところらしい。

1601年にできてその後被災、修復を繰り返している。

朱印地絵図をみると線路のあたりに笛吹川がながれている。

明治40年の大水害で今の流れになったそう。

八田家は武田の家来ですが、運送業で財を成したそう。

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2009年10月19日 (月)

しまった迎賓館が

迎賓館赤坂離宮。

一度は見学したいと思っていました。

ずーっと工事中だったはず。

それで見学は長らく休止していました。

今年夏の見学もあっという間に終わってしまいました。狙っていたのに。

まあ、来年でいいやと。

ところが国宝に指定されていまいました。

近代建築で国宝は初めてだと思います。

これで人気になってまた見られないな。

鳩山会館みたいにトラピックの標的になると思うよ。

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2009年10月18日 (日)

Even the Japanese ~

日光に行ってきました。

まだ紅葉にはチト早いと思ったけど天気がいいので。Dsc_0004a

宇都宮経由で。

お昼になったので餃子を食す。U字工事を思い出した。

JR日光線って30分に1本なんだもん。Dsc_0009a

JR日光駅について観光案内所で地図などもらう。Dsc_0015a

中禅寺湖や華厳の滝は無理なので日光東照宮を中心とすることにしました。

もしかして東照宮初めて。

世界遺産人気なのか外国人多数。

ガイドブック片手に迷っている。

ところが僕もよくわからない。

日光は地図や看板が本当にわかりにくい。

バスに乗ったけどどこ行きなのかもわからない。

日本人も外国人もキョロキョロ、そわそわしている。

日本人だって観光客なんだから聞かれても分かんない。

「Even the Japanese doesn't understand the operation of the bus!」なのだ。

バスの中でどうして分かりにくいか考えてみました。

地図とかもどうでもいい情報が多すぎるのです。地名とか。

なんでも盛り込んでいるので何がなんだかわかんなくなっている。

半日を過ごす観光客なんておいしいところだけ摘むだけなんだから、モデルコースのように単純化してほしいものです。

東照宮のそばの寺やら宝物殿とか誰も行かない。でも地図にはたくさん載っている。

結局、世界遺産周りのバスで終点の二荒山神社で降りて歩けばいい。

実際にほとんどの人はそうしている。

リピーターとか何か別の目的のある人以外はこれでいいのです。

東照宮はチケットも2種類あってわかりにくい。猫のなんとかを見なければ安いほうでいい。

東照宮は思ったより小さかった。神仏習合なので神社なのにお経が流れています。

見ざる言わざる聞かざるの写真をパチリ。Dsc_0024a Dsc_0028a Dsc_0037a Dsc_0050a

東照宮は建物より杉の木などの自然がすごいと思いました。Dsc_0022a

日光街道や日光例幣使街道もね。

それから東照宮といえば陰陽道。

陽明門と鳥居を結んだ線上に北極星が来るらしいけどわからない。

地図で見ればその線の真南に江戸があるというのはわかる。

建物も北斗七星になっているのは地図で確認できます。Dsc_0068a

下ってくると神橋。

そのそばに板垣退助の像があると思ったら金谷ホテル。

ヘレンケラーやイザベラ・バードも泊ったクラシック・ホテル。Dsc_0078a Dsc_0082a Dsc_0087a Dsc_0088a

中に入って写真を撮らせてもらう。

前身にカッテージ・インから130年以上。

ベーカリーでジャムとクッキーを買う。Dsc_0097a

帰りは東武の「きりふり」で帰りました。Dsc_0112a

今日は夕日がきれいでしたよ。

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2009年9月28日 (月)

お台場から見た東京

今日、お台場から見た東京です。Dscn0501a

ゆりかもめから撮影しました。

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2009年9月23日 (水)

コスモスの甲州路

昨日牧丘を走っていたら、コスモスがたくさん咲いていました。

みんなで育てているのであろうか。

山梨市の清白寺を訪ねました。Dsc_0209a Dsc_0213a

山梨にあるお寺で国宝があるのは、ここの本堂と大善寺の仏殿だけ。

茅葺の庫裏も立派。重要文化財。Dsc_0203a

やっぱりコスモスが咲いていました。

山梨市小原西でいつも気になっていた門を撮る。

以前に銀行だった場所で古い突き上げ式の民家は跡かたもなくなっていました。

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2009年9月16日 (水)

一丁倫敦のカサブタ

丸の内は一丁倫敦と呼ばれました。

最初にできたオフィスビルは三菱一号館。

設計はジョサイア・コンドル。

重要文化財になりそうになったので慌てて昭和43年に取り壊し。

さらに三菱商事ビル・古河ビル・丸の内八重洲ビルを全て取り壊してしまった。

今年の4月に復元完成。

丸の内ブリックスクエアとして丸の内パークビルが後ろにそびえる。

復元ビルによくあるカサブタ式になっています。

容積率の積み増しがあるからな。

低層の復元ビルの後ろに高い近代ビルがそびえる形。Dscn0488a

東京銀行協会ビルのひどいやつが有名。

きっと東京駅前の中央郵便局の旧局舎もそうなるに違いない。

来年4月に三菱一号館美術館ができます。Dscn0483a

現在、展覧会が開かれているので観てきました。

中も古めかしく造ってありますが、重厚さはあまりない。

丸の内パークビルとの中庭は昼休みにいいかも。

Dscn0485a

一号館とは直接関係ないものだけど展示物に興味深いものもあった(三越の広告に「甲州増冨ラジューム鉱泉」がありました)。

監視している女性は偉そうで「そんなに張り切らなくても」という感じ。

まあ、森ビルの六本木ヒルズ、三井不動産のミッドタウンに対抗して地所の巻き返しということです。

内容の割に500円は高いと思う。

はああ。疲れた。

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2009年9月15日 (火)

家の中のつりぼり

最近つりぼりにも行きました。

渓流や皇居のお堀にあるようなものじゃなくて家(お店)の中にあります。

釣るのは金魚。

都内には結構あったみたいです。

ウチのそばにも1軒ありましたが、しばらく前に取り壊されました。

そういえば六本木ヒルズの敷地には金魚屋さんがあったなあ。

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2009年9月 6日 (日)

スカイツリーは20%完成

押上に建設中の東京スカイツリー。

高さは610.58mで2年後の2011年12月に完成予定です。

8月28日現在で126m(ウェブサイトに現在の高さが出る)です。

「ALWAYS 三丁目の夕日」なんかの昭和ノスタルジーで語られる東京タワーの建設中の画像がありました。

スカイツリーも同じように建設前と建設中の写真を撮っておきたいと思う。

それで行ってみました。

実際かなりの人が撮っていました。

北十間川沿いがいいポジション。

東側からだと東武線や遠くに浅草がみえます。Dsc_0080a

西側からだと遮るものがないので下もよくみえます。

ついでに東向島にある東武博物館に行きました。

リニューアルしたばかりです。

根津嘉一郎関係のものは見つかりませんでした。

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2009年8月23日 (日)

横田基地日米友好祭

横田基地で毎年夏に行われている日米友好祭に行きました。

青梅線で牛浜駅で降りるとすごい(帰る)人。Dsc_0063a

実は朝に下り電車で通ったときは電車からホームに出られないくらいの混雑でした。

第5ゲートまで歩く。まるで花火大会にきたよう。 Dsc_0067a

入るにはパスポート等が必要と書いてあったのですがチェックなし。

結構いいかげんなのは、相模原補給廠でのマラソン大会で経験済み。

まず、バスケットの試合。Dsc_0072a

MCが欽ちゃんのようにマイクで騒いでいて、DJブースからはラップがガンガン。

さらに進むと売店が並んでいる。Dsc_0079a

でかいステーキとかハンバーガーはもちろんプルコギとかエスニックもある。

ステーキとビールを飲む。

子供用のアトラクションもあって並んでいる。

気に入ったのは、パンツ一丁の兵士(本物)がデカバケツの上に座っていて、投Dsc_0139aげたボールが的に当たると、イスがひっくり返って米兵がバケツに落ちるというやつ。

延々落ちては上りしていた。

結構おかしい。

きっと毎年若い兵士の役目なんだろうな。

見ものは戦闘機のスクランブル。トップガンのよう。Dsc_0101a Dsc_0092a_2

ユラユラさせたり、雲の中に垂直で入ってゆく。Dsc_0110a Dsc_0114a Dsc_0119a

旅客機と比較できないほど速い。

すごい轟音。

きっとマニアにはたまらないんだろうな。

F22とか。

戦闘機の中に入ることもできる。Dsc_0076a

友好祭というくらいなので兵士もニコニコしている。 Dsc_0168a

それにしてもすごい人。

無料だと人はやたら来る。ガンダムと同じか。

バスツアーで来ているようです。無料だからね。

ちょっとしたアメリカンな気分も味わえるしね。

実際治外法権なわけだし。

(つづく)

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青梅線の途中下車で見たもの

これまで全線乗りつくしが目的でした。

なので途中下車はやりにくかった。

今日は青梅線の気になる駅で下車してみました。

前にケーブルカーに乗りに行った御嶽駅の隣の沢井駅。Dsc_0004aDsc_0009a

「澤ノ井」というお酒で有名な小澤酒造があります。 Dsc_0019a

茅葺の家で一見の価値あり。

見学ツアーもあるようです。

食事できるお店などが併設されていてちょっとしたレジャー気分。

川もきれい。

実は外人さんに人気がある。

結構混んでいました。

お昼を食べたあと、遊歩道を歩くことにしました。Dsc_0038a

隣駅の「軍畑(いくさばた)」まで。 Dsc_0045a

カヌーをみたり、川を眺めたり、タカを発見したり、30分くらいかかって到着。

でも全然疲れなかった。

それにしても青梅って石垣が立派。Dsc_0047a

青梅線から見える茅葺の家も近くで見てみた。Dsc_0051a

普通の民家のようです。

さすが青梅。

もし外国からの友人がいて、自然と日本酒が好きでちょっとした旅気分を味わいたいと言ったら、御嶽・沢井をお勧めください。特に夏はよし。

(つづく)

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2009年8月18日 (火)

牧丘町赤芝地区もいい感じでした

日本の原風景のような村。

これまで芦川村鴬宿、塩山市上条、山梨市切差、早川町赤沢、西湖の根場などを訪ねました。

気になっていた牧丘町赤芝地区を訪ねました。

鼓川は鼓川温泉辺りで赤芝川と合流します。

その赤芝川を上っていったところにあるのが、膝立、赤芝の地区です。

ここは秩父裏街道と言われ、雁坂峠から赤芝を通って切差から太良峠を越えると甲府の躑躅ケ崎の武田館に出ることができます。

江戸時代になっても重要性は変わらず、関所「鍵懸の関跡」があります。

林道を通りたいと思ったのですが、動物の進入を防ぐフェンスが外せずあきらめました。きっとクマとか出るのでしょう。

この地区には切差同様に甲州式の突き上げ切妻造の茅葺民家が多数残っていて素晴らしい。Dsc_0266a

写真のポイントを探していたらあっと言う間に時間が過ぎました。

ご老人が野良仕事をしているのを見かけます。

高齢化の進む山間集落ですが住んでみたい気がする。Dsc_0268a

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2009年8月16日 (日)

藤村式の旧尾形学校

都留市の小形山に尾形郷土資料館があります。

リニア見学センターの北側に洋館風の屋根が見えるはずです。

ここは旧尾形学校で、藤村式と呼ばれる擬洋風建物です。Dsc_0029a

神社の横にあります。 Dsc_0030a Dsc_0033a

明治11年ですから藤村式最後の学校となりました。

円形のバルコニーが特徴的で、色は牧丘の室伏学校に似ています。

昭和16年3月に廃校(禾生(かせい)小学校に統合)になりました。

その後昭和48年に復元工事がおこなわれ郷土資料館になりました。

今は教育資料が中心に展示されています。

資料館ののおじさんが親切にいろいろ教えてくれました。

中の展示もたくさんあります。Dsc_0034a Dsc_0035a

パチンコの原型とも言われるコリントゲームがありました。

高川山(976m)は眺めがたいへん良くて最近、中高年に大変人気がある山だそうで、この資料館に田部井淳子さんもふらりと来たらしい。

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2009年7月14日 (火)

甲府市内滅亡史

甲府市内を数十年ぶりに歩いてみました。

小中学生の頃、バスに乗って岡島辺りによく降りました。

映画、デパート、マクドナルド、本屋、スポーツ用品店、カメラ店など回ったものです。

オリオン通り、スクランブル交差点、西友(中込)、平和通りと歩いて山交デパートのターミナルからバスで帰るコースでした。

さて30数年たってどうなったでしょうか。

まずバスというものがなくなりました。

バスターミナルというものが存在しません。

今は吉野家とスターバックスの間辺りです。

平和通りは午前中ですがシャッター通りと化していました。

かろうじてオモチャ屋さんが残っていました。Dsc_0035a

西武(県民情報プラザ)の跡は見るも無残。

スクランブル交差点の反対側は再開発がストップ中。

なんていっても日本綜合地所が倒産、ゼネコンはあの西松建設。

夢も希望もありません。Dsc_0009a

オリオン通りの角の万年筆屋さんは健在で懐かしむ。

でも通りはシャッター。

マクドナルドはあった。

岡島に入ってみました。

お客さんは少ない。お店が暗い。

さすがに心配になってくる。

春日モールもひどい。Dsc_0010a

映画館がこれだけだったか?

