羽根木公園は根津山
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明治初期に活躍した写真師がいます。
天保12年(1841年)甲府の生まれ。
イギリス籍のベアト・ワーグマンに師事。
明治10年頃に横浜の弁天通2丁目36番に金幣写真館を開業します。
成功して次々に支店を出します。
明治23年(1890)に本町通7番に移転。
着色した外国人向けの土産用の写真で大成功。
金幣アルバムとして人気が出ました。
その後絵葉書ブームに押されて大正元年(1912)に引退
2年後の大正3年(1914)に廃業。
晩年は日本画を描いて余生を送りました。
昭和7年(1932)4月、92歳で世を去りました。
横浜開港資料館や東京都写真美術館などに所蔵されています。
金兵衛が絹にプリントしたものがある。
きっと甲州財閥も撮ってるんじゃないの?
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僕が子供のとき突如町に名誉町民が現れた。
なんでも町に多額の寄付をしたらしい。
それで急遽、名誉町民制度を創ったわけ。
その人は加賀美勝という人。
八代町の町内報に写真がたびたび載りました。
新菱冷熱工業という会社の社長らしい。
その当時、長者番付(高額納税者)に名を連ねていました。
そこで生まれた故郷に錦を飾ったというわけ。
この会社は空調設備をやっている。
会社名からは三菱系に見えるけど直系ではなく三菱重工の下請けみたいな会社。
うまく三菱に取り込んだのが本当のところ。
今、株の一部を重工に持ってもらって関連会社になっているけど、加賀美家の資産管理会社の㈱加賀美も株をたくさんもっています。
創業家にありがち。
現在も会長は加賀美郷。
非上場で銀行嫌い。
ガバナンスや経営者チェック機能に問題アリの典型的な同族&オーナー会社。
山梨で加賀美といえば甲斐源氏のように見えるけど実はそうでもない。
社章には三階菱を使っているのもご愛敬。
どうもこういうブランドとか名にこだわる人のようだ。
山梨で土建関係となれば政治と黒いカネに当然関連します。
加賀美氏も小さな政商のように振る舞いました。
甲州財閥をきどったのか、関係ない横浜MMの開発でも顔を出しています。
若草町(現在は南アルプス市)にある法善寺には、かつて甲斐源氏の加賀美遠光の館があったそう。
それで加賀美氏は不動明王のためのカネを寄進しました。
何故か死後ですが。
成功者にありがちですが、自分のルーツを探して名家であることを知りたがります。
たいていそうでもないことがわかってガッカリ。
それなりの地位もカネもできると名誉と家柄など欲しくなります。
それで昔は家系図などをねつ造することも多かった。
加賀美氏も晩年に甲斐源氏に関連するお寺に入ることを熱望したそうですが、断られたそうです。
そういうのが好きなんですね。
ブランド好きの女の人みたい。
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大逆事件(1910年の幸徳事件)で処刑された宮下太吉って甲府出身だったんだ。
アナキスト。
安曇野で爆弾実験しました。
明治の後期の山梨は社会主義やアナキズムが盛んだったそうです。
でっちあげ事件とも言われていますが、このときの次席検事の平沼騏一郎は後の総理大臣でA級戦犯ですが平沼赳夫は養子です。
いちおう世襲なしになってますがね。
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山梨県出身の声優は多い。
銀河万丈。
声優はもちろん「なんでも鑑定団」とか「TVタックル」のナレーション。
窪田等。
ナレーターとしては当代ナンバーワンなのでは。
情熱大陸、DSやWiiのCMでも聞かない日はない。
井上真樹夫。
キャプテン・ハーロックのほかライバルとか重要な脇役が光る。
花形満とか五右エ門。
男一匹ガキ大将の銀次とか懐かしい。
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山梨県立石和高等学校の小ネタは続きます。