銀座通りも人がいません。

だいたい食事するようなところが見つからない。チェーンすらない。

柳正堂ってこんなに小さかったか。

ライオンズマンションや東横インなどビジネスホテルは昔なかった。Dsc_0013aDsc_0014a

逆に古い建物のシャッターチャンスではDsc_0024aある。  Dsc_0012a

どうなっちゃうんだろう。

甲州財閥の若尾家はNTTになっているはずけど、その近くに若尾医院を発見。 Dsc_0019a

ちょっとおしゃれなお店があったオリオン・イーストはそれなりのようだったけど活気はなし。Dsc_0023a

マルフルがあった辺りにカフェがある程度。 Dsc_0025a

そこから舞鶴城(甲府城)に抜けて観みる。

この辺はよく整備されています。Dsc_0028a

あと県庁と議会の建物はいい感じだけど、見せる意識はないようです。Dsc_0006a_2

今度は平和通りの西側を歩いてみる。Dsc_0030a

県立図書館があるほう。

小学生のとき通った眼科があるか確かめたかった。

あった。しかも立派になっている。

佐々木医院。

きっと跡取りがしっかり継いだのだろう。

ドブ川みたいだった川はみえない。

たしか小鳥屋さんがあったはずだけど無い。

裏道を通って甲府駅まで歩く。

小さな店や旅館はあるけど、大丈夫かなあと心配になってくる。

モータリゼーションの波は甲府を滅亡させたと言っても過言じゃないな。

郊外はもう少しマシだもの。

甲府駅北口は藤村記念館を建てるよう。Dsc_0040a

武田神社に移築されていた県令藤村紫郎の擬洋風建物をさらにここに移すようです。

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2009年7月 9日 (木)

絵葉書による今昔散歩

明治から大正にかけて絵葉書ブームがありました。

彩色したものです。

前に書いた甲府出身の日下部金兵衛が有名。

写真が一般的でなかった時代ですから当時の様子を伺う貴重なものとなります。

これを現在と対比した本。

古地図と現在も対比してある。

原島広至著「横浜今昔散歩」(中経の文庫)

大変興味深い。

これには東京版もある。

原島広至著「東京今昔散歩」(中経の文庫)

絵葉書収集しようか。

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2009年7月 5日 (日)

哀愁の東京湾フェリーと行く手を阻む鋸山

4月に強風のために断念した千葉の鋸山へ行くことにしました。

普通に行くのはつまんないので三浦半島経由で。

久里浜港から東京湾フェリーで行くことにしました。

京急で久里浜まで行き、バスで10分ほどでフェリー乗り場へ。

結構でかい。中も広い。Dsc_0009a

片道750円。車とか自転車も乗せられる。

空いているので快適。デッキに登ったり中でくつろいだり。

晴れていればもっといいと思う。Dsc_0014aいいデートコースだよね。

35分で浜金谷港へ到着。

このあいだの回転寿司屋へ。混んでいる。

アクアラインとかが上限1000円になったので土日は首都圏から結構来ているのでは。

800円になればもっとすごいと思う。

そうなると東京湾フェリーもなくなっちゃうかも。

Dsc_0035a

ロープウェイまで歩いて乗った。

上に行くと雨がかなり降っていました。Dsc_0022a_2 Dsc_0026a Dsc_0033a_2

頂上を眺めて、日本寺の入口まで行って帰ってきました。

天気がもう少し良ければなあ。

浜金谷の街並みは実は面白い。Dsc_0039a Dsc_0041a

山から切り出したのか石塀もある。

お店もあってむかしは栄えていたのか。

人は歩いていないけど。

雰囲気は沖縄の島に似ている。

時間があったので浜金谷から下り線で岩井まで行って戻りました。Dsc_0060a

内房は忘れがちだけどディープな気がする。

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2009年6月28日 (日)

コンドルの旧古河邸はルネッサンス様式

西ヶ原にある旧古河庭園に行きました。

陸奥宗光、古河虎之助男爵のでしたが今は国有で都の庭園になっています。

1917年(大正6年)に虎之助によって造られました。

設計はジョサイア・コンドルでルネッサンス様式。

財団法人大谷美術館が管理していてカフェになっている。

結婚式もOKだそう。

バラ園が有名。Dsc_0016a_2 Dsc_0024a

和式庭園は小川治兵衛。

結構広い。こんなに広かったっけ?

茶室もある。

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2009年5月 4日 (月)

新緑の身延山とその裏側

どこへ行こうか迷った末に南方面に行くことにしました。

身延山のロープウェイへ。Dsc_0013a

残念ながら富士山は拝めず。 Dsc_0023a Dsc_0025a

北側に回ると南アルプスが見える。

早川の峡谷は教科書で習った糸魚川静岡構造線のフォッサマグナ(の西側)が露出している。

五重の塔が完成したそう。 Dsc_0005a

シダレザクラで有名だけどツツジがきれいでした。Dsc_0034a

山にはほんのり紫のヤマフジが見えました。

今度は山の裏側に回ってみました。

身延山と七面山の間。

早川を上って赤沢宿です。

何もない急な細い山道をどんどん上って行きます。

早川町というのは山梨でも秘境ですが、その中でもさらに山の中。

突然、山の急斜面に集落が現われてきます。Dsc_0074a Dsc_0076a Dsc_0097a

それも古い建造物と石畳。

旅館風の建物がたくさん残っています。

タイムスリップしたというか取り残されたというか。Dsc_0099a Dsc_0077a Dsc_0078a

もちろん重要伝統的建造物郡保存地区に指定されています。

気になったのは、以前来たときより人影がありません。

大丈夫かな赤沢宿。Dsc_0081a Dsc_0084a Dsc_0086a Dsc_0091a Dsc_0093a

僕は応援する。

こんど夏に行ってみようと思います。

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2009年4月28日 (火)

北烏山は小京都

北烏山には関東大震災でお寺がたくさん引っ越してきたそうです。

それで小京都らしい趣の街並みになっています。

千歳烏山に行く用事があったので訪ねてみました。

北口から甲州街道を渡る。

「寺院通り」とある。

そろそろ街並みが始まると思いきや間違い。

さらに歩いて中央高速を越えないといけない。

越えると突然雰囲気が変わる。Dscn0113a_2

ウォーキングしているおばさま達多数。

つつじがきれい。

もっとも久我山よりの高源院で最後。

ここは池がすばらしい。Dscn0115a Dscn0118a Dscn0120a

都会にあるとは思えない。

楽しい北烏山の旅でした。

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2009年4月19日 (日)

小渕沢で桜に間に合った

今年は桜も桃も寝込んでいて満喫できず。

高原に行けばまだ間に合うはずです。Dsc_0090a

富士山方面は混雑が予想されるので八ヶ岳方面へ。

神田のイト桜は葉桜一歩手前。Dsc_0067a Dsc_0086a

乗馬牧場のほうにいってみたら咲いていました。

お弁当を食べました。

旧平田家住宅(重要文化財47)もみました。 Dsc_0074a

小渕沢駅ではイベント列車が走ったらしい。

レトロ八ヶ岳高原で甲府まで。Dsc_0069a Dsc_0081a

乗馬、サイクリングや写生する人、カメラ小僧とかたくさんいました。

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2009年3月30日 (月)

今年は「坂の上の雲」が来る

歳をとると好みが変わってくる。

僕が時代小説を読むとは思わなかった。

やはり司馬遼太郎。

普通は「竜馬がゆく」で入る。

僕は「街道をゆく」がいい。

傑作は「坂の上の雲」か。

今年の11月からNHKの大河ドラマの枠でスペシャルドラマがある。

秋山真之はモッくん、秋山好古は阿部寛、正岡子規は香川照之。

松山市には「坂の上の雲ミュージアム」(設計は安藤忠雄)があるらしい。

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2009年2月 8日 (日)

桶川は東口が正解でした

事情があって桶川で途中下車。

たしか宿場町が残っていたはず。

さてどっち口に出ればいいのか。

えいっと東側に出てみた。駅前はさびしいほうだった。

ちょっと歩くと164号に出た。

この数字は大きすぎる、と思ったら寂れた商店の間に古い建物がチラホラ。

これは臭う。Dscn2889a Dscn2890a Dscn2891a Dscn2896a Dscn2898a Dscn2904a Dscn2909a Dscn2915a

少し歩くと中山道宿場館という案内所があった。正解でした。

本陣跡や日本一の力石もある。

何故か食堂をみかける。

7番目の宿場。

宿場歩きの人も見かけるようになりました。

みんながんばっている。

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2009年1月25日 (日)

山梨市の「にほんの里100選」

帰るまでの時間があったのでちょっとドライブしました。

まずお昼から温泉へ。

また赤松のぷくぷくの湯。

ほったらかしの湯が有名になりすぎたのでこっちが狙い目。

眼下に見える、冨士屋ホテル、富士山、霞がかかって見える盆地の風景は日本じゃないみたい。

温泉から出ると「横溝正史記念館」がありました。

「あーここに移築されていたのかあ」

15時で終わるところをボランティアのおばさんのご厚意で見せてもらいました。

100円。

世田谷の成城にあった家。Dscn2873a Dscn2874a

結核で療養していた横溝は山梨市駅(当時は日下部駅)で下車して笛吹川沿いを散歩していたとのこと。

「ハゲタカ」の真下仁氏、角川春樹氏と市長の写真が。

そういえば教育TVで横溝やっていたなあ。

横溝ブームは角川文庫と角川映画なので角川さんということ。

「にほんの里100選」に選ばれた八幡地区を調査。

フルーツ公園の東に広がる。

切妻屋根を探してそのまま西へ向う。

切差(きりさつ)地区へ。

以前にも来たけどそんな建物あったかなあ。

標高も高くなって雪が残っている。

あったあった。

甲州切妻の家並みが。

塩山の上条地区や芦川村の鴬宿に匹敵する里風景。Dscn2880aDscn2883aDscn2879a

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2009年1月18日 (日)

成田でうなぎを食す

今日は千葉で唯一残っていた東金線。

あまり天気はよくない。寒い。Dscn2831a

千葉から大網で成東へ。

途中で東金を眺めると結構大きい駅前。

センター入試らしい学生が乗っていました。

佐倉から成田へ。

実は成田山新勝寺へ行ったことがない。

参道を歩く。

駅前はそうもないのに参道はすごい賑やか。Dscn2839a

人が多い。まだ初詣の気分なのか。各地からバスで来ているようです。Dscn2842a

お店もいっぱいある。古い建物も多い。

うなぎの煙がすごい。

ちょうどお昼だったのでお店に引き込まれてしまいました。Dscn2840a

お参りして今度は京成で京成佐倉へ。Dscn2844a

以前、歩かなかった市美術館(旧川崎銀行佐倉支店)の西側を散策。Dscn2849a Dscn2850a

国立歴史民俗博物館を見学する。

面白かったよ。

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2009年1月13日 (火)

オランダといえば風車でしょう

いよいよオランダも最後。

ブリュッセルからオランダに戻る。

途中で一瞬見えたのはエゼルにあるアトミウムという巨大な模型。鉄の分子構造。

この模型は1958年のブリュッセル万博のシンボルでした。

大阪の太陽の塔みたいに残っている。Dscn2813a

僕にとってブリュッセルというのは万博なのだ。

小学生のとき(つまり大阪万博のとき)だと思うけど過去の万博のシンボルがたくさん載ったプラスティック製の下敷きを使っていました。

そのとき覚えたのがシアトル(62年)とブリュッセルの万博なのです。

だから一瞬見えた時は興奮しました。

そういえば風車を見ていなかった。Dscn2819a Dscn2824a

途中のキンデルダイクというところで見学。

日本でいえば白川郷みたいなとこか。

やっぱりスケートしていた。

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2009年1月12日 (月)

世界三大がっかりをじっくり

まあ「世界三大がっかり」といえばマーライオン、人魚姫と小便小僧でしょう。

お約束で見に行きました。Dscn2802a_2 Dscn2810a

グラン・プラスの朝も堪能。

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2009年1月11日 (日)

ブリュッセルでまたまたムール貝

Dscn2769a ブリュッセルへ戻る。

中央駅から王宮のほうへ上る。Dscn2755a_2

楽器博物館はアールヌーボー。

その先がロワイヤル広場。

屋台のワッフルを食す。

ベルギー王立博物館はその横から入る。

目当てはブリューゲル親子。

父「イカロスの堕落」Dscn2759a Dscn2761a Dscn2766a

「ベルツヘルムの戸籍調査」は父のものを息子が模写しているので2つある。

ルーベンスなら「東方三賢王の礼拝」。

またグラン・プラスへ戻る。

市庁舎、王の家、ブラバン公爵の館、ビール博物館とある。Dscn2780a Dscn2771a

裏側のお店が連なっている小道やギャルリーを歩いてチ ョコなどを買う。

夜はレオンでまたまたムール貝。Dscn2786a Dscn2798a

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2009年1月10日 (土)

ブルージュは美術も見ものです

ベルギー初心者はブルージュに行かないといけない。Dscn2620aDscn2642a

マルクト広場からスタート。鐘楼が目印。(登る価値はなDscn2645a い)Dscn2629a_2

市庁舎、公文書館、聖血礼拝堂をみる。 Dscn2643a

チョコレートなど買うもよし。Dscn2626a

運河沿いを歩くのも楽しい。 Dscn2640a

グルーニング美術館は分かりにくい場所にある。

15世紀のフランドル絵画、ルネッサンス、現代ものもあDscn2647a る。

ボッシュ「最後の審判」、ファン・エイク「ファン・デル・パーレの聖母子」が堪能できます。

そして聖母教会でミケランジェロの聖母子像とパイプオルガンを見学。Dscn2650a

お隣のメムリンク美術館。Dscn2632a Dscn2635a

正直、僕にはまだ早い。

周辺のお店も制限の中で抑えているもののおしゃれ。

Dscn2637a Dscn2658a Dscn2660a Dscn2662a

ビール醸造所を横に入るとベギン会修道院の中をとおる。

まとめて世界遺産に登録されています。Dscn2663a

オードリー・ヘップバーンの「尼僧物語」の舞台です。

抜けるとその名も「愛の湖公園」Dscn2669a

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2009年1月 9日 (金)

アムステルダムの建物は傾いていた

2日目。

アムステルダム市内を歩く。

運河が凍っている。10年ぶりだそうだ。

スケートしている。

山が無いからスキーじゃなくてスケート。Dscn2516a

運河をクルーズする。

きれい。

まるで絵のよう。ゴッホも出るはずです。Dscn2535a Dscn2519a

建物が古い。でも傾いている。地震はないようだ。一発で倒れる。

アムスホテルがあった。オーシャンズ12のロケでも使われた。

ハイネケンの博物館もあった。オランダだったのね。Dscn2523a Dscn2522a

水上の家もある。ウンチ垂れ流しらしいです。

ダイヤモンド工場をみた。Dscn2545a

アムステルダム中央駅。1889年開業。ゴシックとルネッサンス。

辰野金吾の東京駅(1914年)のモデルになったという。Dscn2548a

でも似てないよね。

アムステルダム国立美術館。Dscn2562a

中央駅に似ていると思ったらカイベルスという設計者が同じ。

ここにはレンブラントの「夜警」「自画像」、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、ハルスの「陽気な酒飲み」、ロイスダールの「ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車」を観る。

「夜警」はものすごい迫力。さすが3大名画のひとつ。

しかも1人でじっくり観れた。日本じゃ考えられないことです。

近くにはゴッホ美術館もある。

「ひまわり」は人気だった。

途中で車の中から「東インド会社」の帆船を見た。Dscn2567a

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2009年1月 6日 (火)

にほんの里100選に大当たり

朝日新聞の「にほんの里100選」の選考結果が発表されました。

だいたい1県に2か所の勘定。

山梨県では牧丘・八幡(山梨市)と増冨(北杜市)でした。

僕は正月に牧丘の良さを紹介しただけにうれしい。当たり。

八幡は窪八幡様を中心とした地区ですが、ズバリ初詣に着物でいった神社です。

切り妻民家も多いところ。

僕の一押しの甲州市の上条地区とか芦川の鴬宿も惜しかった。

さらに増冨じゃなくて増穂だったら大当たりのところでした。

最初はびっくりした。

なお、山梨つながりではこのブログでも紹介した柳沢吉保の三富新田(所沢市)も入っていました。

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2009年1月 3日 (土)

山梨の建造文化財(続き甲府辺)

さて3日目です。

甲府市高室町にあるその名も高室家住宅(県53)。

家が地名だからね。Dscn2488a

しかも回りの家も古い立派な家がれんたんしています。

なにしろ塀が高くて伺いしれない。

正面の門も立派。武家屋敷のよう。

西へ走って中央市布施の旧小井川郵便局(近52)。Dscn2496a

実は元旦に探しにきたんだけどわからなかった。

今度は近くの書店で聞いてみてわかった。なんとコロッケ屋さんになっていました。

最後は甲府市内で唯一空襲から残った甲府法人会館(近1)。Dscn2497a

よく探せば古い建物も残っている雰囲気。

空襲さえなければなあ。

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2009年1月 2日 (金)

山梨の建造文化財(続き南西部)

身延町の移って旧下山療院(近50)。

下山というのは地名です。隣に新しい病院が立っています。Dscn2437a

身延山への初詣の渋滞をすぎ身延橋を渡ります。

身延駅前を通りひと山越えて富士川方面へ曲がると大きな河川敷の田圃の中を狭い一本道を走ります。

そうすると突然、茅葺の農家が現れます。旧市川家=県98です。

今回の見学で一番印象に残る建築物です。Dscn2440a Dscn2447a Dscn2448a

なにせ周りとの調和がとれている。

裏山と前の畑、倉の関係が美しい。

敷地周辺が平らで周りに何もないというのは山梨ではなかなかないロケーション。

中も見学できて農機具やら帆かけ舟も展示してある。Dscn2451a

北上して鰍沢へ。

セブンイレブンとシェルの裏に大きな倉があります。

こららを経営しているのが小原屋原田商店(近45~49)。

さらに国道52号を北上。

増穂町の青柳2丁目の交差点には萬屋醸造店、その先には米長元名人の実家(たぶん)、反対側には御米蔵が移築されています。Dscn2452a Dscn2454a Dscn2457a Dscn2459a

富士川舟運で栄えた鰍沢・青柳。ボロ電の山交電車の終点は青柳でした。

萬屋さんは1790年創業だそうですが、昭和8年に与謝野寛・晶子がおとづれ、そのときの歌から「春鶯囀」という酒名になったそうです。ギャラリーもあります。

交差点を西に走ると増穂小学校があってその校庭には旧舂米学校(つきよね)の校舎(県96)があります。Dscn2462a

なにしろシャチホコがすごい。

さらに北上して南アルプス市の荊沢(ばらざわ)

には松寿軒という和菓子屋さんがあります(近30)。Dscn2467a

ちゃんと営業していて人気もあるようです。

古市場の交差点を東に右折して進むと重文36の安藤家住宅があります。

ちゃんと駐車場も完備してありますが、あいにく休館でした。Dscn2471a Dscn2473a

外から眺めましたが長い塀と茅葺の立派な家と門。

こんな家があったとは驚きでした。

市川大門へ戻る感じで街中を歩いてみました。Dscn2483a

福金楼(近元44)はなくなってしまいましたが、市川教会(近44)は健在です。

ツリーの電飾もあってきれいでした。

最後はもう一度52号線に戻って北上して桃園の村松家住宅(近31~34)。Dscn2485a

工事中の網の先を写真を撮りました。暗い。

(3日目につづく)

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牧丘は甲州式切妻突出し農家の宝庫

山梨の建造文化財の最初は峡東地区。盆地の東側。Dscn2405a

上野家住宅(山梨市東=県70)。 茅葺の家。

住んでいるので外から眺める。

西川家住宅(牧丘町窪平=県81)。西川医院で甲州式の典型。Dscn2406a

それにしてもこの周辺は甲州式の家が点在している宝庫ともいえる地域。

塩山上条地区や芦川鴬宿地区のようにトタンで覆われていなくて瓦屋根です。Dscn2410a_2 Dscn2411a_2 Dscn2421a Dscn2424a_2 Dscn2426a Dscn2427a

さびれた商店街もいい感じ。Dscn2416aDscn2414a

三富の方へ北上して徳和地区に入る。

ここは恵林寺の乾徳山の登山口。  Dscn2418a

山間集落の中に旧坂本家住宅(県84)。小ぶりな切り妻民家。

現在の所有は山梨市で工事中でした。

下って塩山へ。Dscn2435a

風間酒造(甲斐ワイナリー=近17)

反対側にあるのが田辺酒造。田辺元知事の実家。Dscn2432a

(つづく)

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2009年1月 1日 (木)

山梨県の建築文化財を見に行く

今日、根津記念館を見学しました。

根津家の主屋、土蔵、門は登録文化財に指定されています。

そこで山梨県にある近代建造物のうち国の重要文化財、県指定有形文化財、登録文化財を見に行くことにしました。

他の県にくらべると少ないと思います。

建造物登録はわずか56件で2番目に少ない(宮崎が最下位)。

甲府の大空襲が痛い。

すでに見たものもあります。

国の重要文化財(重と略すことにします)は、旧睦沢学校校舎(武田神社内)、旧高野家住宅(塩山の甘草屋敷)、星野家住宅(大月市20号沿い)、関西家住宅(身延町湯ノ奥)。

県指定有形文化財(県)は、旧津金学校(須玉町)、北原家住宅(白州町台ヶ原 七賢)。

登録文化財(近)は、旧富岡家住宅(善光町町)、山梨大学赤レンガ館、塩山市中央区民会館、旧武藤酒造(塩山市籐木の笛吹川芸術文庫)、飯島楼(山梨市小原西)、旧根津家(山梨市の根津記念館)、笹子隧道、旧田中銀行(勝沼)、御坂隧道、旧上九一色郵便局(甲府市古関)です。

このブログでほとんど紹介していると思います。

市川大門の福金楼はすでに取り壊されてしまいました。その代わり芦沢家住宅(南アルプス市)が昨年に登録されました。

気づいたのですが、室伏学校(牧丘町)は何も指定されていないんですね。

残り3日~4日はかかるかもしれない。

さあ見にいこう!

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根津記念館で元旦に考えた、2009年はバリュー投資

鉄道王根津嘉一郎の山梨市の実家が記念館になりました。Dscn2379aDscn2380a

昨年10月11日にオープン。

2007年に国の有形登録文化財になったばかりです。

根津ピアノもちゃんとあります。 Dscn2390aDscn2385a

富士山も見えるすばらしいロケーション。

初めて根津家に来た人もいるでしょう。 

それで気づくのは「あーここが旧青梅街道なのかあ」ということでしょう。

根津記念館からちょっと歩いてみることをお勧めします。Dscn2395a Dscn2397a Dscn2398a

古い家が点在しているのに気づくはず。Dscn2402a

藤村県令の旧東山梨郡役所もここにあったはず(今は愛知県犬山市に移築)。

すぐそばに中央線が通るのも意味がある。

「ボロ買い一郎」で、「乗り物と灯り」という甲州財閥の教え。

不況時には周辺の地所を買い広げた。Dscn2381a

そして中央線が通るときは直線ではなく勝沼からグルリと迂回して甲府へ向かう。

雨宮敬次郎の塩山を通り、ここ山梨市を通過して石和に抜けるのです。

やはり投資はバリュー投資に限る。

今の日本はチャンスかもね。

根津、若尾、雨敬の時代だったらどうしたろうと思いを馳せる。

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2008年12月27日 (土)

白河はみちのくの玄関口だった

今日は東北本線の残り。

宝積寺より先。

白河を目指すことにしました。

旧奥州街道(明治6年からは陸羽街道と改称=国道4号)に沿って東北本線が走ります。

西那須野あたりから明らかに空気が違ってきます。

空気が冷たいし線路のそばに雪が。

那須岳のほうは雪が降っているのかよく見えません。

お昼過ぎに白河に到着。Dscn2288a

小雪がちらついてきました。さすが東北。Dscn2298a

歩いている人はいません。Dscn2281a

城下町です。北側に小峰城がそびえています。

駅舎がかっこいい。東北の駅百選のひとDscn2259aつ。 

街並みは整備されています。Dscn2267a

活気はゼロですが古い建物もチラホラ。往時をしのばせます。  Dscn2251a 

見慣れない地銀や信金の看板を見ると旅の気分が出てDscn2275aきます。

白河ハリストス教会がシンボルか。

大工町とか地名が残っている。いわき市もそうだったなあ。

新橋の先は花街だったそう。Dscn2262a

寒くなって駅に戻るとだだっ広い待合室にストーブがある。Dscn2285a

ステンドグラスがある。

みちのくの気分だった。

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2008年12月 7日 (日)

吾妻線はダムに沈むの?

今日は吾妻線。群馬の。Dscn2160a_2

高崎線で高崎へ。

浅間山だけが白くてクッキリ見える。快晴です。

結構遠い。長い。

思ったより平坦をいく。

渓谷でもある。だから下りは左側に座ったほうがいい。

でも八ん場ダムで沈む。

ところどころにその雰囲気はある。

線路は付け替えるらしい。

紅葉の季節はとっくに終わっている。冬山です。雪は無いけど。

温泉も続く。Dscn2166a

草津の最寄駅だけど山を越える必要があってまだまだ遠い。Dscn2186a

万座とか嬬恋とかも同じ。Dscn2167a

1時間40分ほどで終点の大前駅。

海抜840.37mとある。結構登ってきたんだ。

改札が無い。切符回収の箱がある。Dscn2182aDscn2174a Dscn2173a

もっともこの辺はパスモも使えない。

何もない。温泉が1つ。

あーお弁当でも買っておけばよかったあ。

20分後に引き返すので乗る。これを逃したら大変なことです。

途中で目に付いたのは養蚕農家らしき建物。

赤い屋根に2つの突き出しがある。Dscn2190a

これは甲州や会津などとは違う。

そういえば、草津への途中には六合村の赤岩地区には重要伝統的建造物群保存地区があってむかしの養蚕農家がたくさん残っているそうです。

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2008年11月23日 (日)

会津は日本のデンマークだった

野岩鉄道から会津鉄道。

会津田島に着くには9時21分北千住からの東武線の快速に乗らないといけない。

北千住の着いてびっくり。

混んでいる。3連休の中日に日光にいくのだろうか。

途中切り離しで日光、新藤原、会津田島に行く車両に分かれる。

下今市まで立っていく。疲れた。

でも紅葉はまだまだきれい。

鬼怒川温泉より先は未知なる世界。

新藤原からは野岩鉄道となります。Dscn2060a

ここらへんでやっと空いてきました。でも寒くなってきます。

途中から雪見えてきてホームにも積もっています。 Dscn2063a

会津高原尾瀬口ではすっかり雪景色。スキー場といった感じ。

ここからは会津鉄道で福島県南会津町。

もう気候が違うのを実感。

会津田島までなので一旦降りて食事をします。

思ってより大きい町で南会津の中心だったのでしょう。Dscn2066a Dscn2069a

旧南会津郡役所という明治の洋風建築があるみたいだけど雨が降っていて断念。

この辺に来ると赤い屋根の古い農家がたくさんあって面白い。

きっと会津の独特な建築なんでしょう。Dscn2072a

屋根の真ん中に小さい突起があって鬼みたい。家の両側には屋号が必ずある。

ときどき青い屋根もある。

塔のへつり駅って変な名前だなあと思っていたら、グランドキャニオンみたいなDscn2075a場所のようです。

運転手さんもちゃんとゆっくり走ってくれる。

この辺りから温泉なんかもあっていいところみたい。

湯野上温泉駅は茅葺の駅です。Dscn2083a

ここは大内宿にも近いので降りる人も多かった。

門田駅辺りになるとやっと山を抜けた感じになります。

そう考えると日光なんて都会だし立っていける近いもんだ。

会津若松で降りて、赤べこや白虎隊士像と写真を撮ったりちょっと散策。Dscn2109a Dscn2100a

七日町駅から散策するのがいいみたい。

古い建築物も多くライトアップもされている。

SLも走っているし。

今度ゆっくり来てみたい。

磐越西線で郡山まで行って新幹線で帰ってきました。Dscn2115a

途中、猪苗代湖あたりもいい。磐梯山もきれいです。

福島県って意外に近くだけどやっぱり寒い。東北です。

東北6県っていうけど、位置づけとしては北欧のデンマークみたい。

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2008年10月27日 (月)

大菩薩街道にある看板

昨日の続き。

マラソンのあと温泉へ。

夏に断られた甲州市にあるあのお湯。

3回目。

ここの露天風呂は紅葉がいい。Dscn1677a Dscn1682a

まだちょっと早い感じ。

今から最高だと思う。

夜もいいかも。

紅葉をもっと見たくなって大菩薩峠に山道をドライブすることにしました。Dscn1700aDscn1695a

上に行くにしたがって紅葉が見事。

キャンバスに描かれた絵のよう。

ロッジ長兵衛まで行って引き返しました。

この上にある福ちゃん荘は39年前の赤軍派事件で有名です。Dscn1708a_2  Dscn1706a

そんな事よりも途中にある看板に笑う。

甲州弁だけど、甲州弁知らない人もおかしいらしい。

そういうものなのかなあ。

上条地区の甲州式の茅葺突上げ屋根付き切妻造り民家群を見て帰りました。

山梨は秋だった。Dscn1711a Dscn1713a Dscn1717a

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2008年10月19日 (日)

新橋にあるクラシカルな錠前屋さん

今日は用事があって新橋に行きました。

お昼休みにブラブラしていたら古い4階建の建物を発見。

よくみたら塔もついているすごいレトロ建物じゃないですか。Dscn1634a

堀商店。

ドアの錠前なんかの卸会社みたいです。合資会社。

創業明治23年と書いてあります。

1932年(昭和7年)に建築。

スクラッチタイルとレリーフ。

設計は公保敏夫+小林正紹。

施工は安藤組(安藤建設)。

登録有形文化財なんだあ。

残念ながら土日はお休みなので中は見られず。

2階には鍵のコレクション・コーナーもあるそう(要予約)。

新橋~虎の門までよく歩くのに今まで気がつかなかった。

新橋にきたらライオンの先からもうちょっとだけ足を延ばしてください。

有るんだねえ。

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2008年10月17日 (金)

根岸・下谷・かっぱ橋

鶯谷という駅に初めて降りました。

郊外の小さな私鉄駅のよう。

南側は寛永寺霊園でその先は国立博物館。

言問通りを歩く。

よく見ると古い建物や路地が見えます。

もしかして空襲から逃れた?Dscn1571a

入谷鬼子母神はここかあ。

でも住所は下谷で入谷は斜向こうなんだけど。変だなあ。

その前に見逃さないゾ。古い小学校があった。

アーチ式の建物とツタの絡まった丸いアールデコ風。 Dscn1575a Dscn1573a_2

坂本小学校。

すでに廃校になっているようです。

後で調べたら関東大震災の後の復興小学校の代表作でした。

入谷駅昭和通りを越えると松が谷。

入谷、松が谷と言えば「吉展ちゃん誘拐事件」の舞台だよなあ。

僕が生まれた頃なのでタイムリーには知らないんだけど。

そういえば犯人の主張したアリバイは実家のある福島だったけど、あれは日曜に行った水郡線の磐城石川の藁ぽっちでした。

かっぱ橋道具商店街を通って帰りました。Dscn1577a

久し振りだなあ。

かっぱ橋ってこんなに長かったっけ?