和高出身者で、HPがある人だけを厳選します(プライバシーに配慮して)。
まず、アーチストの栗田宏一氏。
これまで石や鉱物を集めてきました。
まるでつげ義春の「無能の人」みたいに。いやあこれをアートに昇華したのです。
今では美術の教科書に載るほど。
なぜ石か。
彼は石和高校から新設されたばかりの山梨県立宝石学校に進学したのでした。
でも作業中に粉塵で体を壊してしまいました。
その後、舞踏の世界に入って帰郷し、石和でアーチストとしての活動を開始。
高校時代は写真部でポパイ少年でした。
現在、群馬県立館林美術館で土を並べている。
ワークショップあり。
もう2人紹介しておきます。
大学教授は珍しくないと思いますが、2人は非常に若くして一流大学の先生となっています。
久保川達也氏。
東京大学経済学部教授。
専門は数理統計学。
特にベイズ統計の未解決な問題に貢献しています。
日本統計学会や日本数学会の委員等も歴任。
東大の経済はゲーム理論とベイズ統計という数理理論中心の特徴がありますが、まさにその中心にいるわけです。
教員志望で筑波大学に進んだのですが、数学が非常に優れていてあっと言う間に東大教授になりました。
最後にご紹介するのは、網倉久永氏。
上智大学経済学部教授。
専門は組織と経営戦略論。
ウォートン・スクール研究員、経営学トップ誌「組織科学」委員などもやっています。
実家は石和の温泉旅館でした。
たしか会計士や司法書士の親族がいたので経営はお手のものかも。
3人の成功者の皆さん勝手に紹介してしまってゴメンなさい。
もっと石和高校を盛り上げてください。
お願いします(本当は隠していた?)。
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石和高校に関する小ネタを。
関係ない人には全然関係ないけど。
終戦直後に山梨県立医学専門学校が石和高校(当時は山梨県立養蚕学校)にあったのはご存知?
この学校は戦時に国家的要請で認可されました。
青沼の甲府市立商業の校舎(現在の甲府市総合市民会館)が寄付され1944年4月に第1期入学が始まりました。
創立費を寄付したのは根津財閥の番頭、河西豊太郎(南アルプス市出身)でした。
翌年の山梨県立女子医学専門学校も同じ校舎内で開校しています。
これらは旧制医学専門学校という医師養成学校で旧制中学から4~5年修業で医師になるコースとしてできました。
明治期から医学は大学ではなく専門学校だった流れがあります。
翌45年7月6日の空襲で校舎が全焼し、終戦直後の8月22日に石和に移転しました。
終戦で募集停止の勧告を受けましたが、女子医専と合同でなんとか募集が許可されました。
46年5月に甲府古府中町の旧六三部隊跡に移転しました。
たった9ヶ月だけ2校とも石和高校にあったことになります。
正確に言えば間借りしていただけですが。
その後、47年にB級医専7校の1つとされ廃止されてしまいました。
校舎の戦災と県の財政難が原因で、当時の吉江知事は存続を模索していましたが新制中学を優先させよという県議会に負けました。
学生の多くは医者にはなれなかったようです。
黒澤映画などに出演している俳優の土屋義男氏(塩山市出身)のプロフィ-ルは山梨医専卒となっています(現・山梨医科大学という注釈は間違いです)
救済目的で旧制山梨県立高等学校(戦後特設高校7校のうちの1つ)が設立されました。
新制山梨大学(師範、青年師範、工専)には加わらず廃止されました。
山梨に医科大学(山梨医科大学⇒現・山梨大学)ができるのは1978年まで待たされることになります。
(石和高校小ネタはまだ続く)
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大村智。
有機化学者。北里大学名誉教授。
韮崎市出身。山梨大学卒。
微生物が創る化合物を360種余りを発見。17種の医薬品となりました。
失明するオンコセルカ症、象皮症、糸状虫、糞線虫症、疥癬症に効く特効薬イベルメクチンは世界中で無償提供されています。
アフリカなど開発途上国の河川で耕作が可能になって食糧増産に貢献しました。
北里大学研究所の所長。
韮崎大村美術館を私費で建てました。