やっぱり見ていてあきない。

外人さんも多かった。

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2008年9月21日 (日)

いすみ鉄道は菜の花だった

千葉の旅も佳境に入ってきました。

去年、大原で挫折したいすみ鉄道。

それから小湊鉄道も養老渓谷と上総中野の間を乗り残している。

今日は夕方から雨が確実。

立ち往生したらどうしよう。

しかも朝、地震があったし。

前回の反省を踏まえ、時刻表はばっちり。

時間が足りないので東京駅から10時の特急しおさいに乗ってしまった。

11時16分に大原へ。 Imgp4096aImgp4109a_2

11時46分のいすみ鉄道に乗れました。

予想どおりの自然の中を走って12時17分に大多喜へ到着。

黄色い車体はきっと菜の花。

きっと春に来るといいかも。

ここから小湊鉄道に接続するには14時20分に乗ればいいので2時間近くある。

大多喜を散策するにはちょうどいい。

まず、古い街並みが残る城下町のほうへ。Imgp4119a Imgp4121a

かなり整備されていて歴史を感じます。Imgp4127a

こんな山の中に古い街並みがあるとはねえ。

意識的に再生された古い商家もあるけ Imgp4128aど、そのまんまの古い民家を発見しても楽しい。Imgp4129a

一通り眺めたら、今度はお城の方へ登ってみる。

メキシコ通りを行きました。なんでメキシコなのかと思いましたがやはり歴史があるわけです。

お城の中は県立博物館の分館になImgp4160aっています。Imgp4133a Imgp4141a_2

帰りはきっと近道があるだろうと聞いてみると、やはり降りる道がありました。Imgp4145a

大多喜高校の中を通って駅に戻りました。

上総中野はいい感じの駅 でした。

いすみ鉄道と小湊鉄道はつなげてしまえばいいのにと思っていたのですが、この駅で2つが並ぶのを見たらなかなかフォトジェニックなのでこれもいいかなあと思い直しました。

隣の養老渓谷には足湯ができていました。Imgp4184aImgp4183a Imgp4178a

ハイキングの人たちも多くなって、五井に着くころには座りきれないほどでした。

天気が良かったらもっとすごいのかもしれない。

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2008年9月14日 (日)

京島は長屋がいっぱい

気になっていた京島に行きました。

この辺りは戦火を逃れたので昔の街並みが残っている。Dscn1427a

京成曳舟で降り南口からたから通り商店街を。

途中に古いポンプがありました。いくつかあるらしい。Dscn1430a

消防車が入れない下町ならでは。

やっぱり古い建物もある。

左折してキラキラ橘商店街。

こっちのほうが賑やか。

モツ焼き屋さんとか入ってしまいそう。

明治通りに出るひとつ前の道は京成曳舟からクネクネ曲がっていて面白い。Dscn1435a

江戸時代の川らしい。

ところどころ新しい家やマンションが建っているけど、古いものもある。長屋みたいなものは見入ってしまう。Dscn1432a

東武亀戸線のほうに行くと珍しい六差路がある。Dscn1438a_2

まさに珍百景だけど住んでいる人はなんとも思っていないらしい。

押上まで歩いて行った。意外と近かった。

今日はいろいろなところで秋祭りを見かけたけど当然お祭りやってた。Dscn1440a

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2008年9月11日 (木)

黒川金山のトレジャー・ハンティング

武田家を支えたのは金山。

その中でも大きいのは多摩川源流のある黒川金山。

財宝を隠したなどいろいろな伝説がある。

遺構が残っているらしい。

研究隊が本格的な調査をしたのは比較的最近です。

昭和49年に専門家が入って昭和59年に武蔵野美術大学の田村教授を代表に遺跡研究会ができます。

三菱財団の後援、塩山市の協力の下昭和61年に本格的な調査に入りました。

黒川鶏冠という山になりますが神社なんかもちょっと怖い。

黒川千軒というテラス群や坑道も発見されています。

石臼なんかもゴロゴロしているらしい。

残念ながら金は江戸時代には獲れなくなったようです。

大藪宏著「戦国武田の黒川金山」(山梨日日新聞社1995年)はこの金山に関する興味深い本です。

技術集団で戦でも活躍した金山衆は山の北側にある一之瀬高原に移りすんだようです。

今では家も少なくなってきたらしい。

僕も今度探検に行きたいと思います。

その前にニコラス・ケイジのナショナル・トレジャー2を借ります。

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2008年9月 9日 (火)

明治期の私塾と甲府の洋風建築街

明治期には私塾が多かったようです。

山梨には明治初年に私塾20、寺子屋517あって生徒数582だったらしい。

八代町には明治23年まで加賀美平八郎の成器舎がありました。

ここでは根津の大番頭河西豊太郎、阪急の小林一三は成器舎の学友でした。

北村透谷も教えにきた蒙軒学舎も同じ頃に廃校になりました。

南部町(睦合村)は私塾が盛んで明治10年には宣教師イビーが来ています。

ですから市川教会や甲府教会も古いのです。

これらは福岡哲司著「近代山梨の光と影」(山梨日日新聞社2006年)に詳しい。

著者は山梨県立図書館館長です。

他にも南岡堂、芙雪庵、根本塾、三余塾、進徳社などたくさんあったようです。

公立学校には反対するような考えも強かったのは意外です。

このほかにも、藤村県令と甲府城下大改造、県会・国会が始まった頃、甲府に桜座があった頃という4つの話が書いてあります。

特に4つ目の芝居小屋を中心とした甲府の商業発展は面白かった。

絵葉書に若尾銀行など洋風建築があって興味をそそられました。

甲府大空襲で全部やられてしまったけど。

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2008年9月 7日 (日)

下仁田駅はレトロでいい感じだった

乗り残しの旅は群馬か千葉か。

天気が悪くなって孤立したらどうしよう。

来る電車で決めた。群馬。

高崎から上信電鉄へ。Dscn1382a

上州富岡は富岡製糸場へ行って以来。

その先、下仁田まで。

下仁田駅は思ったよりいい感じだった。

全然期待していなかっただけに。Dscn1402a Dscn1404a Dscn1408a Dscn1410a

関東の駅百選らしい。

頭端式。

小海線とつながる予定だったらしい。Dscn1411a

上信だけに。

そうすれば山梨へも行けたのにい。

駅前の商店街も古くて狭くていい感じだった。

下仁田といえば井森美幸とネギしか知らなかった。Dscn1396aDscn1391a

ロケ中のヨネスケ師匠を発見しました。

高崎まで戻って上毛電鉄に行こうと思ったけど新前橋で乗り換えが大変ときいてあきらめました。

両毛線で伊勢崎まで行って東武伊勢崎線で帰った。Dscn1414a

雨と雷で「さすが上州」と思っていたら、東京の電車は雷被害でもっとひどかった。

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2008年9月 5日 (金)

雑司ヶ谷は静かな住宅街だった

雑司ヶ谷というのは気になっていましたがなかなか行くチャンスがありませんでした。

副都心線ができたので仕事帰りに行ってみました。

雑司ヶ谷と言えば宣教師館(旧マッケーレブ邸)。Dscn1361a

明治40年(1907年)ですからそれほど古くはない。

保存状態はかなり良い。

地元の保存運動で助かったので意識も高いのかもしれない。

でも何でこの場所なのか。マッケーレブさん。

墓地のすぐ近く。

雑司ヶ谷墓地は1874年にはできていたはず。

まあモリッシーの趣味は墓地の散歩だそうだから英米人にはそれほど問題ないのかも。

そんなこと言ったら高輪とか谷中なんて墓地だらけで住めなくなっちゃうしね。

なんたって宣教師だから関係ないか。

中を歩いてみた。

夏目漱石やジョン万次郎とかの墓もある。

それにしてもいろいろなお墓があるのに感心した。都会は違うなあ。Dscn1366a

まわりに古い建物もあっていい雰囲気でした。

都電荒川線もいいねえ。

鬼子母神というのも初めて訪ねた。Dscn1378a

今日は夕日が赤く幻想的だったって知ってる?

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2008年9月 1日 (月)

買収されていた精進ホテル

夏のキャンプのとき精進湖を周りました。

トンネルの前で「精進ホテルはこの辺だなあ」と思っていたら看板が隠されていたようでした。

変だなあと思って後で調べたら精進ホテルは3月に買収されていました。

上野精養軒から富士急へ。

7000万円は安いのでは。

精養軒の決算資料によると「自社保有物件の見直しと資産効率改善のため」2月に譲渡すると発表されています。

富士急行の株主説明資料によると来春に再開業するらしい。

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2008年8月28日 (木)

自由学園明日館は小さかった

((池袋にある自由学園が気になっていました。

仕事の途中に見学に行きました。

羽仁夫妻がつくったキリスト教のユニークな学校としか知りません。

建物はフランク・ロイド・ライトで重要文化財にであるのはもちろん知っています。

1921年(大正10年)

写真で見たことは何度もあります。

やっと見ました。

建物の保存がいいし、やはりかっこいい。

芝生もきれい。

でも変だぞ。

ああ小さい。

思ったより小さいのです。

しかも設計は弟子の遠藤新との共同でした。

ここ池袋に学校はなく卒業生の活動に使われているそうです。

ひばりヶ丘の自由学園の建築物もいいらしい。

それにしても動態保存としてうまく残していることに関心しました。

学校を愛しているのでしょうね。

みんな挨拶してくれる。

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2008年8月20日 (水)

タマホームのモデルルームはよし

日本の住宅って高い。

都会の土地が高いのはしょうがないとしても、田舎は安いはず。

でも建物は高いのでやっぱり高くなる。

少し前に住宅展示場に行ったけど、どこも最もいいモデルを見せる。

だいたい6千万円から8千万円。

これは敷地は別。

初回購入者には無理というもの。

土地持ちの親からの相続や2世帯住宅でない限り。

どうしてそんな高い方を展示するのかと聞くと「お客様の夢を与えるのも目的でして・・・」だそう。

それでタマホームを見たくなる。

みのもんたの。

東京ドームの

山梨に帰省の際に見てきた。

オール電化で坪25.8万円くらいだから1200万円前後(外構などは別)。

太陽光発電付きでも1600万円。

消費税込み。

プランは400種類だけど基本は3つほど。

木造軸組だから積水ハウスとかとは違う。

内断熱で床暖房がないのはどうしてだろう。

化粧台が狭く安っぽい。

整形で平地の敷地でないと厳しいだろう。

田舎向きで都会では無理だと思う。

それにしてもこの価格は魅力的。

見た目はそんな値段には見えない。

田舎で安い土地を買ったり、親から農地をもらって転用してしまえば家具なんかも新調しても1500万円で足りる。

しかも広い。

ほとんど稼がなくても生きていける。

なんということだ。

東京では無理というもの。

タマホームの安さを実感できるモデルルームはこれでいいんじゃないの?

ある意味夢を与えていると思う。

現実に山梨では年間150棟(500棟の聞き間違いだったか)購入されているらしい。

タマホームの家の性能が本当にいいのかわからない。

だけど、マーケティング的に中途半端なメーカーは苦しいだろうな。

努力が足りないのか?

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2008年8月19日 (火)

山梨で擬洋風建物を発見

  山梨の帰省中にも古い建物を発見するわけです。Dscn1074

まず、西湖に向かう間に芦川村(現在は笛吹市)の鶯宿地区Dscn1073の兜造りの建築群。Dscn1075Dscn1076

赤や銀のトタンに下に茅葺がある。

これが並んでいる。

一番いい写真ポジションがあるはずだけど、時間がないので次回にしたい。

まず、芦川を下って精進湖線に出たら上九一色村(現在の甲府市)です。

ここには古い擬洋風の郵便局が残っています。Dscn1077Dscn1078 Dscn1079

色もきれいでかっこいい。

これをつくった人はえらい。

村のシンボルって感じ。Dscn1083

しかも予想どおり周りには兜造りの家もたくさんあります。

芦川村に近いしね。

この上九一色はオウム事件の村として有名だけど細長い形だったので、こちらの半分は甲府市に編入されました。そしたら甲府市も細長くなってしまいました。

そういえば昔、大火があった記憶がある。

次は御坂峠の旧道を登ると天下茶屋。Dscn1204

太宰治の「富士には月見草がよく似合う」の。

僕が小さいときはボロい建物で営業していなかったけど、今はきれいになってお団子も食べられる。Dscn1192Dscn1193

2階は太宰の部屋が復元されていて写真なども展示してある。Dscn1190 

ここの旧トンネル御坂隧道も有形文化遺産。

次は勝沼(現在の甲州市)の旧田中銀行。

ここも擬洋風。Dscn1205Dscn1207Dscn1209

裏には立派な倉もある。

この街道沿いには興味深い古い建築物がある。Dscn1212Dscn1210

こんどゆっくり探検してみよう。

最後は、塩山(現在の甲 州市)の駅の北口にある塩山市中央区区民会館。Dscn1220

この辺だろうと探していたらパッと現れた。異次元の世界。Dscn1215 Dscn1216

周りの家からこの家が見えるってどういう感覚なんだろう か。Dscn1219

やはり藤村式の擬洋風建築物。

明治12年に建てられた千野学校(私立里仁実業学校)の校舎でした。

昭和23年にここに移転。その後は警察署、昭和33年から昭和57年まで図書館として、昭和利用されてきました。

跡地は公園風になっていて碑が立っていたけど、建物はここにあったのかあ。

もっと活用して欲しいなあ。

まちおこしの中心として。

でも耐震や耐火にしないと危ないかな。

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2008年8月10日 (日)

日光結構外人多い

疲れていても休ませてはもらえません。

今日は全くノーマークだった日光方面へ。

暑いうちに行きたいじゃないですか。

新栃木で待つ事30分。早めの昼食を取りたい。

この駅前は駅らしい広場があるけどお店がまるでやってない。

しょうがないので電車に乗る。Dscn1023

4両編成の電車がきて、前に2両を接続。

前2両が日光行き。真ん中2両が野岩鉄道の会津田島行き。後ろ2両は東武の終わりの新藤原まで。

自分が何番目の車両にいるのかわからないので戸惑う。

乗務員のおじさんに聞いてみたけど要領を得ない。

車両内部の後ろにどこ行きか表示されていることがわかった。

とりあえず福島県との県境の会津高原尾瀬口を目指す。

この辺りから山の中というか何もないところを走ります。

下今市で前2両を切り離す。

ここからは東武鬼怒川線。意外とこっちのほうの乗客が多い。

鬼怒川温泉駅まで来ると20分も止まるとのこと。

駅も大きく、降りる人も多い。

それでここで降りることにしました。

鬼怒川温泉はでかい。ホテルも多い。人も多い。

ホテルニュー岡部などコマーシャルで聞いたことがある。

遅い昼食を食べました。みんな湯葉そばを注文する。有名なのか。Dscn1024

駅前に足湯があるので浸かる。

川を見たいと歩き始めたけどやめた。

下今市まで戻って、日光方面の電車に乗り換える。Dscn1040

杉並木が見えてくると日光らしく感じる。

本当は日光東照宮とか中禅寺湖とか金谷ホテルとか行きたいけど時間がない。Dscn1038

JR日光駅は古い建物でかっこいい。写真を撮る。 Dscn1043 Dscn1052

JR日光線で宇都宮まで行く。

乗り込むと外人さんの観光客ばかり。

世界遺産だし東京から日帰りできるしで人気があるのだろう。

それにしても東武には1人もいなかった。Dscn1055

アクセスの悪さ、時間の遅さで分が悪いのだろう。

でもそれだけではないはず。考えてみた。

まず、周遊券などの割引が違うのかも。旅行では便利だしね。

それからガイドブックやHPなどの宣伝の違いも大きいと思う。

恐らくバックパッカー向けのガイドに東京からJRで行く方法が書いてあるのではと想像した。

では東武も力入れたらどうかと思うけど、あの乗務員の説明じゃこころもとない。おじさんたちも正直来ないで欲しいと思っているのでは?

JR宇都宮駅から東武宇都宮駅はすごい離れていることを知る。

歩いて20分はかかる。

JRで帰れば簡単だし早い。でも僕は東武宇都宮線に乗る必要がある。

足が痛くて歩けそうもないのでバスに乗って移動しました。

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2008年7月26日 (土)

農村は何が共同体意識を持たせるか

農村の集落というのは、非常に共同体意識が強いですね。

住民同士の絆があって時にはおせっかいやプライバシーがないこともあります。

それでいてよそ者には排他的です。

これは長い歴史があるわけで、都会はもちろん漁村や山間地とも違います。

僕がその中心的理由と考えているのが用水路です。水です。

農業に水は欠かせません。

あたりまえですが、上から下に流れます。

水利権です。

なにせ民法より慣習が上になることさえあります。その一番が水です。

むかしから水の取り合いとか隣村との諍いで裁判になったなんて山ほどあります。

だから隣である村ほど競争意識が強かったり憎しみあったりしています。

上から下に流れる水は、その一面を潤すと同時に運命共同体となるわけです。

作物の病気を発生させたり、有害物質を流したり、自分だけ沢山使ったりされては困ります。その人の田畑だけでなく地域全域の問題となってしまいます。

そこで変な使い方していないか相互監視機能が働きます。

プライバシーより優先されます。

いろいろな共同作業や冠婚葬祭を通じて人となりを観察しておきます。

もちろんよそ者を簡単に入れるわけにはいきません。

7月3日夜のNHKでやっていた「熱中時間」という番組に釘付けになりました。

川尻裕一郎さんという元技術者の方は用水路をめぐっている人です。

地図に江戸時代の用水路を発見し観察にいきます。

遠い山向こうから地下を通ったり、反対側の山から一旦下を通って上ってきたり、これらは通常見えないのですが川尻さんには見えるようです。

水量を公平に分けるための用水路技術はすごいものがあります。もちろん普通の人にはなんだかわかりませんが。

番組では数時間かけて山道を登っていくのですが、江戸時代に山の地下を通した水路には本当に驚きました。

日本人の技術はすごい、と改めて関心しました。

これだけの技術と資本投下と労力と時間をかけてつくれば、逆に水利権でもめるのもわかるような気がしてきました。

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2008年7月 6日 (日)

乗り継ぎの悪い東武線が混む訳

今日は東武線の旅。

乗り残していた佐野線や小泉線といった人名みたいな路線がどうも気になる。

へたすると1時間待つ。

是が非でも制覇せねば。

伊勢崎線もね。Imgp4037Imgp4045

久喜から館林へ行って3つのうちどれかに乗ろうと思いました。

それで佐野線で。

佐野市と佐野というまぎらわしい駅がある。

以前、JR佐野駅で乗り換えようと思って断念しました。

その先は・・・シラサギがいっぱい。黄色っぽいのもいる。

キジもいた。筑波の裏以来です。

葛生というのは石灰が出たのでそれを運ぶための路線でした。

佐野鉄道を東武が買収しました。Imgp4048Imgp4052

地図を見るたびに山の中かと思ったら、全然違って平地でした。

田島駅はちょっと古い駅気になる建物でした。Imgp4054

佐野近くには茅葺屋根の家が見えました。そういえば両毛線の佐野~小山の間にも茅葺の家があったなあ。

館林周辺から佐野線沿線には大谷石でできた倉庫がたくさん見えます。農協の倉庫だったようです。Imgp4055Imgp4057

館林駅自体もなかなかいい。 

館林は美智子様の正田家の発祥地なので正田醤油と日清製粉の古い建物も見える。

館林まで戻って、今度は東武小泉線へ。

なんでここにこんな路線があるのか不思議でした。Imgp4061Imgp4062

この線は中原鉄道小泉線で東武が買収しました。

小泉は中島飛行機の工場があったところでこの路線は影響があります。

西小泉駅から仙石河岸駅までの貨物線である仙石河岸線(せんごくがしせん)がありましたが廃止されました。

新小泉駅と熊谷線(熊谷~妻沼)をつなぐ計画もありましたが、83年に熊谷線が廃止されました。

もう一つの不思議は東小泉~太田の路線名何かということです。どういう接続になっているのか行ってみないと良くわからない。

館林~西小泉が往復していて、東小泉~太田~赤城で運転しています。

西小泉から東小泉への乗り換えはスムーズでした。

太田・桐生線と呼ばれているようです。

それにしても太田というのは接続が悪い。

平気で1時間待つ。

館林から小泉線を経由したほうが早い場合もあるようです。

それで伊勢崎線は断念して帰ることにしました。

途中、福居駅(足利市)の隣には旧明治紡績(現トチセン)の赤レンガのノコギリ型の工場が目を惹きます。国の有形登録文化財だそうです。

1つ前の野州山辺駅には旧足利紡績工場の赤レンガ工場があるとのこと。

くやしいので途中、大師線と亀戸線も乗って帰ってきました。

それにしても、東武線はかなり混んでいました。半年前とは違っています。

これは明らかにガソリンの値上げの影響だと思います。

東武さんも太田の接続がもうちょっと良くなるように増便したらどう?

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2008年6月27日 (金)

旧岩崎邸は黄色かった

早朝ミーティングが終わったので、湯島にある旧岩崎邸を見に行きました。

思ったより敷地は広い。これでもだいぶ狭くなったらしい。Imgp3970Imgp3997

いきなり正面に現れた。 

建物は想像していた方角を向いていなかった。

でかい。Imgp3980Imgp3978

しっかりしてる。もっとひ弱な感じかと思った。  Imgp3992

黄色い。

ジョサイア・コンドル設計。Imgp3982Imgp3981

1896年Imgp3994 Imgp3988完成。 

17世紀英国ジャコビアン様式。

わが国の近代建築の最初のもの。もちろん重要文化財。

部屋の中にはイスラム風もある。Imgp3998

和館もつながっている。Imgp3984Imgp3987

撞球室はスイス山小屋風。   

湯島の古い建物を2つ発見。Imgp3999 Imgp4001

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2008年6月15日 (日)

やっと千葉の路線がわかってきました

ついに京成の旅です。

京成グループに新京成電鉄株式会社があるようです。

元々陸軍の演習用に敷設した線で、戦後に払い下げられて西武との争奪戦で京成となったらしい。

松戸から京成津田沼まで(こっちが下り)ですが、そのImgp3939まま京成千葉に乗Imgp3933り入れまImgp3932した。

これは2006年かららしい。   

途中はトンネルも橋もありません。

千葉からは千葉都市モノレールに乗りました。Imgp3951

ここは珍しい懸垂式のモノレールで世界最長らしい。

むかしの未来都市みたい。

なんか逆さまみたいでやっぱり変な感じ。

予想のとおりキャラクターはサルで「モノちゃん」といいます。

県庁前駅から千葉みなと間が1号線で、千葉駅から千城台までが2号線です。

都賀(つが)からJR成田線で佐倉へ行きました。

ここから京成佐倉は遠い。

途中に古い街並みや歴史民俗博物館も見たかったけど時間がありませんでした。Imgp3956_2

佐倉市立美術館だけ外から見ました。

旧川崎銀行佐倉支店の建物(1918年大正7年)です。

千葉支店、佐原支店と同じく矢部又吉の設計です。

京成で移動しました。途中で印旛沼が見えました。

ユーカリが丘線に乗ってみました。

地図を見るたびに「どういう街なんだろう?」と想像してきました。

デベロッパーの山万が運営する珍しい新交通システムです。

1982年に開業しています。

正確にはモノレールではありません。Imgp3958 Imgp3962 Imgp3965

ディズニーリゾートラインや西武山口線(元おとぎ線)に近い。

案の定「こあら号」でした。

ワンマンです。

女子大駅があるけどどこの大学?と思ったら、和洋女子大で誘致に失敗してしまったので女子大は無いのです。

反時計周りだそうですが、気が付かないまま帰ってきていました。Imgp3967

勝田台から東葉高速鉄道で帰ってきました。

高額な運賃の悪名高い第3セクターでしたが、八千代あたりはショッピング・センターがたくさんになっていました。

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2008年6月 9日 (月)

太宰の湯村温泉と山宮ハイタウン

昨日ですが湯村温泉に行きました。

旅館明治に行きたかった。

600円。

建物は古そうですが築50年だそうです。

太宰がいた頃の建物とは違っているのか。

館内にも太宰資料コーナーもあります。

お湯はイオウ臭がしていて質はいいなあと思いました。

温泉マップや太宰と昭和建築という小冊子を買いました。Imgp3925

湯村は温泉街の風情も残っています。

道が狭く、車を置けないのが玉にキズ。

それから北に並ぶ住宅群について見て見ました。

山宮ハイタウンです。

山梨の中では比較的良質な分譲住宅地域です。

高台で富士山と南アルプスの両方が楽しめます。

いいなあと思ってグルグル回ってみました。

高級そうでハイソな雰囲気です。建物も上品です。

これほど連坦している住宅街はないと思います。

住んでいる人で街はできあがるから、きっと良いコミュニティがあるのでは。

結構売り希望の看板が出ています。

なにしろ電線が眺望をじゃましているのが気になる。

それから崖を利用したガレージは1台分しかなくて路上駐車が多い。

高齢になると急な階段を上るのはつらいだろう。

子供も学校に通うのにチト大変そう。

そういう訳で山宮は愛宕山に移ってきているのではないかな。

くどいけど眺望は山宮の勝ちだし、建物の統一性も断然良いと思うけど。

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2008年6月 8日 (日)

山梨の建築と自然の続き

塩山の山にある裂石温泉に入りました。

露天風呂か内湯か選択できます。500円。 Imgp3879

露天風呂は川沿いにあって緑がきれい。

石で組んだ屋根もあります。

紅葉の季節に来たらいいと思う。Imgp3882

芦川のすずらん祭りは終わったけど、実は今が見ごろ。Imgp3883

シラカバの中にかわいいすずらんがいっぱい群生。

河口湖と芦川村をつなぐ若彦路トンネルは工事が遅れて平成22年頃になりそうとのこと。

あと建築物をいくつか。

山梨市にある飯島楼。Imgp3893

登録文化財。

明治37年頃の元旅館だそう。

養老酒造。Imgp3895

酒蔵というかカフェがあります。

築180年だそうです。

旧武藤酒造の蔵。Imgp3900 Imgp3904

こちらも登録有形文化財。

ここの笛吹川芸術文庫からは三島由紀夫の学生時代のメモが発見されました。

神田の古書店のオーナーのご実家らしいです。

善光寺町の旧富岡敬明の家。

登録文化財です。現在は改修中のようです。Imgp3905

敬明は権参事(副知事)で大小切税法の際の混乱を抑えました。

長坂町の開拓もやってJR日野春駅前に富岡という地名が残っています。

後の熊本県知事です。男爵。

書や篆刻で有名。

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2008年6月 7日 (土)

甲府駅周辺の建築物

今日は甲府に来ました。

駅の南東側に舞鶴城があります。

昔はあるだけみたいなパッとしない場所でした。

何しろ天守閣があったか論争があったほどでした。Imgp3846

もちろん江戸時代の城で武田信玄とは関係ありません。

整備が進んでそれらしくなりました。

僕が真っ先に行ったのは武徳殿という駅側にある建物。Imgp3851

ここは剣道の試合などが行われます。

僕も少年剣士だった頃、昇級審査などで来ました。山交バスで。

35年ぶりくらい。Imgp3850

それから目を引くのは駅の北東側、山梨放送の東に高層マンションが出来ていたこと。

なんか周りと合わない。 Imgp3853Imgp3854 Imgp3856

その周辺にはイタリアン、ドイツ料理、サドヤ醸造(フレンチあり)などがあります。

山梨大学は建物はそれほどかっこいいものはありませんが、見ものは2つ。

1つ目は、水晶庫(山梨大学教育学部付属地学教室)。Imgp3857

1927年(昭和2年)。

きれいになって見逃しそう。

中身(百瀬康吉ほかの水晶コレクション)は隣の事務局棟には水晶展示室があってそちらで見る事ができます。Imgp3860

石マニアにはたまらないものです。

最後に赤レンガ館(第49連隊糧秣庫(食料庫))。

1909年(明治42年)。登録有形文化財。

付属中学の校舎として使われていましたが教育人間科学部の歴史資料室になっています。Imgp3870

中はきれいです。

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2008年6月 1日 (日)

雨上がりの青梅線は緑だった

昨日は雨だったけど今日は晴れました。

それで青梅線の旅。Imgp3807

南武線を経由して立川から青梅線へ。

奥多摩からどうしようかと案内所で聞いてみるとすぐに奥多摩湖行きのバスが出るらしい。

で小河内ダムへ。奥多摩湖。 Imgp3809Imgp3822

でかいコイが泳いでいる。

結構人がいた。バイクにはいい日だね。

お昼を食べて臨時バスで戻る。

それにしても青梅線からの景色は飽きない。

奥多摩方面に向かって左側が川なので、そっちに乗るといい。

帰りの青梅までは「四季彩」号という休日に走る一枚窓で対面座りの車両でした。Imgp3828 Imgp3834

渓谷が良く見えました。

ときどき茅葺屋根の民家とか国道沿いには立派な家や古い商店なんか多くて面白い。Imgp3837

拝島から五日市線に乗って終点の武蔵五日市まで行ってみました。

考えてみると13年ぶりくらい。

青梅線に比べると同じ川沿いの路線だけど視界が開けている代わりに家は少ない気がする。

拝島からは西武拝島線と西武新宿線に乗って帰ってきました。

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2008年5月31日 (土)

近江路の特徴的な民家

大阪から東京に戻る際に、近江に寄ってきました。

大阪からJRの各駅で京都を経由して近江八幡へ。

1時間くらい。近いよね。

いつもは新幹線で通過していてどこが何やらよくわからなかった。

ほー、ここがサントリーの山崎かあ、ここが大津か、あれが琵琶湖かあと距離感がわかってきました。

近江鉄道で八日市へ。 Imgp3775Imgp3794 Imgp3803

ここで乗り換えに1時間近くも待たされる。

でも古い通りが見えたのでそちらの方を歩いてみました。

事前の準備もガイドブックもないのでデタラメ。Imgp3777

でもいい通りがありました。Imgp3782

御代参街道とか。

思っていた通り近江はいいぞ。Imgp3792 Imgp3793

司馬遼太郎も「街道を行く」で最初に近江Imgp3788路だったし。 Imgp3784

五個荘に行きたかったけど、この調子だと帰れなくなりそうなので米原まで行きました。

途中、彦根も通るので「ひこにゃん」じゃない「彦根城」も見たかったけどImgp3800諦めた。

この辺りから高槻までの民家には特徴があります。

明るい茶系の板を縦にした瓦屋根の民家がほとんどなのです。

必ず家紋を付ける丸い突き出しがあります。

こういうのは関西では普通なのでしょうか。

関東では見た事がありません。

米原から「ひかり」で帰ってきた。

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2008年5月25日 (日)