90年学士院賞、92年紫綬褒章、97年コッホメダル、00年韮崎市名誉市民です。
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第2東京タワーができるそうですが、
東京タワーを設計したのは「耐震構造の父」「塔博士」内藤多仲(ないとう たちゅう)。
山梨県の櫛形町出身(現南アルプス市)。旧制甲府高校(一高)卒。
東京帝国大学卒で早稲田の教授をやっていました。
アメリカ留学の際に旅行用トランクの仕切り版から耐震構造を発想しました。
興銀ビルは関東大震災に耐え効果をあげました。
東京タワーのほか、通天閣(二代目)、名古屋テレビ塔、さっぽろテレビ塔を設計。
さらに歌舞伎座、大隈講堂も。
内藤は1886年生まれですから旧制甲府中学で「Boys be ambitious」大島正健が校長(1901~14)の時代にかかることになります。(尋常小学4年+旧制中学5年としても)
ジャップ・ミカドの三神吾朗より中学で3つ上級で、5つ上には「地下鉄の父」早川徳次がいます。
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市川團十郎。
成田屋。
歌舞伎界で最も権威ある名跡のひとつです。
現在の團十郎は12代目です。白血病から復帰しました。
長男はいろいろ忙しい11代目海老蔵。
團十郎は1985年に襲名。その前は十代目海老蔵でした。
初代は1660年生まれで甲州武士の子孫であると言われています。
父親は非人であった説もあって、「乞食の重蔵」と呼ばれたそうです。
重蔵の代で江戸に出たとされています。
最初は海老蔵を名乗っていて後に團十郎に変えました。
狂言作者「三升屋兵庫」としても活躍しましたが、45歳で舞台上で刺殺されました。
歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗りました。だから屋号が「成田屋」なわけです。この前、團十郎が豆まきしていました。
JR成田線の久住駅で見かけた看板に「初代市川団十郎の墓 東光寺最寄り駅」とあり、江戸歌舞伎の荒事の創始者で成田市幡谷(下総国埴生郡幡谷村)出身の堀越重蔵の子として江戸に生まれたそうです。
ここにあるのは二代目が建てた初代の碑です。
山梨県の三珠町(現在の市川三郷町)に歌舞伎文化公園があります。ここは市川團十郎ゆかりの地ということでつくられました。
農面道路沿いの田舎に突如お城ができあがったので、どうせ「ふるさと創生1億円の使い道で無理やりつくったのだろう」と思っていました。
「それにしても何で歌舞伎なんだあ?」と。
「市川大門町に近いから無理無理で市川団十郎なのかなあ」とも。
初代市川團十郎の曾祖父に当たる堀越十郎が甲斐武田氏の武将,一条信龍に仕えていた、という史実に基づいて建設されたということです。
資料館のほか実際に歌舞伎の公演もできるそうです。
十代市川海老蔵丈が「十代・十一代團十郎は市川家(本姓・堀越家)祖先の地を顕彰したい,と願っていたが果たせなかった。私の十二代團十郎襲名を機会に実現したい」ということらしい。
碑文には「昭和59年11月吉日十代市川海老蔵」とあります。つまり1984年で團十郎襲名の直前ということになります。
しかし、ここは団十郎というよりは市川家(本姓は堀越家)発祥の地ということです。
なぜ、ここが「市川団十郎発祥の地」ということにしたのか、またそれにこだわったのかはわかりませんが、郷士としての武士のプライドは家系を遡りたくなるのかもしれません。
山梨にありがちですが、年末年始はお休みです。はーあ。
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昨日トリビアの泉の特番がありました。
ナレーターの中江真司さんが6月に亡くなられました。
5月の特番では声優の大友龍三郎さんでした。
今回は窪田等さん。
情熱大陸の。
こんな顔です。
山梨県出身です。
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山梨で大学といえばこの2つです。
僕たちの年代で山梨学院大学へ行く県民というのはほとんど聞いたことがありませんでした。