品川宿を歩く

品川宿を歩きました。Imgp3701

旧東海道です。

京急の北品川からスタート。

少し歩くと運河に船がいっぱいあるところがあったので見て見ました。Imgp3712

遠くには天王洲か。

まるで佃島のようです。

旧東海道は7mです。間口の狭いお店が連坦しています。Imgp3709 Imgp3705 Imgp3710

道路自体はかなり整備されています。

街並み保存の運動も盛んのようです。

説明書きの看板もあってわかりやすい。Imgp3715

東海道より南側はきっと海だったんだろうという名残があります。

横丁が面白い。Imgp3720

名前が付いていて、古い商店や看板建築を発見できる。

路地もあって興味深い。

月島あたりに似ている。

住居のほうは路地の先に古い建物がいっぱい残っている。Imgp3723

古いというかボロい。Imgp3731 Imgp3737

人住んでんのかなあみたいな。

火や地震がきたら一発だと思うけどよく残ったなあ。

お寺も多い。Imgp3740 Imgp3744

もしかしてお寺の地所が大きくて、古い建物は借地なのかもしれない。

新馬場、青物横丁、鮫洲、立会川まで歩いてしまいました。

立会川では勝島運河の舟溜りを見ました。Imgp3755 Imgp3757 Imgp3760

そのあと立会川を上って涙橋で写真を撮りました。

この先は鈴ケ森刑場跡 です。Imgp3762_2 Imgp3764

Imgp3770Imgp3771

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2008年5月11日 (日)

筑波山をぐるっと回るとキジがいた

茨城方面の乗り残しを回ってきました。

秋葉原からつくばエクスプレスで終点まで行ってみた。Imgp3616 Imgp3620

前は守谷までだったので。

守谷へ戻って関東鉄道常総線を下館まで。

これも取手から守谷までだったので。Imgp3624 Imgp3632 Imgp3635

水海道というのは鬼怒川と小貝川に囲まれた長い島みたいな地域。

どうりでこういう名前がついたのかと納得しました。Imgp3640

相変わらず看板が古めかしくていい。

パンタグラフがないので開放的に見える。

下妻というのは「下妻物語(深田恭子主演)」で知ったけどここかあ。

中妻とか三妻とかもある。

騰波ノ江駅(とばのえ)の駅舎はすごいと思ったら関東の駅百選だった。 Imgp3644

いろいろなロケも行われているらしい。

7月には取り壊しが始まるらしい。

急げ!

この辺りは途中で森の中を走るんだけど、平気でキジがいた。

下館で水戸線に乗り換えた。

友部(水戸)の方面へ。こちらが下りだそうです。

横に走る線路ってどっちか迷うよね。

大和、岩瀬あたりを過ぎるとちょっと山間部を走る列車のようになるのです。

立派な建物がたくさん見られます。黒い瓦屋根の。

最初はお寺かと思った。

でも多すぎるなあと思ったら民家でした。

真壁町とかがあるので影響もあるのかあ。

笠間で降りて見ました。Imgp3650_2

笠間稲荷も行こうと思ったのですが断念。 Imgp3651_2 Imgp3654 Imgp3657

参道沿いは古い建物もチラホラありました。

この駅の周辺もすごかった。

ホームで電車を待っているとキジがあちらこちらで鳴いている。ホントに。

ドバトとかウグイスまで鳴いている。

誰か飼っているのかと思って、おばさんに聞いてみると「野生です」と。

愛鳥週間に放鳥されたのかもしれない。

友部で常磐線に乗り換えました。

途中で佐貫駅で関東鉄道竜ヶ崎線に乗ってみました。Imgp3671

駅が3つだけの短い線です。

ちなみに市の名前は「龍ヶ崎」です。

なんで竜ヶ崎に線路なんだろう?とかねがね不思議に思っていました。

たしかにニュータウンはあるし古い街ではありますが。

名産があるわけでもなく、かつての宿場や水戸街道沿いでもないし。

調べると江戸時代より前には街道があって中核都市として栄えていたそう。でも水戸街道からは外れてしまった。

やはり水運の要衝だったようです。

下妻物語の深田恭子の役名は「竜ヶ崎桃子」だそうです。

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2008年4月27日 (日)

野田市は亀甲萬の城下町

東京から伸びる線路というものはたいてい放射状です。

横にある都市同士は近くても移動しにくくなります。

そうすると1回東京に出てきてから別の路線に乗り換える必要が出てきます。

一層、東京が混在します。

道路でも環状七号とか環状八号、外環自動車道とかがないと一度首都高までこないとなりません。

以前、横浜線、八高線、両毛線など大回りの電車に乗りました。

今日はそういう電車に乗ってきました。

まず大宮に行きました。

埼玉新都市交通伊奈線というのに乗りました。

ニューシャトルというので新しい路線だと思ったら、箱型の古めかしい車両が現れたので笑ってしまいました。

車両もなんか狭くてバスみたい。 Imgp3500

新幹線の高架の横を走ります。

移転した鉄道博物館は1つめです。

大宮に戻って東武野田線に乗りました。

岩槻で降りてみました。

ここは人形の街で有名です。Imgp3506

南口に出ると東玉というお店のほか30軒ほどあります。

少し歩くと日光街道。

ちょうど端午の節句前ということで武者人形やこいのぼりを売っていました。

だいたい4万円くらい。

日光東照宮の工匠が桐細工のクズで作りはじめたのが起源らしい。

東玉の4階に人形博物館があったので見学しました。Imgp3510

かみしも雛がたくさんあって、幕末頃から武州の養蚕農家では「お繭さま」と呼ばれたそうです。

次に野田に移動。

1つ前の愛宕で降りて本町通りを散歩してみました。

ここは醤油の街。キッコーマンの城下町です。

全国の34%のシェア。

けやき並木を歩くとレンガ蔵が続いて江戸川の土手に着きます。

ここから江戸に運ばれたのです。

周辺には舟運時代の河岸問屋の家や御用蔵もあります。

明治後期、舟運だけでは不便になったので醤油醸造業者からの訴えで野田市駅から柏までの貨物輸送のためにできたのが野田線です。

キッコーマンの内に駅もありました。

野田線は大宮~柏と柏~船橋に分かれて柏駅ではスイッチバック状に入る(乗り換えても戻ると感じる)ようになっています。

本町通りは駅から遠く寂れています。Imgp3522 Imgp3514

でもよく探すと古い老舗や建物が発見できます。

野田商誘銀行は醤油醸造家の機関銀行として1900年(明治33年)に設立されました。千葉銀行野田支店を経て千Imgp3526秋社の社屋になっています。商誘って有りそうで無いと思うけど、もちろImgp3528_2ん醤油からきています。

ロマネスク風ルネッサンスの興風会館(昭和4年)はImgp3535明治大学を設計した大森茂設計。国の有形登録文化財です。野田醤油の社会還元事業でした。

もちろんせんべいの臭いもあります。

途中の筋にも商店街があって侮れません。 

だから調 Imgp3531査にも時間がかかるでしょう。 Imgp3537 Imgp3530

前に外人さんの観光客が歩いていましたが、古い旅館に入っているのを見て「よく知っているなあ」と感心しました。

野田市駅まで戻るとキッコーマンの「もの知りしょうゆ館」Imgp3540 があったので見学しました。

密度の薄い配置ですが、帰りに醤油をもらいました。

「亀甲に萬」が遠くからも見えます。Imgp3545 Imgp3550

野田市駅から船橋駅まで行って、武蔵野線でぐるっと戻って帰りました。

途中で越谷レイクタウン駅という新駅ができていました。

3月15日開業したようでイオンのモールがあってきれいに整備されたニュータウンのようです。

都市再生機構の治水対策と同時に行ったようです。

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2008年4月21日 (月)

温暖化の海面上昇はどう判断するのか

高低測量(標高)は日本水準原点を基準に測られます。

これは憲政会館の構内に設置されています。

標庫は1891年5月にできました。

工部大学校1期生の佐立七次郎の設計によるローマ神殿風になっています。東京都指定有形文化財です。

同期生に比べほとんど作品のない佐立ですが旧日本郵船小樽支店があります。ここではポーツマス条約による国境画定会議で南樺太北緯50度の測量方法が話し合われました。

ここの原点が0mということではなくて標高24.4140mになります。

京橋区(中央区)新川の霊岸島の量水標で1873年(明治6年)から6年間で1884年(明治17年)に東京湾平均海面 (T.P.) が決定され、標庫内の水晶板の零目盛の高さは.P.+25.500m(24.500mという文献もあります) となりました。

当時の霊岸島は東京湾に面している隅田川の河口でした。ここを0mとしたわけです。

1日の満潮時と干潮時をものさしで読んで平均値を出します。

その日平均から月平均を出しさらに6年間の平均海面高を出したのでした。

ところが潮位の変化は18年サイクル(約20年周期と言われる)なので6年は短すぎました。

陸地測量部は不安を持っていたそうです。

山岡光治著「地図に訊け!」(ちくま新書)によります。

ところが1923年(大正12年)の関東大震災でズレたので高さは現在の T.P.に修正されたのです。実際は1900年から23年間の油壷での観測で数ミリしか違っていなかったことがわかりました。

結果的に良かったのですが、約20年くらい見ないとどのくらい海面が上昇しているかなんてわかんないということがわかります。

もっとも90年代以降は上昇しているとするデータもあります。

そうであってもどのくらい上昇したかはかなり経たないと判断できないことになります。

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2008年4月13日 (日)

SLとレンガのトンネルで中央線を想う

春日居町の笛吹川沿いの土手が桃で真ッピンクというので眺めました。

万力公園近くに来るとカメラの放列。

「なんだろう?」と考えるとSLが走るのを思い出しました。

2時近くでしたがすぐ来る雰囲気。

適当に車を止めていると山梨市駅に到着。Imgp3408

写真を撮る。

すごい人。鉄ちゃんがカメラを持って走る走る。

サービスでかなり止まっている。手を振る乗務員。

SL見るのは真岡鉄道、秩父鉄道以来です。

でも迫力があった。汽笛と蒸気。

塩山方面に走ってゆきました。

その後も汽笛が盆地に響きました。

その後も何回か聞こえたので幻聴かと思ったら何度か往復するらしい。

笑えるのは、塩山駅発はSLが最後尾で引っ張られる形になること。

後で調べたら快速SL山梨桃源郷号だそうで4日ほど走ったそう。

4月1日には快速SL山梨号が走ったそうです。

これはJR東日本の山梨デスティネーションキャンペーン(4月から6月)のイベントで「週末は山梨にいます。」というものです。

興味があるのは塩山からSLはどうやってどこへ行ったのか。そうーっと夜移動しているのかなあ。突然、SLが走っていたら驚くよね。

D51は高崎~横川や釜石線、郡山~会津若松などを走っているそうです。

館山にもいたなあ。

その後、旧大和村にある大日影トンネルを見学に行きました。

このトンネルは1902年(明治35年)に貫通して翌年に開通して1997年(平成9年)に廃止されました。

平成17年にJR東日本から勝沼町に譲渡されました。

中央線で甲斐大和と勝沼ぶどう郷の間で一瞬青空が見えると思います。

それが新大日影トンネル(甲府寄り)と新深沢トンネル(新宿寄り)です。

昨年3月に旧大日影トンネルに遊歩道工事が完成しました。Imgp3445

レンガは塩山の牛奥の工場で英国人技師の指導で造られました。Imgp3443

通行料はありませんが15時までです。勝沼側まで約30分です。

下を見ると深沢川の河川隧道もあってこれも英国式レンガでできています。

旧深沢トンネルはワインカーヴとなっています。Imgp3430_2

300本ほど保管するラックは月2500円です。Imgp3434

観光案内所では試飲もできます。

近代産業遺産ですが、個人が利用できるのは珍しいですよね。

今度は勝沼ぶどう郷駅に回って反対側から覗いてみました。

ここも遊歩道ができています。Imgp3472

こっちは現役の上りと下りの新大日影トンネルと旧トンネルが3つ並んでいて、電車が走るのが見れます。Imgp3463

やっぱり線路が切れているというのは変な光景です。

こちらの大久保沢の河川隧道もレンガ積みです。

機関車EF64-18も展示されています。Imgp3458

途中には幕末の柏尾戦争の戦場で近藤勇の像などもあります。

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2008年4月 4日 (金)

八重山の旅(4)竹富島で優勝を聞く

石垣島から竹富島へ。10分。

港から町中まで遠い。人気の水牛の予約がやっと取れてマイクロバスに乗れました。

道が白い。サンゴだそうだ。夜でも歩ける。早朝に家の前を掃除する。 Imgp3228

重要伝統的建造物群保存地区。

建物は外観の規制がある。赤瓦で平屋。石垣。内部は鉄骨もあるらしい。

看板禁止。

玄関の前につい立てがあって普段は左側を、お祭りのときだけ右側を通る。これで洗濯物も見えないようになっています。Imgp3242 感心。

中心の高台であるなごみの塔から街を見ると見事。Imgp3233Imgp3275

食堂がいくつかある。やらぼでエビそばを食す。

自転車で島内を回る人も多い。

星型の砂で有名なカイジ浜までは少し遠い。

西桟橋では熱帯魚が直ぐそこに。

ここから稲作ができなかった竹富から西表島に耕作に出かけた。

マラリアに悩まされたので、西表島から干潮時に歩いていける由布島に住んで通ったらしい。

水牛はその由布島を参考に始められたそう。

数ある八重山のうち石垣島が石垣市、与那国島が与那国町、それ以外は全部竹富町なのだ。(石垣市との合併は進んでいない)

だから町役場は別の石垣島にある珍しい町。Imgp3254

日本最南端のお寺は喜宝院の蒐集館を見学しました。

人頭税の取立て用具とか数字を使えない人のための藁算という縄文字が興味深い。Imgp3260 Imgp3262

お約束の水牛車に乗る。Imgp3285 Imgp3292

ガイドが三線を引きながら「安里屋ユンタ」を歌ってくれました。

9日間に渡って行われる種子取祭(タナデImgp3289 ゥイ)を行う神社もありました。

帰りの船で沖縄尚学の優勝を聞きました。

時間があったので石垣島をドライブすることにしました。

最初は白保地区。

小学校がきれい。八重山の小学校はどこも芝生。

住宅も整っている。石垣島で一番ではないでしょうか。

サンゴの遠浅の海が広がっています。(空から見るとよくわかる)

WWFのしらほサンゴ村を訪ねる。なんか忙しそうに働いている。Imgp3373

ここに空港建設する計画を立てるなんてどうかしている。

島の東側を走る。

途中は草原。牧場。ちょっと島とは思えない高原の雰囲気が続く。

それから沖縄はお墓が大きい。立派。

ロードレースのような自転車が多いのですが、必ず車道を走っています。ルールとしては正しいのですが、両側に広い誰も歩いていない歩道があるのにです。

玉取崎展望台に行く。

空港近くに戻って石垣牛を食す。

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2008年3月18日 (火)

旧日光街道を行く(古河)

16日(日曜日)の最後

旧日光街道の古河市。

意外にも茨城県。

古河市の古い街並みはそれほどでも無いという情報がありました。

でも城下町なんだからそんなことは無いだろうと。

それで行ってみました。

JR古河駅の西側がくさい。

駅前は北関東の駅前にある寂れた風景。まずい。

美術館があると聞いたので、常陽銀行を左に曲がって足利銀行のとこを右に入ってみました。Imgp2757

いきなり北野綿店。 Imgp2797

結論から言おう。古河市には古い建物が思ったより残っています。

また、それを盛り上げる気持ちも伝わってきます。

それほどの距離ではないのでウォーキングなど楽しめると思います。

一度は行ってみる価値ありです。Imgp2760 Imgp2758 Imgp2761 Imgp2763

篆刻美術館、街角美術館、永井道子旧宅などが連坦しています。

利根川油店も奥のほうに古い倉庫もあります。Imgp2765 Imgp2768

その横の通りは狭いですが、石畳になっていてレンガが続いています。

次の通りを南に左に曲がると石畳が続きます。Imgp2770 Imgp2771

さらに進むと古河歴史博物館と古河Imgp2794_2文学館の方へ行けます。

石畳の通り沿いが見ものでした。

坂長本店という古い酒屋。

米銀の横に「肴町通り」という看板があったので入ってみました。Imgp2773 Imgp2775

狭い通りですが人家の庭のよう。家も倉も立派です。

「入っていいのかなあ」と思っていると、表のお店からご主人らしき人が飛んで来て、「倉もありますので見て行ってくImgp2776 ださい」と声を掛けられました。

レンガ倉庫もあってたいしたものでした。 Imgp2781

Imgp2783 Imgp2788 Imgp2790 Imgp2793 Imgp2795

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2008年3月16日 (日)

旧日光街道を行く(北千住)

江戸四宿の1つ千住宿に行きました。

北千住という駅には行ったことがあったのですが、周りを歩いたことはありませんでした。

南千住駅で降りて小塚原刑場の回向院や東京スタジアムから千住大橋を渡るのが筋なのでしょうが二日酔いのため京成の千住大橋駅から歩きました。

駅の南側に中央卸売り市場があります。その横に芭蕉の「奥の細道プチテラスImgp2708」があります。 Imgp2714

そこから北に入る7mほどの直線道路が旧日光街道です。

元「やっちゃ場」と書いてあります。かつての青物市場でImgp2717す。

むかしの屋号や業種に説明が看板で書いてあって興味深い。

左側に旧横山家から移転した倉が建っていて区民ギャラリー「歴史プチテラス」となっています。無料。Imgp2720

この辺りは地元への愛着心が強いとのこと。看板などの整備もさもありなん。Imgp2721

ところどころに宿場の跡や古い屋敷、面白そうな路地、むかしながらのお店など発見できます。

北千住いいなあ。東京にもこんな街があるなんてね。 Imgp2728

でもマンション開発も多いのが気になります。 Imgp2729_2 Imgp2736 Imgp2734 日光街道(奥州街道)、水戸街道、下妻街道に分かれます。Imgp2737

北千住が今でも路線がたくさん乗り入れているのも歴史なんだねえ。Imgp2741_3 Imgp2745_2

(つづく)

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2008年3月10日 (月)

耐震構造の父内藤多仲

第2東京タワーができるそうですが、

東京タワーを設計したのは「耐震構造の父」「塔博士」内藤多仲(ないとう たちゅう)。

山梨県の櫛形町出身(現南アルプス市)。旧制甲府高校(一高)卒。

東京帝国大学卒で早稲田の教授をやっていました。

アメリカ留学の際に旅行用トランクの仕切り版から耐震構造を発想しました。

興銀ビルは関東大震災に耐え効果をあげました。

東京タワーのほか、通天閣(二代目)、名古屋テレビ塔、さっぽろテレビ塔を設計。

さらに歌舞伎座、大隈講堂も。

内藤は1886年生まれですから旧制甲府中学で「Boys be ambitious」大島正健が校長(1901~14)の時代にかかることになります。(尋常小学4年+旧制中学5年としても)

ジャップ・ミカドの三神吾朗より中学で3つ上級で、5つ上には「地下鉄の父」早川徳次がいます。

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2008年3月 2日 (日)

土浦でひな祭り偕楽園は梅まつり

常磐線は何故常磐なのか。

今日は常磐線の旅です。

やっと馴れてきた日暮里から常磐線に乗り換え土浦へ。Imgp2595

取手を越え藤代あたりになると急に田畑になってしまいます。

常磐線はここまで複々線化されていて常磐快速線が走っているので取手までとその北は分断されるそうです。

それでは牛久あたりまで快速を走らせればいいのにと思いますが、取手までは直流、それより北は交流に変わるそうです(デッドセクションと呼ぶらしい)。だから一瞬電気が消えるそう。

理由は石岡にある地磁気観測所への影響に配慮してとのこと。

土浦の西口を少し歩くと旧水戸街道です。

細い通りですが、ここに野村と大徳という古い蔵があります。Imgp2597 Imgp2604

今は土浦まちかど蔵として観光物産館などに利用されています。

今日はひな祭りの飾り付けが並んでいました。Imgp2610

周辺には古い建物が多く、お蕎麦屋さんでお昼をいただきましたImgp2601

駅の東側は霞ヶ浦です。土浦港はすぐです。

水戸線に行く予定でしたが、偕楽園の梅まつりで臨時駅に停車するというので予定変更しました。

駅に降りるとすぐ公園です。

ぶらぶらして梅を眺めました。

常磐神社(ときわ)を回って駅に戻りました。

常磐線というのは常陸(ひたち)と磐城(いわき)の文字を取って命名されました。

じゃ常陸と同じ読みの日立、あるいは日立製作所とはどこからきたかと疑問が起きます。

1900年に藤田組を辞めた久原房之助(久原財閥)は赤沢鉱山があった日立村から日立鉱山に改名したことによります。

日立鉱山の修理工場として1910年に始まったのが日立製作所です。

つまり日立村→日立町→日立市(1939年)。

もちろん日立村は常陸国にあったわけですが。

常陸太田市は1954年からで、久慈郡太田町が市になるとき群馬県の太田市があったので常陸をくっつけたということです。Imgp2631

臨時駅は下り方面のホームしかなく、水戸駅まで行くしかありません。

料金は水戸駅までと同じなので清算券をもらえます。

水郡線、鹿島臨海鉄道などを見てスーパーひたちで帰ってきました。Imgp2642 Imgp2646

Imgp2647

上野駅で札幌行き寝台車の北斗星がちImgp2651_3 ょうど出発する とこでした。Imgp2654   

Imgp2655Imgp2656

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2008年2月24日 (日)

武相荘で白州次郎に出会う

強い風でしたが、武相荘(旧白州邸)に行ってきました。

白州次郎・正子が住んでいました。

小田急線の鶴川駅で降りて、バスに乗って2つ目。

今は住宅街ですが、白州が買った1942年頃は農村だったそうです。Imgp2585 Imgp2584 Imgp2580 Imgp2572 Imgp2571 Imgp2569

この家は、茅葺きで43年に引っ越して少しずつ直したそうです。蚕室もありました。

裏の方には山小屋風の家もありました。

庭もきれいになっています。

98年に正子が亡くなって娘さんが2001年にオープンしました。

入場料は高く1000円。小学生以下は入場不可。

白州の実家の芦屋の「白州商店」は綿貿易だったそう。

白州はケンブリッジですがその父はハーヴァード。

正子は樺山家の娘ですが、家はジョサイア・コンドル作の洋館だったそう。

帰りは歩いて鶴川駅まで戻りました。

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2008年2月21日 (木)

山梨県内にある漆喰系擬洋風建築物

山梨県は明治初期の漆喰系擬洋風建築物がたくさんあります。

校舎は県内に5つ現存しています。

それは明治6年1月県令として藤村紫朗が着任したことに始まります。

日本で最も早い時期に甲府に2つの学校ができました。しかも擬洋風でその姿から「インク壺」と親しまれました。明治7年2月に琢美学校(たくみ)甲府市城東1丁目と梁木学校(やなぎ)旧柳町 (現在の中央四丁目) 作ったのは地元の棟梁の小宮山弥太郎 残念ながら現存していません。 

しかし、明治6年12月に瑞穂学校 南都留郡瑞穂村(現富士吉田市下吉田町)が完成しています。洋風だったそうで現存していませんが帳簿類も残っているそうです。

津金学校 県指定有形文化財 明治8年10月   津金村 現北杜市須玉町下津金 

全国的にも最も古い擬洋風建築物です。現在は郷土資料館になっています。

睦沢学校(むつざわ) 重要文化財 明治8年12月 宮大工の松木輝殷(てるしげ)  巨摩郡睦沢村(現在の甲斐市亀沢)にありました。

これは、武田神社敷地内にある甲府市藤村記念館(甲府市古府中町2614 ※信州馬籠にある藤村記念館とは違います)に復元移築されていましたが、さらに甲府駅北口へ移転するため平成22年まで閉館中。

室伏学校(むろぶし) 明治8年 牧丘郷土文化館(道の駅まきおか隣)にあります。

舂米学校(つきよね) 山梨県指定文化財 明治9年 松木高造

現在は増穂町民俗資料館(南巨摩郡増穂町最勝寺320) 地元では太鼓堂と呼ばれていたそうです。しゃちほこが逆立ちしています。

尾県学校(おがた) 明治11年 県指定文化財 都留市小形山1565-1  尾県郷土資料館になっています。

校舎ではありませんが東山梨郡役所 重要文化財 明治18年 大工棟梁は赤羽芳造、左官の土屋庄蔵 山梨市日下部にありましたが現在は明治村に移築されています。

小宮山が作ったのは、琢美学校、梁木学校のほか山梨県官業製糸所(明治7年錦町)、山梨裁判所(明治8年)、津金学校山梨県病院(明治9年錦町)、山梨県師範学校(明治9年錦町)、県庁(明治10年錦町)。現存しているのは津金学校だけです。

これを見ると甲府市錦町通り(現在の丸の内1丁目)は、日本とは思えない洋風なところだったのでしょうか。

銀座に大通りができてウォートルスの設計したレンガ街になったのが明治6年で、札幌がニューイングランド風になったのは明治10年代。三菱のレンガ街「一丁ロンドン」は明治27年ですから甲府の早さがわかるというものです。

松木が作ったのは日川学校(八三郎名で明治8年4月 山梨市歌田 3つ目の藤村式校舎で睦沢学校より早い)、祝(岩崎)学校(明治9年勝沼町下岩崎)、平等学校(明治10年山梨市落合)、錦生学校(明治12年御坂町夏目原)、御代咲学校(明治12年一宮町市之蔵)、勝沼学校(明治13年勝沼町勝沼)、韮崎学校(明治13年韮崎市韮崎)、千野学校(明治13年塩山千野)など12校でうち藤村式が10校です。(身延町資料による)

このほか、県庁舎、師範学校、郡役所、警察署、病院、裁判所、製糸工場、郵便局が生まれます。洋風建築は県内に100件以上で各村に1つはあったそうです。

明治18年の竜王学校は既に藤村式の特徴がなかったそうです。

明治20年に藤村は愛媛県に転任してゆきます。

明治8年には長野県では中込学校(市川代治郎)が、静岡県に見付、坊中、井通が、明治9年には松本に開智学校(佐久市 立石清重)が現れます。

山梨、静岡、長野は全国的に見ても擬洋風建物の集中している地域となります。

日本の近代建築の変遷は、藤森照信著「日本の近代建築(上・下)」岩波新書が詳しい。

小宮山については須玉歴史資料館、松木については身延地域資料、勝沼ぶどうの国文化館の指図展を発見しました。

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2008年2月 7日 (木)

日本銀行はたしかに銀行でした

日本銀行の見学に行きました。

1週間前までに申し込む必要があります。

まず時間つぶしも兼ねて隣の貨幣博物館を訪ねました。こちらは自由・無料です。

どうせ古いコインや小判が並んでいるだろう。

ところが、幕末の混乱、貿易決済、複数の発券銀行、インフレ、恐慌など金融史で面白い。

いろいろナゾが解けた。

甲州金についても発見があった。

3時になったので日銀の建物に入って待ちました。

内部は写真が撮れませんし、金属探知機もあるので荷物はロッカーに預けます。

まず、日銀の役割などのビデオを見ます。

出演は酒井美紀でした。福井さんは3月までなのでつくり直すのかなあ。

その後、館内を回ります。

2番目に古いエレベータで上がります。

歴代の総裁の肖像画を見ました。渋沢の孫、高橋是清など。

新館に行って業務を見学しました。

普通の銀行みたいでした。

一般人や企業は日銀に口座をつくれませんが、お札が焼けたときなどはお世話になるかも。

資料館などもあって古いハッピとか提灯、拍子木などが揃っています。

テレタイプや計算機などを見ました。

3月まで工事中だそうで地下金庫の中は見学できません。外からだけでした。

金庫のカギについて聞いてみたのですが教えてくれませんでした。

ドームの中を通って終了。

日本橋めぐりで忘れてはならない場所でした。

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日本銀行旧館はネオバロック

日本銀行旧館は「ルネッサンス+ネオバロック様式」です。

ここの柱やドームはバロック様式。Imgp2504

さらに、規則正しい窓はルネッサンス様式。

バロックは、劇的。階段のような動きのあるものを中心に据える。豪華。うねる曲線。
不規則な曲線、曲面の多用。ごつい。

バロックの見分け方

建物に入り口が真中にあること。
入ったところに階段があり、それが曲線を描いて2階に繋がっていること。
天井や内装が超豪華。

これがネオになると左右対称。つけ柱。Imgp2501 Imgp2505

ルネサンス様式は、ゴシックの否定から入り古典的。

正円アーチ、直線の多用。窓、入口にその傾向が現れる。
左右対称、外壁に装飾が少ない。つるっとした感じ。
中央に入口、左右に翼部を伸ばす。さらに伸びる場合はコの字型に。
整然とした配置。
飾り柱が付けられていることも多い。
レンガ造りも多い。

円柱が用いられる。
整然とはしているが実用性が高いわけではなく芸術性が先行していることが多い。
ルネッサンス様式の聖堂も多い。冠のような丸屋根。

ルネサンスからバロックに発展しました。

なお大阪支店はルネッサンス+ネオバロック様式、旧小樽支店はルネッサンス様式です。

明治29年に箱崎町から本石町に移転しました。

五街道の起点で両替商が多い金融街だったこと。大蔵省や紙幣寮が大手町で近かったからです。

江戸時代の小判製造所である「金座」があったのもひとつの理由らしい。もちろん銀座もあった。

ベルギー中央銀行を手本に辰野金吾の設計です。東京駅(ビクトリアン様式)も辰野です。

エレベーターは凌雲閣の次で2番目に古い。オーチス社製。

上から見ると「円」の形をしていますが、これは偶然だそうです。

重要文化財です。

関東大震災と東京大空襲を免れたことになります。

関東大震災にときは建物は揺れには大丈夫でしたが近隣からの火災で丸屋根が焼けて、現在のものは復元です。

空襲に関して聞いてみたら、「日本銀行は皇居、国会議事堂、京都などと共にアメリカ軍が攻撃から外した、とNHKでやっていた」とのこと。

法務省旧本館はドイツ・ネオバロック様式(お雇いのエンデとベックマン)。北海道庁旧本庁舎や大阪府立中之島図書館はネオバロック様式。

ルネサンス様式はアムステルダム中央駅。門司港駅舎、プラハの国立劇場など。

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2008年2月 3日 (日)

ル・コルビュジエを世界遺産に

先日のニュースで「ル・コルビュジエの建築と都市計画」を世界遺産に推薦するというフランス政府からのニュースがありました。

日本からも上野の国立西洋美術館が基本設計なので日本代表の人も見えました。

ル・コルビュジエはフランスで活躍しましたが、1997年からの10スイスフラン札に肖像があるので何でだっけ?と思いました。

そしたら生まれはスイスだそうです。

ところで1975年からの10スイスフランは18世紀の大数学者のオイラーだったって知ってる?