新興の大学で無名で実績もなく偏差値も低い大学で「酒折大学」と揶揄されていました。
だいたいどういう大学で何学部があるのか関心はありません。
ですから学院に行くくらいなら就職しろよと言われます。
となると実家から通学できるのはほぼ梨大しかないことになります。
ですから学院の学生はほぼ県外から来ることになります。
どういう大学か知らずに来るのでしょうね。知らなくても問題ないんですが。
学院で覚えているのは、1976年10月10日の具志堅用高対グスマンの試合で学院の体育館でした。
当時無名の具志堅はこの試合でチャンピオンになりました。
何故、縁もゆかりもない山梨で行ったのか県民の方も不思議でしたが、たしか具志堅さんも回想して「ぶどう畑の中を走って、屈辱的だった」ような話をされていました。
ところがオツオリなんかで駅伝なんかで勝つようになると学院の知名度があがり入学希望者も増えたみたいです。
山梨県民もだんだん応援するようになりました。
ロースクールも始めて合格者0だろうと少し期待していたのですが、健闘して数人合格しているようです。
もっとも社会人だから学部の学生とは全然違うと思いますが。
なにしろ隔世の感があります。
県民も学院へ行くようになったので酒折周辺のアパートは空室で困っていると聞いています。
法学部、(商学部⇒)現代ビジネス学部、経営情報学部があります。
大学院は社会科学と法科大学院です。
学部が実学向きなので学外でも先生方は活躍しているようです。
産学官の共同とか産業界との連携というような場合でもいいですよね。
一方、山梨大学。
たしかに国立大学だったわけで学院とは歴史も格も偏差値も違います。
ところが、この大学は典型的な新制駅弁大学(二期校)で、教育学部と工学部だけの単科大学に近い学校なのです。
山梨医科大学と合併しましたがまあ同じことです。
特に、ビジネス、金融、会計、経済、行政、政治、法など社会科学系がポッカり抜け落ちているのは実社会からみると致命的です。
早い話、社会からみてツカエナイ大学なのです。
教えている分野が時代遅れの大学。自己変革などできるわけありません。
ですからちょっと気が利いている子は東京の大学へ行きますね。
たしかに教育は大事で、工学も大事ですし、中には先端研究をされている先生もたくさんいらっしゃるのかもしれません。
でも、21世紀の日本の産業がこの2学部だけで回る時代ではないのは明らかです。
反論もあろうかと思いますが、現実はそうなんです。
しかも地域産業への貢献などはほとんどゼロ。
というかそういう事が重要という認識もないのではないでしょうか?
社会との接点とかいうとTLOとか知的財産とか自分のフィールドでしか考えられない(工学系にありがち)。それだけじゃダメなんだって。
学院に比べるとちょっと閉鎖的な気もします。
競争の激しい東京の大学に比べると「死んでいる」としか思えません。(まあそれでもやってはいけるでしょう)
学生の就職はもちろんその分野の先生もいないので実社会とのコラボやケミカルが起きるわけありません。
そうすると学院が相対的に急浮上してくるわけです。
この2大学は見事に棲み分けができていて表面上はうまくいっているかに見えます。
でも僕には田舎特有の競争を避けているようにしか思えません。
利害も関係もない僕から見ると、時代の方は確かに学院へ向かっているように見えます。
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帰省したとき結構路線バスとすれ違いました。山交(山梨交通)の。
とくに「御所循環」というバスの行き先表示を久々に見たときは懐かしさでいっぱいでした。
まだ生きていたかあ。
足のない小中学生のときはこのバスで甲府へ行って買い物をしたものです。
「御所」という名前は八代町(現笛吹市)にある米倉と永井の地区がむかし御所村だった名残りです。
1942年(昭和17年)4月1日に合併し、1956年(昭和31年)5月3日に八代町になるまで存在していました。
ですから僕は知らない訳ですが、御所保育園、御所小学校などが名前としてありました。
野球やソフトボールが強くて、帽子が珍しいGマークだったのでジャイアンツと同じでみんな喜んでいました。僕は何がうれしいのかわかりませんでしたが。