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2008年2月 2日 (土)

飛鳥山で渋沢史料館を見学

王子はどこにあるのか、その位置が良く分からない。

だいたい池袋から上野の間ってわからない。行く用事ないし。

大塚⇒巣鴨⇒駒込⇒田端⇒西日暮里⇒日暮里⇒鶯谷

で王子はどこだ?

田端で乗り換えて京浜東北線で2つめ。

都電荒川線と南北線があるほうじゃない南口から降りて上ると飛鳥山公園。

ここは八代将軍吉宗が享保の改革で財政政策の一環でつくりました。

その半分は渋沢栄一翁が1878年に別荘となり、その後30年住んだ本邸。

曖依村荘(あいいそんそう)と呼ばれました。

関東大震災と空襲でほとんど焼かれてしまいました。

今は龍門社の寄贈されて渋沢史料館と庭園となっています。

晩香廬という洋風茶室、青淵文庫という書庫などがあって今は公開中です。Imgp2473 Imgp2468

ただし、文庫の中は何も無いと言っていいくらいです。

渋沢史料館は単なる記念館というだけでなくいろいろ研究も盛んなようです。イベントや研究会も行われています。Imgp2483

ひとつ発見したのは渋沢は東京大学で財政学の講師をやっていて坪内逍遥の卒業証書(複製)に名前が載っていました。Imgp2480

田園都市株式会社(田園調布)の写真もありました。Imgp2479

それにしても高台です。山といっても地形図には載っていないそうです。

下は線路がいっぱいです。

そういえば日暮里だったか西日暮里だったかでやたら電車を見れるスポットがあると聞いたことがある。どっちだったか。

それで日暮里に行ってみました。駅員さんに聞いてみると北口を右に出たところの橋と教えてくれました。

山手線、京浜東北線、宇都宮線・高崎線、東北・上越・長野新幹線、京成本線、常磐線。

舎人線も走ります。

すごい本数です。ひっきりなしに電車を見ることができます。Imgp2488

ギャラリー多数。みんなカメラを持っています。

なぜか半分は外国人でした。めずらしいのかなあ。Imgp2485

ご丁寧に主要な電車が通る時刻が書いてある看板まであります。

鉄ちゃんなら良く知られているスポットなんでしょうね。

北口には繊維街があるので歩いてみました。

しまむらの大人版のような安さです。Imgp2490

服というより生地屋さんが多く、アパレル学生風の人がいっぱいだった。

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2008年1月24日 (木)

防衛省潜入記

オトナの社会科見学。

今日は防衛省。

午前中は仕事が市ヶ谷だったのでネットで予約しておきました。

午前のコースと午後は若干違う。

2時間10分。もち無料。

寒い。

黄色い服を着たきれいなコンパニオン風のおねえさんが案内してくれる。Imgp2407

プロパーなのか?(まさか)。派遣なのか。

うしろめたい組織はたいてい美人をそろえるからダマサレテはいけない。

他には主婦のグループ、田舎から出てきたおじさんを案内するおじさん2人。1人できた30歳くらいの女性(ナゾ)。

どういう目的で見学したいと思うのか考えてみたけど想像できない。もっともあっちも同じことを考えているに違いない。

途中でバスのグループ50人ほどと合流しましたが、話を聞いてみると普通の人たちのよう。

東京の都心とは思えない広大で明るい敷地です。南向き斜面になっているのでエレベーターがある。

市ヶ谷台ってくらいで尾張徳川家が江戸城を守るために住んだ見晴らしの良い土地です。

装甲車っぽい車、数字だけのナンバープレート、警備の人が止めるゴロがついた車止め、制服、敬礼なんかを見ると非日常感が出てきます。Imgp2438

意外とアメリカ軍の車や外人が目に付きます。さすが日米安保と実感します。

要人を迎える儀場からA棟を通って市ヶ谷記念館へ。

ここは、京都兵学寮になったあと昭和12年(1937年)に陸軍士官学校になった以降は、大本営陸軍部、参謀本部、米軍司令部となって昭和34年(1959年)に返還されました。その後は陸上自衛隊、自衛隊幹部学校となって平成12年(2000年)に防衛庁が六本木から移転してきました。Imgp2409

というような予備知識もなく建物を見て「なんか見たことあるなあ」という感じでした。

大講堂に座ってビデオを見ました。

そこでここが東京裁判の場所であることに気づいて一同興奮。

ビデオに写った講堂の場面を止めて説明してくれました。 Imgp2414

天皇陛下のためにいろいろな仕掛けがあることもわかりました。Imgp2421

ひとつ気づいたのは、森山眞弓(元官房長官)撮影・寄贈の東京裁判の写真。最初は間違いではないかと思った。寄贈はわかるとしても撮影?

ところが別の写真では東京裁判の通訳としての写真があって合点した。Imgp2425

やってたんだ。宮沢喜一のサンフランシスコ講和会議みたいだ。

2階の旧陸軍大臣室は三島由紀夫が立てこもった部屋でした。Imgp2428

「なんか見たことあるなあ」というのは、その部屋のバルコニーでの三島の演説だったのです。

その部屋のドアにはその時の日本刀によるキズも生生しく残っています。

見学者の皆さんは、大本営より三島事件の方が実感が湧くようでした。

次は厚生棟です。

展示室には陸・海・空の模型などがあって、さながらオタクの石破大臣室のようです。Imgp2433 Imgp2436

売店にはスタバのほかおみやげ物屋さんもあります。

迷彩柄のグッズ、ストラップ、乾パン、海軍カレー、陸軍印の身分証明書入れ、陸海空の日本酒、陸海空のカップめんなどなど。

ちょっとセンス悪かった。

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2008年1月18日 (金)

宮内庁生協は超レアもの

皇居の中には入れるのか?

宮内庁はどこにあるのか?

皇室にほとんど興味のない僕のような人間はこんな質問にも答えられないものです。

それで行って来ました。昨日。

一般参観という宮内庁のツアーに。

4日前までにネットで申し込めます。無料です。

だいたい二重橋前とか大手町のAIUビルあたりからしか眺めたことがありません。

それより近づくとドキドキしてきます。

あーまだ内堀通りがあるのね。

桔梗門の前に集合。

ゾロゾロ入って窓明館という建物でビデオなど見ます。

この奥には売店があって皇室グッズを買うことができます。Imgp2353

ハガキ、置物、お盆、グラス、ワイン、ぐいのみ、サイフ、薬入れ、診察券入れ、チョコレート、お菓子・・・

なんでも菊の御紋入りです。

おばちゃん方も1人買い出したらつられて買う買う。

時間は短いし、この先には売っていないし、ここに戻っても来ない。Imgp2364

僕もつられて買ってしまった。なぜかサイフとマグカップ。

50人くらい。半分は外人、半分は団体のおばちゃん。

われわれがウインザー城やホワイトハウスを訪問する感覚か。

わりと厳しい隊列で見学。Imgp2318Imgp2320

枢密院の建物からスタートして富士見櫓が見もの。

なぜか手前に古いバレーコートが2つ。

宮内庁があった。Imgp2321 Imgp2329

正月の一般参賀で見る天皇陛下が手を振る宮殿。

二重橋でUターン。

伏見櫓にトラネコが侵入していたのを見逃さない。Imgp2333 Imgp2335

宮殿の北車寄せを回って山下通りへ。

左手のこんもりした道灌山のてっぺんには皇后陛下が養蚕をしている。

ちなみに天皇陛下は田んぼで田植えから稲刈りまでする。Imgp2347

蓮池堀を見ながら戻る。Imgp2348

1時間ちょっと。

窓明館で解散。

桔梗門に帰る人と東御苑に入る人に分かれる。

東御苑は一般の人も自由に出入りできるのです。

皇居の東側の半分つまり竹橋(北詰橋門)から平川門、大手町(大手門)は入れるのです。

一般人は北の丸公園とか千鳥ヶ淵だけかと思っていました。

知らなかった。

その東御苑は見所満載。Imgp2355 Imgp2354 Imgp2357 Imgp2358

美術館、同心番所、百人番所、松の廊下跡、本丸跡、天守閣跡など。

売店もあるけど生協とはちがってハガキとお盆くらいしかなかった。

やっぱり窓明館売店は超レア。エルメスどころの話じゃないよ。

ガイドブックにはちゃんと書いてあるのかもね。

買ってきたグッズは家人には不評でした。「らしくない」だとさ。

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2008年1月 7日 (月)

ニューオーリンズの観光案内

   ニューオーリンズの1日観光を紹介しましょう。

まずジャクソン広場。第7代大統領ジャクソンは庶民派で歴代大統領人気ランキングでは必ず上位に出てきます。Imgp2079 Imgp2081

旧ビジネス街には旧連邦銀行と旧ルイジアナ銀行があります。

Imgp2088 Imgp2090

ルイジアナ最高裁判所は映画JFKの撮影が行われました。Imgp2093

バーボン通りは昼間からジャズの音楽が流れます。この名前はフランスのブルボン家からとったものでお酒のバーボンとは直接関係ありません。Imgp2095

Imgp2097

ブードゥー博物館です。南部ではブードゥー教も盛んなのです。16世紀に西アフリカから連れてこられた奴隷たちに民族宗教からはじまったそうです。Imgp2102 Imgp2106 Imgp2108 Imgp2112 Imgp2104

これが有名な幽霊屋敷です。 Imgp2118

ギャリエハウス。Imgp2120

旧ウルスラ会修道院です。Imgp2122_2

ポールガール・カイズ・ハウスです。Imgp2126 ギリシア復古様式でドリス式円柱です。

マダム・ジョンの遺産というのは1726年からのフレンチコロニアル様式の建物です。ミシシッピ川沿いで一番古い建物だそうです。Imgp2129

司祭館、セントルイス大聖堂とカビルドです。ジャクソン広場沿いにあります。

Imgp2132Imgp2133 Imgp2136

薬局博物館とナポレオンハウス。

Imgp2140 Imgp2143

カジノもあるよ。Imgp2161

ミシシッピ川をチェスナット号に乗ったらどうですか?Imgp2170 Imgp2177 Imgp2183 Imgp2188

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2008年1月 5日 (土)

日本にはないコンベンション産業

今日からニューオーリンズです。

ノースウェストでセントポール(ミネソタ州)経由で行きました。

帰りはメンフィス⇒デトロイト経由です。

セントポール国際空港はでかい。雪が降ってた。Imgp2051 Imgp2058 Imgp2053

乗り換えも早い。

どの空港も日本語の表示があってわかりやすい。

きっと数年後には中国語に変わるだろうと思うと寂しくなってくる。

相変わらず検査が厳しくて、ペットボトルは不可、シャンプーやジェルもジプロックに入れないとダメ。

ここからミシシッピ川に沿って南下します。Imgp2059

気がつくと海が見えてきました。が、これはポンチャートレイン湖で海ではありません。

ニューオーリンズはミシシッピ川沿いにあってこの湖に囲まれた地域です。

カトリーナの被害はまだあるのですが、これは北側の湖側でフレンチクオーターは全然問題ありません。

ルイジアナは予想以上に暖かい。マフラー不要でした。Imgp2164 Imgp2192 Imgp2160

毎年ある都市で10ほどホテルを中心にコンベンションが行われるのです。

毎年違う都市なのですが、どこも街がコンパクトで歩ける範囲にホテルが多くまとまっていて関心します。

しかも旧市街で歩いていても楽しいし、観光もできる。

おいしいレストランも多い。

夜はジャズやブルースがあって楽しめる。Imgp2139

各種スポーツのチームがあって有名大学の学生街もある。

日本にこうしたコンベンションができる都市がいくつあるでしょうか。Imgp2157 Imgp2158

会議場、展示場、学会、大学などがある。

東京、京都・・・?そんくらいか。

しかもハブ空港が近くて全世界から来れないといけません。

例えば、アトランタなんて元は本当に何もないところ。

空の交通の要衝としてだけで栄えてきてオリンピックをやるまでになりました。

巨大なハブ港、便利な交通、コンパクトな街、観光もできる街並み、おいしい食事とナイトライフ・・・。

つまり、ネット社会になってもフェイス・トゥ・フェイスの情報価値はかえって高まる。

その場としての都市に選ばれないといけない。

アメリカだけでなくてアジアの各都市もそうなろうと一生懸命です。

ところが日本は・・・

リゾート地でもいいんだけど交通の便が成田からじゃ悪すぎる。

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2008年1月 1日 (火)

2008年の初詣

初詣は去年と同じく近所の大井俣窪八幡神社。

武田氏が崇敬した古い神社です。

信玄も川中島の戦勝祈願をしたそうです。

鐘を鳴らすことができます。

2つ目は恵林寺の北にある放光寺にお参りしました。

ここも晴信の庇護を受けています。

恵林寺とともに織田軍に焼かれました。

恋愛成就のお寺らしいです。

周防監督の「ファンシイ・ダンス」のロケ地でもあります。Imgp1994

元旦なので住職がエイ!っと祈ってくれます。

この辺りの藤木地区と松里地区は「信玄の里」ウォーキング・コースになっています。

ころ柿で有名です。Imgp1997

古い水車がありました。Imgp1998

太鼓の上で歌舞伎がかかった演技をする道祖神祭りが有名です。Imgp2004Imgp2003

コースには古い酒蔵の立派な建物があって驚きました。(写真撮るのをわすれた)

午後は万力公園で凧揚げをしました。

ここには甲州財閥の雄、東武の根津嘉一郎(初代)の高い銅像があります。Imgp2006

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富士山を拝みながら元旦に誓う

2008年です。

平成も20年。Imgp1967

まあだいたい目標を掲げるわけですけど。

早寝早起き。Imgp1977

夏には富士山登頂。 Imgp1984

そのほかいろいろね。

牧丘町から元旦に富士山を見ながら思いました。

ちなみに写真の擬洋風建築は藤村県令によって明治8年に建てられた「室伏学校」です。Imgp1965

今は牧丘の道の駅に移築されています。

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2007年12月27日 (木)

鑓水の「絹の道」は「本当にここは八王子?」