小さな学校で、今はどちらも廃校になっています。
ですから「御所」という文字は今ではバス停くらいしか残っていないと思います。
泉麻人のバス停の話がそのまま当てはまるのです。
きっとそのバス停や路線名を見て「なんで御所なんだろうか?」と思う若い人が増えていくのでしょうね。
あとは御所農協の「御所のもも」くらいかな。
御所村というのは全国にかなりあったようです。
御所小学校で検索してみると、樋口宣男(のりお)先生がヒットします。
身体にハンデを負いながらも甲府一高⇒東大⇒KDDとエリート街道を進みます。
バイオリンをやっておられ音響がご専門のようです。バリアフリー工学でもご活躍です。
現在は立命館大学の教授で10月まで笛吹市のふるさと大使をされています。
間違いなく村が生んだ数少ない成功者。
ご本人のHPはご経歴がえらく詳しく載っています。(息子さんも東大生と書くのはご愛嬌)
ふるさと大使は10名です。他には、
小林正彦氏。石原プロモーションの小林専務です。何故、笛吹市かというと、裕次郎さんがご存命の頃から毎年、石原軍団を連れて石和温泉で豪遊するのが知られているからです。
西部警察とかのロケも石和で行われて友人のOは大喜び。僕はしらっとしていました。
スケートの佐野稔氏は石和町出身で、精進湖でスケートに出会ったそうです。
細かい解説には定評があります。フジテレビのキャスターもよかったですが、歌のほうはまあ。
小林喬富国生命相談役。富国生命は甲州財閥の根津嘉一郎が起こした徴兵保険会社で三代目社長は財界四天王、影の財界総理と呼ばれた小林中(あたる)です。
小林中は家業の石和銀行の支配人でしたが根津の秘書を経て富国生命に入社しました。その他東急電鉄社長開銀の初代総裁、アラビア石油社長、日航会長などを歴任しています。
石和の旧20号線沿い小林公園があります。高速バスで石和で降りるとすぐ足湯がありますのでわかると思います。
ここは名誉町民である小林の屋敷跡です。銅像が建っています。
戻って2代目は吉田義輝は根津の書生で富国徴兵の設立を進めた人物です。4代目は若尾財閥の大番頭佐竹作太郎の長男次郎。5代目は境川村の俳人飯田蛇笏の弟である森武臣。6代目は一宮町の古屋哲夫と甲州人脈が続きます。
喬氏は7代目社長。あたらしい歴史教科書をつくる会(つくる会)のメンバーです。
徴兵保険ですから、さもありなんです。要注意。
現在の8代目は小林中の秘書だった秋山智史です。
双辰(そうしん)という聞きなれない会社の会長は石原登氏です。
甲府生まれの石原氏は日川高校から山梨大学を卒業し川崎市の教員になりました。4年後関内で酒場を開業し現在はダイニングバーなど5店舗ほどやっています。
笛吹市と直接関係はないのでどうして選ばれたのかわかりません。自身の著書では甲府生まれとなっているのですが春日居町生まれと言うことらしいです。
そんな堅い話は抜きにして今度お店に行ってみようかな。
一宮町出身の高野義雄氏は東京スタイルの代表取締役です。
600億円の売上に対してなんと1200億円もの現金等を持っていたのです。
キャッシュ・リッチとか無借金経営と聞くとなにやら健全企業のような気がしますがそうではありません。要は低成長企業で投資案件や展望が開けずリスクを取らないなまぬるい会社で経営陣は保身を追求する人々になっているということです。
金融資本市場ではM&Aの餌食になる筆頭に上げられます。こういう会社ランキングというのもあって東京スタイルは常に「いつやられてもおかしくない会社」上位でした。
予想どおり2001年村上ファンドによる攻勢に屈服し12.5円の配当を20円にし123億円の自社株買いの提案をします。この時は個人株主もびびってしまい村上氏側の負けとなりますが、この次がニッポン放送へとつながるわけです。
この際、高野氏は野村証券の日本戦略ファンドなどにで取締役会決議を経ずに投資し73億円の損失を出した事を2003年8月に村上側から株主代表訴訟を起こされ、結局1億円の和解金を東京スタイルに支払いました。
なお高野氏は、マイカル破綻でも31億円の損失を出しますが、その穴埋めに野村証券から献上されたIPO株(実姉名義)で1億6千万円の利益を得ています。
医学博士の竹内 一政氏はレーザーメスの開発でプロジェクトXに出ました。石和町出身です。
日本科学工業は倒産してしまいますが、執念は持田製薬で花開きます。
恩師はあの湯川秀樹博士だそうです。
早河洋氏はテレビ朝日専務。一宮出身だそうですが「弟」の企画など裕次郎つながりかもしれません。
編成局長時代に2004年2月「たけしのTVタックル」で民主党への偏向報道と自民党から抗議を受けこれを認め、トップとして減棒3%の処分を受けています。
本庄繁子氏は、武蔵野市にあるきもの美装学園の園長。御坂町出身。
向笠 正夫氏は、元日本テレビのプロデューサーで現在は㈱インターネットの取締役だそうです。シャボン玉ホリデーの演出などをやっていました。
金桜園ピーチランドの会員さんだそうです。一宮町にあるここは200名の桃の花オーナー制度があります。
会員は歌手の中尾ミエ、布施明、伊東ゆかり、園まり、ジュデイー・オング、川中美幸、堺正章、井上順、作曲家の服部克久、若林豪、堀内恒雄などです。
シャボン玉ホリデーがらみがプンプンだね。
向笠氏は山梨出身でもなんでもなくて引退後のピーチ園つながりだけみたい。
よそものには厳しい僕。心が狭い。
まあこの10名がいれば、ふるさとも安泰だね(笑)。
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山梨日立建機の雨宮清社長はえらい。
地雷除去プロジェクトでカンボジアなどの地雷を除去しています。
1998年に地雷除去機の1号機を完成しました。
1947年山梨市出身。
本社, 山梨県南アルプス市上今諏訪564-1
応援します。
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地方の街を活性化させる方策を考えることがあるでしょう。
地域の魅力や差別化を出すことに頭をひねることがあると思います。
住む人のためなら行政サービスを良くするのもいいでしょう。
観光客や旅行者を増やしたらどうしたらいいでしょう。
まず、お祭りやイベントを企画することが考えられます。
風光明媚な自然遺産や気候的なリゾート性を売りにすることも考えられます。
人工であっても公園やテーマパークなども集客できます。
おいしい食べ物や名物、海や山の幸を楽しめるといいですね。
歴史的な遺産やいい街並み、温泉、珍しい工作物でもあればそれは恵まれた地域と言えましょう。
鉄道、ダム、産業遺産、近代建築物、参拝などを目的として来る人もいます。
でも目ぼしいこういうものがまるで無い、ほとんど無い、あっても中途半端な地方ではどうすればいいのでしょうか?
多くの地域では差別化できるほどのモノはないと思います。
そこで考えたのがヒトの掘り起こしです。
1人くらいは何かした人がいるはずです。
この発掘は意外に忘れられています。
まず、生まれた有名人を探すのです。いないって?
次にそこに引っ越してきた人や長期に滞在人でもいいです。
訪れた外国人や文士でもいいです。
田舎では疎開先なども狙い目です。
有名人でなくても同級生でそこそこ成功した人を探し出すのです。
隠れた縁の下の力持ちとか知る人ぞ知る職人さんとかもいるはずです。
地域の誇りと希望を見出すのです。
ハードよりソフトです。
お金もかかりません。
もしご存命なら何人か来てもらって話してもらいましょう。
成功者は成功者を知っているので、次の人を紹介してもらってください。
具体例としてここ2~3日に目にした山梨に関連する人をご紹介します。
林光 作曲家 オペラシアターこんにゃく座芸術監督 映画音楽など。1944年から半年間疎開。勝沼小学校へ通学。
カルロス日下 ザ・ペニンシュラ東京プロジェクトディレクター 祖父は山梨出身のペルー移民。世界で20以上の高級ホテルの進出指揮
杉山亮 児童文学作家 山梨県北杜市で「おもちゃいろいろ・なぞなぞ工房」主宰。
などたくさん簡単に見つかります。
まずはここからやるべきです。
実はこういう作業もやっていないのではないでしょうか?
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